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映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』を観た

「ヤバい実話」というキャッチが文豪映画なのに語彙がなさすぎるなんて言われていたけど、「実話を元にしたフィクション」なのに「実話」って言っちゃってる方がヤバいと思う。

オタクなんて語彙があろうがなかろうが年から年中「ヤバい」っていってるし、ナウなヤングも「ヤバい」っていうし、文学の素養がない人にも「何かヤバそう」と思わせているのならそれはそれで宣伝として成功なんではないか。多分、ヤバい云々に文句つける人にすら届いてない方がヤバいよ。

それはともかく、映画である。

R15映画である。小栗旬の演じる太宰治と、彼を愛した3人の女(正妻&愛人1&愛人2)の実話に基づく物語である。

創作物としての「人間失格」は関係ない。あるにはあるが、これは「人間失格」が書かれるまでの作者・太宰治の物語であって、「人間失格」の作品内容にはほぼ触れられていない。ので、「人間失格」という作品を原作としているわけではないことに注意してほしい。

むしろ「斜陽」の内容の方が、映画には大きく関わっている。

でも、別に作品は読んでいなくてもわかる。(現に私は「人間失格」は読んでいるけど、「斜陽」は読まずに映画を観たが、別にそれで話が意味不明になるとかはなかった。

前知識はいらないけど、Wiki程度に太宰の女関係をさらっておくと、人間関係がわかりやすいかもしれない。

蜷川実花監督は、どっちかというと映画よりも写真家寄りで、映画監督としても「ちょっとイってる感じの人物を極彩色で撮る人」という認識で、正直に言えばあんまりストーリーには期待していなかった。

ので、割とガチガチに史実に基づく太宰治の女関係を描いてくれたことに、良い意味で裏切られた気分です。期待のハードルを下げて観た分、満足度が跳ね上がったともいうけど。蜷川監督ファンというわけではなかったもので……。

曲も良かったですねー。特にスカパラのED曲がよかったな。

あとR15だからか、TKB丸出しのシーンが出てきてビビった。いや、R15でエロスエロスな痴情がもつれたシーンがたくさんあるので、ある意味当然なのかもしれないけど、一緒に行く相手によっては相当なきまずさがただようやつだぞ、これ。

おパンツ脱ぎシーンも出てくるしな…………。


以降、ネタバレ感想はスクロールでどうぞ~~~。











太宰治が3人の女を振り回す映画かと思って観に行ったら、ガチガチの強メンタル女たちに豆腐メンタルの太宰が転がされる映画だった。


3人のヒロインが、それぞれ別の方向に強すぎる。


宮沢りえ:良妻賢母の正妻。強メンタル。太宰が甘えたいママ。

沢尻エリカ:小説ネタ提供元から、隠し子を得てマウントを取る剛の者。

二階堂ふみ:太宰に全てを捧げる狂った強メンタルヤンデレ。


こんな感じでした。(※個人の解釈です)

太宰が、それぞれの女に対して態度をころころ変えるんですよね。

正妻の美知子相手の時は、もう子供か?ってくらいに甘えまくる。

愛人1の静子相手には、小説のネタ欲しさに赤ちゃんが欲しいという彼女の求めるままに流されて、赤ちゃんができた途端に逃げる(だがその赤ちゃんをネタにマウントとるので静子さん@沢尻エリカはマジでっょぃ)

愛人2にして太宰の最後の女、富英さん相手には割と雑。でも彼女に世話を焼かせるし、彼女が自分の命を盾にしだしたら止める。最後までついてきてくれる女だから。

太宰治は子供ができた女とは、最後を共にしないのですよね……。

まぁ、現代の世界観で言うと相当なダメ男なのですが、明治時代は愛人を作ることがそう珍しくなかったし、作家の女性遍歴とそれをネタにした作品は、現代で言うところの芸能人の暴露本的なスキャンダル&エンターテイメントであった点は考慮すべきかと思います。(まぁ、姦通罪とかあったんで、一応世間的にはアウトってことにはなってたんだけどね)

だから安吾は妻子ができて家庭が大事になったらダメ、みたいなことを言ってるんだと思うんですよね。そして、女の日記を使ったことも非難する。堕ちきっていない。スキャンダルを作品に昇華しきれていない、と……。

昭和20年代の話なので、女性はだいぶ抑圧が強くなっている時代ではあるのですが、一方で女性が仕事を持つことができるようになってきている時代でもあり。職業婦人の増加ですねー。

家庭に入っている正妻で、基本が和装の美知子に比べると、太田静子(作家)と山崎富栄(美容師)が洋服を着てヒールの靴を履き、シャキシャキ動くのは面白い対比。昭和20年代における、家庭に入る女と、仕事と恋に生きる女の違い。

そもそも太宰治と正妻美知子はお見合い結婚で、恋愛をしていない関係とも言えるんですよね。

同じ愛人でも「愛されない妻よりも愛される愛人がいい」という静子は、太宰を求めながらも「作家としての野心」を優先している感じがあり、弟と結託して子供の認知を迫ったり、太宰の死後に「斜陽」の元ネタが自分の日記だと暴露したり、かなりのマウンティング強女子ぶりを発揮。

一方、富栄は太宰に誘われ「君は僕のことを好き」と言われて、恋が燃え上がってしまうと共に「戦闘開始」と認識するほどの、激しい独占欲を発揮。貴方が他の女にいくなら私は死ぬ。デッドオアデッド。さすが最後の女。気合が違うヤンデレ。

※個人の感想です!!!!!!

こうやって考えると、正妻美知子さんの立場がなさそうなんですが、最後の最後で美知子さんが最強の女になります。正妻の貫録。

愛人の元に走ってでも小説を書いて、天才作家だと証明しろ!

と言い切るのがこの最強で最恐の正妻様です。

愛人と背徳的な恋をしなければ小説がかけないなら、さっさとその恋を成し遂げて傑作を書いてこい、というのだ。自分に対して散々ばぶばぶ甘えまくっていた夫相手に。

そして、太宰が富栄さんと心中して、死体が上がったことで報道陣が自宅に押し掛けた時、直前まで太宰が残した遺書を観て涙ぐんでいたのに

「今日は晴れたので洗濯をしようと思って!」

めちゃくちゃいい笑顔で庭に出て、報道陣を解散させる様よ。

あー、正妻様。正妻様つよい。つよい。

つよい……。


太宰治が女性を翻弄したのではない……。

太宰治が女性に転がされながら小説を書いた映画。


それが「人間失格 太宰治と3人の女たち」。


ところで、この映画に対して文豪太宰治に対する侮辱じゃないかとか激おこしているレビューをちらちらみたんですけど、前述の通り「割と日本近代文学ではめちゃくちゃな女性関係はよくあること」なので(そして割ときちんと史実を調べて作ってあると思うので)侮辱っていうか「そのまんま」だと思います。

いやだって私の推し作家なんて病床で身重の正妻と看護婦の愛人に交互に世話をさせた上に、随筆で「恋なら何度でもしてみたい」とかのたまってるし……。

その親友の作家は、散々友達の世話になってようやく結婚しておきながら、理想と何か違って幻滅した上に女弟子に横恋慕したことをネタに小説を書いて、ごめんなさいって手紙で謝りまくってた人だし……。

その更に親友は、世話をしに通ってくれていた姪とうっかり肉体関係を結んでしまい、子供まで作ってしまい、フランスへ海外逃亡しているし……。

うん、近代文学ではよくあること!

まぁ、いうてこの時代はこういうテンションの男を相手にする女の方も、それなりの強メンタルで男を転がしていることがままあるわけで、そうやって考えると、この映画、割と昭和初期の女がいかにして男を転がしたかという強メンタル女子の系譜としても面白いですよ。

女性の方にフォーカスあててるから仕方ない部分もあるんだけど、チョイ役の三島由紀夫を出すくらいなら、静子さん関連で太宰から多大なる迷惑をこうむっている井伏鱒二先生を出してあげてほしかった気がするな……。



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