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【『逃げ上手の若君』全力応援!】㉔地蔵信仰VS諏訪信仰!? 地蔵に入れ込んだ足利尊氏と謎に満ちた諏訪大社との接点はあるのか…?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2021年7月18日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 主君である時行をパシリに使って〝うなぎ食べたかっただけ〟という頼重に、前回の感動も薄れる『逃げ上手の若君』第24話。
 神力が弱ったとはいえ、「色っぽい女見て失血死」(第16話・第24話参照)というのは、人違いだったけど見事当ててるよね……という突っ込みを入れたくもなります。

 また、今回は最後に足利尊氏が登場して「直義《ただよし》をここへ」と言って終わりますが、私が所属している南北朝時代を楽しむ会では、尊氏の弟である直義が推しだという女性会員がとても多いです。残っている図像などでは、直義は尊氏より〝イケメン〟です。尊氏の側近である高師直《こうのもろなお》・師泰《もろやす》兄弟が露骨に悪人面だったのもあり、直義のビジュアルはどうなんだろう……と気になるところです。

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 さて、その足利尊氏が壁に描くのは〝お地蔵様〟です。
 1991年放映の大河ドラマ『太平記』をご覧になった方(昨年、BSで日曜早朝に再放送もしていました)は、真田広之さんが演じる足利尊氏がお地蔵様の絵を描いているシーンが何回も登場したことを印象深く覚えていらっしゃるかもしれません。
 実際、尊氏自筆の地蔵画は全国各地に残っているそうです。地蔵像に関しては、自身が守仏として持っていたほか、足利氏の菩提寺である等持院には十万体(六十万とも)の地蔵像が安置されていたといいます。
 八木聖弥《やぎせいや》氏の『太平記的世界の研究』には、尊氏の地蔵信仰について、辻善之助《つじぜんのすけ》氏の「地蔵の力によつて、自分の戦争中に作つた種々の罪障を消滅せむことを願うた」という説を引用しつつも、「いつ命を落とすかわからない戦時にあって、みずからの保身として地蔵を信仰した」ことと同時に、「万一、戦に敗死することになれば、地蔵の慈悲によって導かれたいという思いもあったのであろう」とあります。

 「地蔵」はもともと「地獄に入って人々の苦しみを救済する」存在で、鎌倉時代には「信者の代受苦の菩薩であるため、信者の願いを代わってかなえたり、危難に際して信者の身代わりとなる「身代わり地蔵」の信仰へ発展した」〔『日本中世史事典』〕ということです。
 このシリーズの第21回や第22回でも、瘴奸《しょうかん》入道をめぐってこの時代の武士と地獄についてお話しましたが、殺生を生業《なりわい》とする武士にとって、死してのちに行く場所かもしれない地獄の案内人であり救済者である地蔵菩薩の存在は大きく、時代を制した足利尊氏をしても、その慈悲に自らの心を預けていたのかもしれません。

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 さて、時行と頼重の物語の側では「諏訪大社のご神体でもある守矢山《もりやさん》」が登場します。

 「上社本宮の社背林は、いわゆる神体山で面積約三〇ヘクタール、標高一六五九メートルの守屋山の中央部に位し、ひときわ目立つ神奈備《かんなび》であり、古くから宮山、あるいはミヤマと畏敬の念を捧げて尊崇され、みだりに入山を許さず、斧鉞《ふえつ》を加えず、鬱蒼たる林叢は原初のままの姿で、何の施設もなく、信仰の対象として祭祀が営まれ現在に及んでいる。」
 ※神体山…神の憑依する山として祭祀の対象となる山。
 ※守屋山…守矢山。
 ※神奈備…神の鎮まる場所、とくに神聖な森や山のこと。神隠(なび)の意で、ミモロとも同義とされる。
 ※斧鉞…おのとまさかり。

 上記は、戸矢学氏が『諏訪の神』で紹介しているものですが、かつて諏訪大社の宮司であった三輪磐根《みわいわね》氏が著書『諏訪大社』で1978(昭和53)年に記したものだということです。
 戸谷氏によると、「現在の諏訪大社では現役の神職が、守屋山は御神体ではない、と公然と主張しているが、これも戦後の神社界・神道界の意向に合わせたものであるだろう」などと、不穏なことが記されていて思わず、ええっ!?となります。
 これまでこのシリーズでも、諏訪大社とその信仰、そして諏訪氏をめぐる謎やねじれには触れてきていますが、こういうことが現代においても起き続けているというのは、何らかの都合の悪い真実が隠されているからに決まっていると勘ぐってしまいます。

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 ところで、今回の『逃げ上手の若君』で笑いが止まらなかったのは、「蒙古襲来で元軍を沈めた「神風」ね…あれ諏訪大社《うち》が祈って吹かせたんですよ」と、首から下だけの映像とおそらく音声は変えてある「諏訪大社関係者S・Y氏」なのですが、少年漫画である『逃げ上手の若君』の展開には、上で記した諏訪大社の謎(隠されてきた都合の都合の悪い真実)とこのことが、大きく関わっていくのではないかと私は勝手に想像しています。

 神功《じんぐう》皇后を守護して新羅《しらぎ》遠征を助けたのは『日本書紀』では住吉明神だが、中世の『平家物語』『八幡愚童訓《はちまんぐどうくん》』『諏訪大明神絵詞』などでは諏訪明神も加わり、軍神の性格を表している。〔『神道事典』〕
 ※神功皇后…4世紀後半ころの伝説的人物で、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后。記紀によると、熊襲(くまそ)征討の途中、神の怒りにふれて死んだ仲哀天皇のあとをうけ、のちの応神天皇を懐妊したまま新羅(しらぎ)に遠征しこれを征服(三韓征討)。帰国後、応神天皇を生み、その即位までの69年間摂政(せっしょう)として武内宿禰(たけしうちのすくね)とともに政治を行ったという。
 ※八幡愚童訓…鎌倉末期の神道書。著者不明。石清水八幡宮の霊験記で、中世における八幡信仰の特質をよく伝える(元寇における八幡神の活躍を説いてもいる)。

 神国としての日本を異国との関係で位置づけた時に、諏訪明神(諏訪大社)の神格が、何らかの要因で再評価されたのではないかと思われます。現代人にはどの神様も仏様も、それぞれの違いがよくわからないのですが、先にとりあげた地蔵が地獄の救済者であったように、神仏にはそれぞれ役割分担があり、当時の人々は願い事によって神仏を祈り分けていたようです。

 諏訪大社のおおいなる謎、中世における再評価とは何なのか……これは私などには大きすぎる課題です。とはいえ、研究としては困難を感じつつも、創作という面ではおおいに刺激を受けるテーマといえなくもありません。
 戸矢学氏は大変興味深いことを示唆しています。
 諏訪湖が「巨大断層の真ん中にできた断層湖」であることに注目して、次のように述べています。

 たとえばこの大断層をヤマタノオロチに見立てると、退治=鎮撫ということになり、その役割は諏訪大社の神威にふさわしい。断層の中心に鎮座して大地を押さえ込む大いなる力、あるいは二度と大災害が起こらないよう祈りを込めてここにいざなわれた強力な神・建御名方神。宮地に屹立する御柱《おんばしら》は、大地を沈めるために突き刺した巨大な槍のようにも見えるではないか。
 ※御柱…長野県の諏訪神社は御柱といわれる杭を四本(中には一本)立てる。これを御柱祭といい、申と寅年の六年毎に行われる。

 大断層の内部ーーヤマタノオロチがその入口を守る世界ーーには何があるのか……? 守矢山で、時行は雫から「諏訪の神域に住まう神獣たち」の存在を明らかにされます。そしてそこには「最近転入してきた」という牡丹までいます(第6話参照)。地獄とはまた別の、この世ではないない〝あの世〟の存在を私は感じます。そして、諏訪大社と諏訪氏は、その世界の〝この世〟での守護者であるのではないか……?

 松井優征先生のような漫画家であれば、『逃げ上手の若君』の中でその天才的な力によって、諏訪大社と諏訪氏の謎を解き明かしてくれるのではないかという期待が、私にはあるのです。

〔國學院大學日本文化研究所編『神道事典』(弘文館)、阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)、戸矢学『諏訪の神』(河出書房新社)、八木聖弥『太平記的世界の研究』(思文閣出版)を参照しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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