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受験という落とし穴


今回のnoteは、留学ではなくて、そんな日本の受験戦争について書こうと思う。受験生はもちろんこんなの読まないだろうが、受験生を抱えて胃を痛めている家族や、受験を経験したことのある人に目を通してもらえたら、とても嬉しく思う。


全ての親が子どもに望むことって「できれば底の深さに気づかないでほしい」そういうことなんじゃないだろうか。

これは、私のお気に入りの小説のひとつ、吉本ばななの『デッドエンドの思い出』の一文である。私は今、妹に対してまさしくこの感情を抱いている。

喪失、拒絶、裏切り、離別、孤独…「底の深さに気づいてしまう」出来事は、世の中に意外とたくさん溢れていて、それらは予想外の瞬間に人を襲う。人生における落とし穴は、静かに身を横たえて、私たちが落ちる瞬間を虎視眈々と狙っているのだ。

そして受験ももれなく、「底の深さに気づいてしまう」出来事のひとつだと思う。「努力が報われない」という経験は、要は自分自身を裏切ってしまうということであって、私たちを何よりも深く傷つける。

私は受験が結果的には成功した人間だけれど、それまでの過程は、底が深くて足のつかないプールを永遠に泳がされているような、本当に苦しい毎日だった。「受験の天王山」と称される夏休みは、塾の友達と切磋琢磨し合いながら楽しく頑張り続けることができたのだが、そんな夏を乗り越えて少し安堵していた秋に、どん底は待っていた。親しい友人たちがこぞって指定校推薦をとってしまい、彼女らの態度が一変してしまったのだ。

今までずっと一緒に頑張り続けていた友達が、頑張ることを終えていい権利を得てしまった。私はまだ、成績も安定していないし、受ける学校すら決まっていないし、未来に対して何のビジョンも描けない状態であるのに、彼女たちはもう、大学も決まってなんならそのあとそれなりに有名な企業に入って、いわゆる「勝ち組」として生きていく未来が確約されている。

その圧倒的な差に、なんだか社会の構図を見てしまった気がして、私は打ちのめされてしまった。元来ネガティブなタイプであるのでそこから妄想はさらに膨らんで、今後控える「就活」「婚活」でも同じような展開が待っているような気しかしなくて、大げさだけれど人生に絶望してしまったのだ。また、信頼していた彼女たちが「推薦を取った」と人にわかるような態度を示したのも、結局他人は他人でしかないのだと実感させられた気がして二重にショックで、その時期私は家で泣いてばかりいた。学校が何よりも大好きな人間だったのに、どうにも行く気になれなくて、休む日が増えた。学校や塾で仲のいい先生方を前に、不安を吐き出しながら号泣してしまうこともあった。

しかし私はなんとか、周りのサポートの甲斐もあり、自分らしい勉強のペースやコツも掴めるようになり、成績も安定し始め、学校にも再び元気にいけるようになった。推薦をとった友人たちも露骨すぎた態度を反省し、受験組をサポートしてくれるようになった。ある親友は、並べると"GOUKAKU"になるクッキーを焼いてきてくれて、泣きそうになりながら食べたのを今でも覚えている。(一番上の写真がそのクッキーである。)

しかし私がそんなどん底から持ち直せたのは、運がよかっただけだと思っている。たまたま周りに恵まれて、勉強が少し人より得意だったから、受験という波にうまく乗ることができただけ。世の中には、私が味わったのと同じようなどん底から上がれないまま終わってしまう人も、たくさんいるんじゃないかと思うのだ。社会はいつだって、結果しか見てくれないから。

心の傷というのは、体の傷とは異なって、完全に癒えることはない。「もうあの時の辛さは忘れたな」と思っていても、「忘れている期間」が時の経過と共に延びていくだけで、ふとしたきっかけで驚くくらい鮮明に蘇ってきてしまう。だから私は、受験生の話を聞いていると、いつも部屋でひとりで泣きそうになってしまうのだ。

そんな受験で生まれた心の傷をほんの少しでも癒せるのは、親しい人からの、結果に囚われない言葉なのではないかと思う。目に見える価値だけに囚われがちな世界で、目に見えない価値を認めてあげるということは、その相手への個人的な信頼と愛がないとできない行為である。そしてそのような存在が身近にいるということを知るだけで、人は遥かに強くなれる。だから、もし受験生を周りに抱える人がこのブログを読んでいたら、どんな結果だったとしても責めずに、努力を認める言葉をかけてあげてほしいのだ。

私の大好きな椎名林檎の「ありあまる富」という曲に、このような歌詞がある。

僕らが手にしている富は見えないよ 彼らは奪えないし壊すこともない

この歌詞を受験に当てはめてみると、受験を通して私たちが得られる真に価値のあるものは、「点数」とか「学歴」とかそういう目に見える可視化されたものではなくて、「ある大学を目指して努力し続けたという事実」なのではないだろうか。「点数」は(ないだろうけれど)ミスが起こる可能性はあるし、在学中に不祥事を起こせば「学歴」なんて水の泡だ。しかし「努力し続けた」という事実は、誰からも奪うことはできない。

私の言うことを、「甘い」と評価する人もいると思う。結局日本は競争社会で、結果がすべてなのだ、と。しかし私は、綺麗事とか偽善者とか思われてもいいから、苦しい人間の気持ちに寄り添える人間でありたい。

受験はここからが本番だ。真冬の東京の、頬を刺す冷たい空気を思い出す。インフルエンザも大流行しているという。すべての受験生が体調に気をつけて、試験に全力を尽くすことができるようにと、数千マイル離れた遠い国から、静かに願っている。


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