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YouTube「【因果応報?『太平記』が語る足利尊氏・直義兄弟の最期」を配信しました。

 冒頭の写真は等持院です。

 大河ドラマ『太平記』の再放送が終わってしまい、よく言われる〝〇〇ロス〟ってこんな感じかといったところです。

 30年前には、足利尊氏が弟・直義を手にかけるシーンも、ストーリー展開のひとつととらえて何とも思わなかったのですが、歳をとったせいか、胸に迫るものがありました。

 実際のところ、あんなに露骨に尊氏が直義に毒を飲ませたのか、毒殺にしても誰の仕業なのか、単なる病死だったのか、真相はわからないそうです。
年齢が上がるにつれて、兄弟が遺伝で受け継いだ要素の発現が高まって、似てなかった兄弟も似るというのを本で読んだりしたこともあります。かつて直義がしていたことを尊氏もして、直義はかつて尊氏が優柔不断にみえたかのような態度をとったという考えもありますが……。直義は常に、足利家のためというか、兄・尊氏を慕っていたのだと私は感じています。護良親王(大塔宮)殺害に関して言えば、父の後醍醐天皇に自分が認められず、尊氏ばかり……という宮の憎しみが、兄に向かおうとするその災いを絶ったという気がしないでもないのです。

 文学的、宗教的な解釈をすれば、直義は護良親王だけでなく、まだ幼かった恒良親王や成良親王の毒殺も命じており、彼らの無念さや死を受け入れざるをえなかった気持ちを、人生の最期に知ることになったのだと思います。自分自身を「用無きものに嘆き」(『太平記』)とある直義の、そこに救済があったものと思われます。

 まさにこれが因果応報、あれほど運のよかった尊氏もとうとう、前世で積んだとされる善因による〝運が尽きた〟ことが、背中の腫瘍に象徴されているのだなあと思わずにいられない最期でした。

 古典『太平記』は、輪廻転生を信じることなしに読み進めることができないと、人生の半ばを過ぎてやっと理解できました。そうであるならば、足利尊氏・直義兄弟もまた、因縁がすべて解消されて、どこかで再び、憎しみ合うことなくめぐり合っているといいな……と純粋に願うのです。

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 ↓ 以下は、YouTubeの動画の「概要」欄に記した内容です。

 大河ドラマ『太平記』の再放送・全49回が終了しました(2021年3月7日)。最終回では、足利尊氏が弟・直義を毒殺する場面が圧巻でした。しかしながら、直義の死の真相ははっきりとわかっていません。また、尊氏は背中に悪性腫瘍ができて亡くなっています。古典『太平記』では、この兄弟の死はどのように語られているのでしょうか……『太平記』を読みにあたり、因果応報や輪廻転生の思想を外すことはできません。

〔2021年3月10日にSNSにて配信を報告した際の投稿をそのまま掲載しています。〕

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