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蛹の部屋


深夜二時、自室のベッドの上であたしは爪に色を乗せる。顔には真っ白なパック、前髪はキャラもののヘアピンで無造作に止めてある。枕元には剃刀、眉ばさみ、保湿クリームが散乱している。あたしには週に一度、こんな風に部屋で生まれ変わる準備をするのだ。

黄緑に塗られる爪を見ていたら、小学生のときに育てたアゲハチョウの幼虫を思い出した。たやすく潰せてしまいそうな緑と橙の柔らかい身体も、ふいに威嚇として放出する強烈な匂いも、あの頃のあたしには愛おしく思えたのだった。今となっては、もう触ることもできないけれど。

手の爪がだいぶ乾いたので、次は足の爪を塗るために紺のマニキュアの蓋を開ける。足に静かに十本の夜空を宿し、乾かしている間に、そっと顔からパックを剥がす。シートに残ったぬるぬるとした液体を、指ですくって頬になじませる。

幼虫が蛹へと変貌を遂げたとき、あたしはその神秘的な身体にひどく心を惹かれ、そっと虫かごを開いてみたのだった。蓋の網目に糸を絡めた、三日月のような物体をまじまじと眺める。何が起きているのだろう。人差し指を静かにその輪郭に当ててみると、蛹は指の形に沿ってくっきりと凹んだ。予想外の柔らかさに恐怖を覚え指を離し、何もなかったかのように蓋を戻した。

あの頃の自分の容姿が、今のあたしは大嫌いだ。他の女の子みたいに「華奢」な身体をしてなくて、真っ赤なダサい眼鏡をかけていて。大人になってよかった。少なくともあたしはこうやって、静かに部屋で変身することを許されている。鏡を取る。顔を見る。作られた眉の形、ビタミン融合の薬を毎日塗って白くした肌。安心する。これで、明日もあの人に会いに行ける。

蛹に触れた次の日、母親に悲しげな声音で名前を呼ばれて起きた。母はそのまま、蛹が死んでるわ、と静かに告げた。あたしも、そっか、悲しいね、なんて言いながら朝ごはんを食べて、そのあと庭に小さなお墓を作った。手を合わせながら、祈ることなんてできなかった。

通知音が鳴る。見知らぬ名前からだ。「写真を送信しました」と無機質な文字が告げる。そっとタップすると、そこには正座をしたあの人の姿があった。次いで、軽やかな音とともに、夫はもうあなたとは会いません、という文字列が届いた。その意味を認識するまでに、何十秒もかかった気がした。足の横に転がっていた、小さな眉ばさみに手を伸ばす。


蛹は、些細な衝撃ですぐに死んでしまうのだ。

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