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努力の罠

最近、こういう言葉をよく聞く。

・努力しても報われない
・努力なんてしても仕方ない
・努力してるのは言われたからだ

この「努力」という言葉について考えていた時、
ふと久々に読んだ、「メジャー」という野球漫画から、
ヒントもしくは答えを得た気がする。

メジャーは、主人公「茂野吾郎」が、
文字通りメジャーリーガーを目指す物語で、
プライベートや野球に関わらず、非常に多くの困難を乗り越えていき、
人としても、野球選手としても成長していく。

そのストーリーの中の高校生編で、
「海堂高校」と呼ばれる、甲子園優勝常連の強豪校に入学する。

でも、そこで待ち受けていたのは、
一見野球と関係ないように思えるトレーニングや、
普通じゃ考えられないほどの過酷なトレーニングの数々。
これまで中学校までエースでやってきた猛者が集まっていたものの、
弱音を吐いたり諦めたりするやつが続出してしまう。

ある日、長距離を手だけ使って完走しろというような課題が出る。
そこで1人が、その道中で手を怪我してしまい、
「もう走れない」「俺なんか駄目だ」と弱音を吐いていた。
そいつを見て、茂野吾郎はこう言った。

「情けねぇ、手が駄目なら肘で進め。」
「俺はやらされてトレーニングしてるんじゃない、
 自分のためにやってるんだ。」

そう言った茂野吾郎は、
これまで課されたトレーニングには絶対根をあげず、
誰よりもキツイメニューを誰よりもやりきり、
尚且追加で自主的にトレーニングまでしていた。

さらに、別の日、その海堂高校のレギュラークラスとの試合があり、
その多くは圧倒的な実力差を前に、萎縮してしまう。

ただ、茂野吾郎だけは違った。
決して諦めず、チームを巻き込み、
どうすれば勝てるかを必死で考え実践した。

ただ、最終的には、冒頭で述べたようなことを言うやつが出てくる。

「俺なんかが努力したって駄目なんだ、才能がないんだ、
 お前みたいに才能があるやつには俺の気持ちなんてわからない」

そこで、茂野吾郎はこう返した。

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「お前、本当に才能がねえんだろうな?」
「本当に才能がねえと言い切れるだけの努力はしたのか?」

そして、こう続ける。

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「他人にやらされてた練習を努力とは言わねぇだろ。」
「好きな野球して将来飯食おうなんて図々しい特権、
 与えられた宿題こなした程度で手に入るわけねぇじゃん。」

他のメンバーと大きく違っていたのは、
そのトレーニングの捉え方や将来に対する考え方。

どんなに苦しくても、自分のために全部やってるから頑張れる。
そして、その目指す先は、生半可なことしててもたどり着けない。
誰よりもどうすればそこに自分がいけるか考え、
「努力」をしないといけない。

一方で、他のメンバーはと言えば、

・キツイトレーニングにはすぐに根をあげ、文句ばかり言う。
・いざとなったら、親に言われたから、友達に誘われたからで逃げる。
・努力してないのに、才能がないと諦める。

これは、仕事においても一緒だなとつくづく感じます。

新卒なんて特に、まずは、
与えられた宿題(社内業務を覚えて、成果を出し一人前になること)
を完璧にこなせるようになることが大事で、
その宿題は会社から課せられたものだからこそ、やって当たり前。
他の会社でもみんなやって、みんな乗り越えてきてる。
それをやるためにいくら頑張っても、それは「努力」とは言えない。
起業して成功したいなんて思ってるなら尚更言えない。

それを努力とも言えはするが、そう思ってしまった時点で、
与えられたこと以上に「努力」をしてるやつらには、到底追いつけない。

本当に最悪なのは、ただ与えられたことをやるのに、
それを「努力」してると驕り、成果が出ない時は成果が出てるものを、
あいつは才能があってズルいと僻み、
挙句の果てには、自分には才能がない、と自分を見捨てること。

自分で自分の才能にNoを突きつけ、自分から諦めるなんて、
そんな悲しいことしないで欲しい。

主人公の茂野吾郎は、父親がプロ野球選手というサラブレッドでありながら、野球を心底楽しみ、誰よりも驕ることなくひたむきに努力し続けた。

将来絶対に何か成し遂げてやると誓っているなら、
まずは仕事自体を心底楽しみ、誰よりも驕ることなく、
どんな困難も自分の成長のためとやりきる。
その上で、その成し遂げたいものの近道を探し、
そこに辿り着く「努力」を個人的に継続していくこと。
まずは実践していきたい。

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