【帝都怪奇浪漫画報】10話更新のお知らせ
明治時代文豪×オカルトのオリジナルノベルシリーズ『帝都怪奇浪漫画報』の本編第10話を更新しました。
例の如く、どれも更新内容は同じです。お好きなところでお読みください。
ブクマ、応援コメントなどありがとうございます!
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さて、ここからは恒例の史実語りです。
しつこいようですが、参考資料などを読みつつこんな部分をこういう風に解釈して帝都~を書いていますよ~というお話ですので史実資料を参考にしただけの強めの幻覚だと思ってください。
依頼人のいた第一部とは違い、元々噂のあった場所を調べている第二部、あんまりオカルトっぽさがないな?と思っていたところに、ようやくちょっとしたオカルトらしさが出てきて安心しました(書いている私が)
今回、最後の方にでてきた「かごめかごめ」の歌。
多分、日本人なら誰もが知っているであろうこの歌、諸説ありますが元は千葉県のあたりが発祥のようです。
少なくとも江戸時代にはあったようですね。でも、現在の形になるまでは結構紆余曲折があったようで、地方によって歌詞もまちまち。
「鶴と亀がすべった 後ろの正面だあれ」
の部分は、実は後付け!!!
正確には、後になって歌詞が変わったようで、昔は「つるつるつーぺった(恐らく引っ張った、の意味)」などと言っていたのがいつのまにか鶴と亀になったようです。後ろの正面にいたってはいつくらいからどこで出て来たのかも判然としないのですが(少なくとも私が調べられた限りでは)、何故かこの後ろの正面ウンタラについては地域差があまりない。
かごめかごめの遊び自体が輪の中にいる子供が後ろにいる子供をあてる、というルールですので、それが歌詞に反映されたのではないかと思います。多分後ろの正面に幽霊がいるかもというやつではない。
とはいえ、何となく不穏な気配を感じる歌詞に、輪になって子供を囲むという儀式的な遊び方とあいまってオカルト系には大人気なこの「かごめかごめ」の歌。いったそばから私もオカルトネタに使っているので人のことは言えません。
後ろの正面だーれ?になったのは恐らく明治時代ではなく、歌詞が鶴と亀になった時代もはっきりとわかるのは大正時代以降なのですが、この物語はフィクションなので明治三十年には普遍的にあったものと見なします。
幻覚を見るスキルには自信があるので。
みんな大好きWikipediaさんによると、かごめかごめの歌には「子取り歌」などという俗称もあるらしく、「花いちもんめ」などもそうですけど、割と子供の遊びって露骨に「一人を特別な(あるいは排除する)存在にする遊び」が多いよなぁ、となりますね。
「ずいずいずっころばし」なんかも、お茶壺を運ぶ行列が過ぎる間は、道ぞいに住む平民はずっと無言で息を潜めていなければならず、「おとうさんがよんでもおかあさんが呼んでも行ってはいけない、音を立ててもいけない(だから井戸の周りでお茶碗を割った音を立てたのは誰?と問う)」などという話がありましたね(これは歴史の授業の時に習った)(私が習った話なので、人や地域によって解釈は違うのかもしれない)
作品内でも触れていますが、明治時代は不義の子供や育てられない子供は、養育費を渡して里子に出すことが一般的に行われていました。口減らしがまだまだ現実的だった時代です。
子供は未来の働き手ですが、赤子のうちを育てきるのは大変です。当時の乳幼児の死亡率は酷いものです。
島崎藤村は3人の子供を相次いで亡くしており、甲斐性が云々みたいな話をされますが、そもそも当時の子供は生き延びるのが大変だったのです。七五三は、そもそも七歳まで生き延びれる子供が少なかったからこそ生まれた風習とも言えます。「七つまでは神の内」といいますからね。つまり、親がどんだけ頑張っても、七歳くらいまではちょっとしたきっかけでホイホイ死んでしまうのが当時の世情だったわけですね。
むしろ、貧乏生活をしていたのに、生まれた子供が全員すくすく育った国木田家すごいな?(しかも一番下の子は独歩が亡くなった後に誕生)
独歩が子煩悩で非常に子供を大切にしていたというのもあるのだと思いますが、多分奥さんがめちゃくちゃ頑張ったんだと思います。奥さんマジすごい。
ちなみに、独歩は病気になって仕事ができなくなった後、米を買えなくなった時に米屋の奉公人の少年に「米屋はうちに米を売らなくても飢えないが、うちは米がなければ飢え死にする!だからツケにして米をおいてけ!」という超理論で米をせびっていたエピソードがあります。重病人のセリフか?
あ、うん……そりゃあたくましく育つだろうな、この人の子供だもんな。