母の心配を請け負う余裕ができた【毎日投稿008日目】
先ほど、母と電話をした。私が実家を出てからと言うもの、母は私と電話ができることをことごとく喜ぶようになった。寂しいのだろう。気持ちは理解するが、私にとって母との電話というのは心が踊るほどの刺激はない。ただなんというか、あるのは恩返しのような気持ちだけだ。
母からのその電話は、マスクが手に入ったから送るけど、他に欲しいものはないか、という内容だった。普通の不織布マスクの他にガスマスクみたいなちゃんとしたのもあるという。私がマスクは不要だと伝えると、母は明らかに取り乱した。なので私は、心配することはない、僕は今在宅勤務中で外出を強制される身分にいないし、買い物に行くにしても人がほとんどいない立地の悪いコンビニか閉店間際のスーパーしか行かない、行ったら必ず10分以内に手洗い・うがいができる、足りないものは全てAmazonで買える、通いの歯医者もすぐに個室の診察室に案内してくれるから安心だ、あとはたまにランニングをして自炊もするし、健康的な生活を送れている、どうしても必要な時は部長に頼めば会社の備品を数枚分けてもらえるし、手元にも数枚ある、帰省ができるレヴェルになったらガスマスクみたいなやつを頼むかもしれないけれどとりあえずは不要だよ、みたいな内容を事細かに伝え、安心させなくてはならなかった。
マスクを送れば安心という母心を私は正確に理解しきれていないが、こういう場合は黙って送ってもらった方が良いのかもしれないと考えたりもする。しかし、とはいえ私も私で家族が心配なのだ。母も安心したのか、私の言葉を聞くとそれ以上食い下がってはこなかった。なんであれ、自分が安心しきれなければ黙って送ってくる人なのだ。
母は私の行動を、昔から極度に心配する。親として当然のことなのだろうか、私には母は一人しかいないので他者と比較できない。例えば私が中学生で不登校児だった頃、同級生に会うのが嫌ででも体は動かしたいから、夜中普通は中学生が出歩かない時間帯に自転車で出かけた。私にとってはそれが安心だったのだ。しかし、もちろん母は心配した。なぜ真夜中に出かけるのだと、ほとんど泣きながら引きとめようとしたが、私はこの人はなんて勝手なことを言うのだろう、と無視していた。自分が心配だからと言う理由で行動を制限させるとは、当時の私にとってはひどく身勝手に思えたのだ。
今でも正直、母の心配を理解しきれていない。しかし、母の精神面を心配するという視点が、私にも身についたとは思う。
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