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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(125) 悪人面がデフォルトになってきた!?エグエグに突き進む斯波家長に捕らわれたのは……北条泰家最後の戦い「鎌倉合戦」を鈴木由美氏『中先代の乱』で確認してみる!

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年9月16日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「祢津小次郎君だったか 大分腕を上げたようだが
 「長尾の膂力りょりょくは二年で五倍に強化した 君の成長など誤差にすぎんよ

 「膂力」とは、「筋肉の力。腕力。」〔広辞苑〕のことです。長尾景忠さん、明らかに上杉憲顕に薬漬けにされています。景忠はそれに耐えられる強靭な肉体と精神力の持ち主なのでしょうが(それ以前に漫画の登場人物ですが(汗))、個人的には心配です。権力争いに負けて一族没落したところを憲顕に拾われたというのが『逃げ上手の若君』での景忠の設定です。失うものはなにもない「貧民」(第84話「小手指ヶ原1335」)からの再起をかけた鎌倉武士の景忠……覚悟が違います。
 ところで、腐乱ふらんのことは覚えていなかった憲顕ですが、弧次郎のことはしっかり覚えていたのですね。もちろん「小次郎」で。諏訪には本物の祢津小次郎がいますから、週刊少年ジャンプの人気バレーボール漫画のような〝双子技〟などもいずれ炸裂するのでしょうか!?
 それはさておき、窮地に立たされた時行と弧次郎の前にクールに登場したシイナ、かっこいいですね。

 「どうかシイナにご命令を

 まさに、週刊少年ジャンプの王道な展開!! しかも、単行本12巻でシイナが初登場するのと時期が重なっての再登場とは、憎いばかりの演出です。

 次回は休載ですので、「考える間」どころか我々読者は二週間も時間が与えられるという、『逃げ上手の若君』第125回です。待ち遠しい……。

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 「降伏せよ、北条時行!」「さすれば」「泰家だけは助けよう!

 中先代の乱の終結時に時行と逃若党と別れた北条泰家、ここでこのような姿で登場とは!? ーー泰家はこのあとじっくり確認をしますので、斯波家長について発言させてください。
 前回私は「倫理もへったくれもないところで、家長が「対北条の秘密兵器」とする怪しげな箱の中身も、節操のないものが入っていそうな予感がしています。」と記したのですが、実際のところ、棺くらいの大きさなので人間が入っているのかな?とは思ったのです。もしかして、北条の一族と重臣たちが集団自決した場所から人骨でも掘り出して「高時」とか言い出すのかなとか思ったのですが、〝よい子〟のみんなへの影響を考えて、まさか週刊少年ジャンプでそんな非倫理的なことはないだろうなと思いましたが……半殺しの泰家でも、オバチャンにはかなりの衝撃でした。
 利根川で時行の生存を確認して以来、家長の悪人面がツボにはまり、ガラホの画像データフォルダにコレクションしていた私ですが(すいません悪趣味で……)、今回ばかりは「きらいになりそう」と書いて妹にこの場面の家長を送ってしまいました。
 加えて、「返答が遅いゆえ拒否と見なす」「総攻撃開始!」も、待つ気なかったよね、君?という印象です。ーーにもかかわらず、家長のことは嫌いになれません。歪んで(そこが問題ありありなのは承知で)はいますが、家長の一途さは痛いほど伝わってきますし、「無遠慮」に突き進む彼の本心が果たしてどこにあり、どこへ向かおうとしているのか、目が離せないのです。

家長の揺さぶりに負けないで、時行!
(もちろんこの家長もコレクション入りです(汗))

 「桃井はまだ無名ですが武才は比類ない 近く必ず名をとどろかせる
 「京の直義様の護衛にしようと考えています

 桃井の無茶苦茶さに唖然とする憲顕に対して、こう告げる家長の柔らかい表情が印象的です。桃井はやがて直義派の代表的な武将となり、寝返り・裏切りは当たり前の時代に彼が直義派を貫く事実からも、『逃げ上手の若君』でかつて描かれた家長の直義に対する忠義と敬愛の心は、偽りではないのかもしれませんね。

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 最後はもちろん、北条泰家についてです。

 「不屈の男北条泰家は 中先代の乱の後信濃武士たちと二度反乱を起こしたが
 「一度目は信濃で小笠原貞宗に鎮圧され
 「二度目は鎌倉でこの斯波家長に敗れ去った

 『逃げ上手の若君』の連載が始まってすぐの頃、鈴木由美先生の講演を拝聴したのですが、先生は〝私は泰家が好きで、絶対作品にも登場すると思います〟と言ったとおり、パワフルなオッサンキャラで登場、活躍をしました。でも、ここにきて家長に捕まってしまうなんて(涙)。……いや、顕家を苦しめ、泰家にも勝った家長がやはりすごいのか!?
 それはそうと、泰家が中先代の乱後に起こした「反乱」の詳細は、上でもお名前を出した鈴木由美氏の『中先代の乱』の「第5章 知られざる「鎌倉合戦」」に詳しいです。以下、その中より第125話で示された説明部分に対応する内容を抜粋したいと思います。
 説明文中の「一度目は信濃で小笠原貞宗に鎮圧され」の部分ですが、『中先代の乱』によれば、延元元年(建武三、一三三六)二月十五日、「村上信貞は小笠原貞宗とともに信濃麻続(麻積)御厨(長野県東筑摩郡麻積村)・麻続十日市場(同)で「先代高時一族大夫四郎・同じき丹波右近大夫ならびに当国凶徒深志介知光」と戦った」ことが、残されている文書からわかっているそうです。そして、ここで記された「先代高時一族大夫四郎」が、北条泰家であるとされています(「丹波右近大夫」は北条一族の一人で、「当国凶徒深志介知光」は第125話の回想場面で泰家の脇を固めている「犬甘いぬかい知光」ですね!)。
 ※村上信貞…正慶二年(元弘三、一三三三)閏二月に護良親王の身代わりとなって討死した義日よしてる(義光)の兄弟で、信濃総大将として下向していた。『逃げ上手の若君』では、第101話「征夷大将軍1335」で登場しています。
 さて、「二度目は鎌倉でこの斯波家長に敗れ去った」の部分ですが、「敗戦を喫した中先代の乱からわずか半年ほど後に、北条氏は再び鎌倉に進行していた」という「延元元年三月に起こった合戦」を「鎌倉合戦」と鈴木氏は総称しています。

 「鎌倉合戦」の規模は不明だが、同時期に外部から鎌倉を攻めた例には、正慶二年五月の新田義貞、建武元年三月の本間氏・渋谷氏(北条与党)、同二年七月の北条時行、八月の足利尊氏、建武二年十二月から翌三年正月・延元二年十二月の北畠顕家の六例がある。本間・渋谷氏の鎌倉攻めの規模は不明であるが、残る五例は大規模な合戦であった。
 「鎌倉合戦」もこれらに準ずる規模であったと考えられる。「鎌倉合戦」での「大夫四郎」らは、鎌倉府内の侵入には成功したものの、最終的に斯波家長・吉良貞家らに撃退され、撤退したものであろう。

 「鎌倉合戦」の規模を見るに、当時、吉良貞家が「西国からの鎌倉に対する攻防の防波堤としての役割を最大の任務として」東海地方にあったにもかかわらず、鎌倉合戦に加わっている理由を、「現存兵力では鎌倉を守り切れないと判断した斯波家長が貞家に救援を求め」たからだろうと鈴木氏は推測しています。
 一方、進軍速度としては、「大夫四郎」こと泰家らが信濃から敵として鎌倉に攻め入ったのだとした場合、貞家が「東海地方から兵をまとめて鎌倉に向かい、間に合うだけの時間の余裕があったこと」からも、「挙兵の地は、情報伝達の速度から考えて鎌倉から遠距離にあった」と同時に、「前年の中先代の乱およびその前後の信濃での戦闘によってダメージを受けて」「万全でない状態で鎌倉に攻め入ったと判断される」ところと一致すると結論付けています。

 「重要人物にも関わらず その後の生死はわかっていない

 『中先代の乱』には、「「大夫四郎」=北条泰家は、これ以降史料から消える。」とありました。『逃げ上手の若君』では、時行が混乱した隙に長尾景忠に殺させる〝エサ〟として家長に捕らわれているとは……。驚きの展開に、この次どうくるのかまるで読めないで驚くばかりの自分です(泰家には、生き延び、どこまでも逃げ延びてほしい!)。

〔鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)を参照しています。〕


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