【追記あり】映画『ロケットマン』のタイトルは『ユアソング』にはできない
エルトン・ジョンの半生を描くミュージカル映画『ロケットマン』を観てきました。
あれだけ大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』には見向きもしなかった私がこの映画は観に行ったのは、私が生まれて初めて買った洋楽のシングルがエルトン・ジョンだったから。
ド田舎のホームセンターのCDコーナーでも売ってる、エルトン・ジョンのアルバム。当然のようにそのアルバムにも入っていた「ユアソング(僕の歌は君の歌)」は、日本で最も有名なエルトンの曲だろう。
時期的にボヘミアン~の二番煎じみたいに感じられてしまうのがアレなのだけど、逆にボヘミアンから1年もたたずに出てきているということは、ボヘミアン~の成功を元に作られているわけではなく、たまたま時期が被っていたのである。この映画がポッと出企画でないことくらい、観たら誰だってわかる。デクスター・フレッチャー監督がたまたまボヘミアン~の実質上の監督になったのは、ボヘミアン~の監督が降板騒動になったからであり、メイン監督をしているのは最初からこちらである。
ネタバレなしにまず感想をいうと……
タロン君の上手すぎる歌をひたすら浴びる映画
であって
たった数秒しか映らない衣装にもとてつもない金をかけてる映画
である。
タロン・エジャトンのお歌、エルトン・ジョン本人が推すだけあって本当に上手いな。本当に上手いな?(大事なことなので2回言いました)
マジで上手いと思うのでとりあえず公式サイトのトレーラーだけでも聞いてきてほしい。最初はそんなに似ていなくない?と思ったんだけど、歌も外見もだんだんご本人に見えてくるから不思議。
あと、衣装の再現率がハンパないので、衣装芸だけでも見る価値がある。
どうしてそこまでやった?ってくらいの完コスである。
歌いながら弾けたパフォーマンスをするエルトン・ジョンが主役であるから、ミュージカルシーンにはほとんど違和感がなかった。というか、こんなに自然にミュージカルをする映画久しぶりに見た。グレイテスト・ショーマンですら「そこで歌うんか?」ってなったシーンがあったのに。
ミュージカルシーンに違和感がない理由はもうひとつあるけど、ネタバレなので後述。
以下、ストーリー関連ネタバレ語りに付きスクロールしてください。
タロン・エジャトンはマジで歌うまいな(まだ言う)
物語のしょっぱなからオレンジビカビカ悪魔コスで登場するからコンサートシーンから始まるのかと思えば、依存症治療の施設だった。その格好で来るんかい!って感じだけど、これは脳内イメージなんである。
治療施設で、過去のことを話すにしたがってコンサート衣装を脱ぎ捨て普通の格好になっていくの、再生の経過だったんだなー、って最後にわかるのがエモいなー。
ミュージカルシーンが挿入されるのが、ほぼコンサートシーンとモノローグシーンなんですよね、この映画。モノローグ(過去を語っている依存症のエルトン)の心象風景であり、コンサートの前は大体ドラッグかアルコールキメているという……つまりラリってミュージカル。
ミュージカルが心象風景と、過去の憧憬と、幻覚と共にあったステージで構成されているので、キレキレダンスを始めても「今ちょっとラリってます」というシーンだったり、「ここ時間経過しています」というシーンだったりして。実際、子供時代のシーンから青年に移り変わったり、目まぐるしく衣装を変えながらコンサートの回数を重ねていく表現とか面白かったな。ミュージカルだからできる表現だな~と思ったりなどした。
子供の頃からピアノの神童であったエルトンが、子供への愛が致命的に足りていない親の無理解に苦しみ、親友バーニーへの愛を受け入れてもらえず迷走し、恋人ジョン・リードには裏切られ、成功していく裏でどんどん酒とドラッグに溺れていく、という物語である。
中盤以降は本当にヒマさえあればヤクキメ状態なので、そりゃーPG12になりますわ!(あと、ちょっとだけど思い切りヤってるシーンもあるので)
ほとんど落ち目もなく、ほぼずっと成功していくんだけど、その反面心の支えがないままどんどんドラッグとアルコールでガランゴロン堕ちていくし、エルトン役のタロン君の虚無顔→コンサートの舞台に立った途端に超笑顔!の落差が「おおお……」ってなる。
途中でプロデューサー兼恋人になるリードが、本当にエグいワルで、自殺してくれたらカネになるとか言うし、エルトンが心臓発作で重体でもカネのために公演を追加するし、マジで人の心がない。
実在の人物なのに、ここまで悪く書くので?と思ったら、実際に結構な金額横領していたアレな人らしく(一応裁判で和解済み)そりゃバチボコのワルにかかれても文句は言えまい。エルトン・ジョン本人監修の映画だしな、これ……。
対する親友バーニーは本当に「貴方は天使か?」ってくらいいいやつすぎる。エルトンはどうかんがえても彼のことを恋愛的に好きなわけだけど、それに対して「君を愛している。君の愛とはちがう種類で」と返すの、あまりに人ができすぎている。
一度は決別するんですけど、決別した理由も「君は無理しすぎている!そんなハデなコンサートとかしなくても君は君らしくいきろ!」と言って諭して、それを受け入れられなかったからであって、もう本当にお前親友としてパーフェクトだな……という。リードとの対比がものすごい。
いや、正直この辺の比較っぷり、だいぶエルトンドリーム入っていると思うんだけど……。でも実際、バーニーとはデビュー時から50年の付き合いで、恐らく世界一有名なエルトンの曲である「ユア・ソング」をはじめとして、現在にいたるまでほとんどのエルトンの曲を作詞しつづけているそうな。
この映画におけるほっこりシーンは、ほぼバーニーさんでできている。
更生施設で治療してシラフ戻ったエルトンが
「シラフの状態では才能がないかもしれない(´・ω・`)」
ってなっている時に笑って
「これに曲つけといて」
って歌詞渡して去るバーニーさんイケメンすぎてエルトンじゃなくてもホレるでしょ。
別にエルトン・ジョンとバーニーさんが恋愛関係になるわけではない。
実際、エルトン・ジョンはゲイであることを公表し、男性のパートナーと結婚して、代理母に依頼して子供も設けているけど、その相手はバーニーさんではなく、別の方である(映画にはキャストとしては出てこない)
だけど、エルトン・ジョンを歌手として世界に導いたのはバーニーであるし、エルトン・ジョンを依存症の闇から連れ戻したのもバーニーである。
更生施設を出るシーンで、バーニーが言う。
「君を愛している」
これは恋愛的なラブではないのだけど、永久不変の『親愛』なのである。
このシーンはちょっと泣いてしまった。
愛されなかったエルトン・ジョンを最初から最後まで肯定したのは、バーニーだけだった。
その前提で見ると、本当にバーニーさん、エルトンのことをわかりすぎてて、そりゃ長い付き合いの親友にもなるわっていう。
更生施設の時に渡した歌詞とか、エルトンの心情そのものみたいな歌詞で。
「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」もバーニーさん作詞なんだけど、何も持たなかったのに音楽だけは持っていたエルトンの気持ちを歌うのにこんなにぴったりな歌詞もない。
ところで、この映画のタイトル、知名度を考えれば「ロケットマン」よりも「ユア・ソング」を使った方がわかりやすいんですよね。「ユア・ソング」もしくは「君の歌は僕の歌」っていうタイトルにした方が、絶対興行収入も上がったと思うんですよ。宣伝効果が全然違っただろうっていう。
それでも、この映画のタイトルは「ロケットマン」でなくてはならなかった。これはエルトン・ジョンが自分の愛されなかった半生を語り、再生するまでを描いたミュージカルであって、「貴方のために歌う」物語ではないから。
「ロケットマン」は孤独な男の歌だから。
地上に戻ることには、地球にいた頃の僕じゃないってわかるだろう。
僕はロケットマン、孤独な男。
まさにこの映画のエルトン・ジョンそのものみたいな歌詞だから、このタイトルじゃなければいけなかったんだろう。
で、この曲の歌詞を書いたのもバーニーさんです。
バーニーさん、エルトンの心でも読んでるのか????
ところで、ラストの方でその後のエルトン・ジョンの人生が実際のエルトンの写真つきで出てくるんですけど、しばらくこれがエルトンさん本人か、タロン君@エルトンなのか悩んだ。それくらいほとんど違和感がなくなっていた……。私が人の顔を覚えないのを含めても、一瞬「これ本人かな?」と首を傾げた。比べてみるとあんまり似てないように見えるのに、不思議だねえ。眼鏡補正もあるんだろうけど。
禁酒は28年続いている……からの「だけど買い物依存症は治っていない」でちょっと吹きかけた。またいい笑顔で買い物袋にまみれた写真をwまぁ、お金あるんならいいんじゃないかなww
ママンに「この子はハゲる家系よ」と言われて、映画内でも実際にちょっと髪を気にする描写があるんだけど、実際に若ハゲの遺伝子で早々に髪の毛が薄くなって植毛手術をしていたらしく、エルトンの「すべらない持ちネタ」みたいになっていたらしいことを後で知ってちょっと笑った。自虐ネタだったのか、そこw
本物のエルトンさんダイジェストの最後が「子供のためにコンサート引退を発表」って書いてて、ようするに「コンサートよりもダーリンと子育てしたい!(`・ω・´)」ってことだったので最高にほっこりした。幸せになってくれ。
あと、この映画の見所のひとつであるエルトン・ジョンの衣装再現芸ですが、エンドロールで本物のエルトンと作中のタロン君が来ている衣装との比較画像が出てきてめちゃくちゃ面白いので、いつもはエンドロールは見ないという方もぜひ衣装芸比較のところまでは見てくれ。おばちゃんとの約束だ。
【追記】
書こうと思ってた大事なことを忘れてた。
私がこの映画を観たくなったきっかけのひとつが、あるYahoo!映画レビューだった。アメリカ本国でみたのか、そのレビューは英語で書かれていた。
気になって翻訳にかけたら
「素晴らしい映画でした、彼がゲイだったことを除いては」
この時代に、堂々とカミングアウトして同性のパートナーを持って子供を育てていても、こんなことを言われてしまうのか。
ドラッグよりもアルコールよりも、愛の形を嫌悪されるのか。ポカーンとしてしまった。
エルトンはエイズ基金を立ち上げている。エイズで多くの友人を失ったからだ。その1人にはクイーンのフレディ・マーキュリーも含まれている。
その点も含めて、この2人の人生を描く映画に同じ監督が関わったこと、その監督が彼らの愛を否定しなかったことを評価したい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?