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◇5. 言葉のちから

三歩進んで二歩下がる、一応前進はしてるんだけれど、問題なしという訳でもない。まるで厚い雲に覆われて先が見えないようなBOOK STARTプロジェクト。

https://note.com/sawaguri_cph/n/n7a65870e6f14

家庭訪問をするなかで、居留守をつかわれたり、玄関横の窓から絵本の入ったバッグだけをサクッと受け取って窓をピシャリと閉められたり、そんな塩対応なお宅にある共通点が見えてきた。それはソマリア人の家庭であることが多いということだった。誤解を避けるためにいうと、かれらからは見知らぬ人の訪問に対して非常に強い警戒心を感じた。

ドアを開けてくれないんだから仕方がないと、こちらが割り切って早々に諦めてしまうこともできたけれど、せっかくの外国人同士、そんなに警戒し合わずに少しでも話はできないものかなと、ハンネにソマリア人の家庭訪問について相談した。うんうんと言いながら聞いてくれたハンネが提案したのは、地域のソマリア人女性が集まるおしゃべり集会に顔を出してみてはということだった。

「週に1度平日の夕方に地域のソマリア人女性たちが集まって色んな講習会やおしゃべり会をしてるのよ。この前は自転車の乗り方を習う日で、たくさん集まったらしいの。あなたもそこに顔を出してBOOK STARTの話をしてみたら?」

話はつけておいてあげるからとウインクして、ハンネはそのおしゃべり会を主催している担当者に電話で話を通してくれた。


おしゃべり会の当日、わたしはソマリア語の絵本や一般書、ソマリア語で書かれたBOOK STARTのカタログ、そしてコペンハーゲンの図書館で借りられるソマリア語の児童書の表紙をいくつかコピーして、あるアパートの集会所へと向かった。

ドアをノックして中に入ると、女性たちが7,8人楽しそうに話していて、奥からひとりの女性が出迎えてくれた。

「ハンネから話は聞いてます」という女性は、デンマーク語とソマリア語の通訳もしているというファティマ。彼女はわたしに握手をしようと手を差し出しながら、「今日は特にテーマはなくて皆でおしゃべりしているだけだから、まずあなたの話を聞くことにしますね」と言うと女性たちに声をかけた。

「今日は図書館からある女性が来ています、皆さんちょっと話を聞いてくださいね」そう言うと、あとは任せたよと言わんばかりにファティマがこちらを見てニコッとする。皆の顔が一斉にわたしの方に向く。うぅっ…と息をのむと、わたしはゆっくり話し始めた。

まずは自己紹介、次いで自分がこの地域で関わっている図書館のプロジェクトについて、そして、小さな子どもに絵本を読むことは楽しいし、同時にとても大切なことだということについて。デンマーク語が読めない場合は無理に読もうとする必要はなく、むしろ絵を見ながら子どもと母語で話すだけでもとても良いということ、そしてソマリア語の絵本や一般書も図書館で借りることができること、そんな話をしながら、BOOK STARTのパンフレットやソマリア語の絵本を女性たちに見せた。

話している間、ファティマがそれを逐一ソマリア語に通訳してくれていたので、ほとんどの人がこちらを見て話を聞いてくれている感触があった。デンマークで生まれ育っている若いソマリア人女性は、デンマーク語で質問してくれたり、BOOK STARTで配布している絵本にも興味を示してくれた。

一通り話が終わると、わたしが持ってきた配布物や絵本、一般書を眺めながら女性たちは互いに話し始めた。なんとか伝えたかったことも伝わった感触があるし、今日は来て良かったなと思ってひとりでほっとしていると、ファティマがわたしに話しかけてきた。

「BOOK STARTは良いプロジェクトだね。今日ここであなたが直接女性たちと会って話したことで、この地域で警戒心が強い人たちにもきっとプロジェクトの意図が伝わると思う。みんな自分の子どもたちには勉強ができるようになってほしいと思っているはずだから。でも…」

そういうと、ファティマは少し間を置いて続けた。

「ソマリア人のなかには、自国の言葉が読めない人もいるの。つまりソマリア語も読めない、デンマーク語も読めない人がいるってこと」


ファティマがそう言ったあと、わたしの頭の中は一瞬真っ白になった。

自分の母語が読めない。
一番安心して話し、コミュニケーションが取れる言葉を読み書きできない。

大きな石で頭を殴られたような感覚だった。

この事実を突きつけられるまで、わたしはそれを一瞬たりとも考えていなかったことに気づいた。もちろん母語の読み書きができない人がいることは知っていた。子どもの頃、在日韓国・朝鮮人のおじいさん、おばあさんの中にはそれができない人がいたことも父から聞いて知っていたし、夜間中学に通って読み書きを学んでいる人がいることも知っている。世界中には今でも読み書きができない人がたくさんいることも。でも自分の目の前にいる女性たちにだって、訪問してドアを開けてくれない人たちの中にだってそんな人がいた可能性はあったのだ。それをわたしは外国人を中心に絵本を配るという仕事をしながらまったく考慮していなかった。そのことがめちゃくちゃ恥ずかしくなった。ソマリア語の絵本や一般書を持ってきたことも。それが当たり前に読めると思っていた自分の傲慢な思い込みが恥ずかしかった。母語が読めない人たちに絵本を読むことがどれほど重要かを話すなんて、なんてバカなんだわたし。図書館から訪問するのでドアを開けてほしいという気持ちで、自分の都合を押し付けるような目論見で訪れておいて、自分は受け手の状況を全く想像さえしていなかったなんて。わたしはどんどん言葉を失っていった。

「読めない人も絵を見ながら子どもに話しかけることから始めれば良いってことだよね」

そういうファティマに「そうですね…」というのがやっとで、その日はそれ以上言葉が出てこなかった。


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ファティマとはその後も連絡を取り合い、家族の名前から判断してソマリア人と思われるお宅を訪問する際には、彼女に一緒にきてもらうことにした。ファティマがインターフォンに向かってソマリア語で挨拶をすると、まるで魔法がかかったかのようにアパートの入り口がサッと開き、家の人が笑顔で玄関のドアを開けてくれる。言語の力、母語の力はすごい。どの家庭でも絵本を喜んで受け取ってくれただけでなく、笑顔で感謝され、図書館に行きますねと言ってくれた。母語で話しかけるだけでこんなにスムーズにいくなんて。状況の変化にわたしはただ圧倒されっぱなしだった。


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