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【『逃げ上手の若君』全力応援!】④どこまで本当? 諏訪頼重と諏訪大社(上)

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2021年2月18日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 松井優征先生『逃げ上手の若君』(週刊少年ジャンプ)では、時行の諏訪での生活が始まりました。
 満面の笑みで光り輝きながら「なぜなら私(わたくし)…本物の「神様」でございますから」と言い放つ頼重に対して、時行は愕然とします。
 「ーーこの男」「末期末期とは思ってたけど」「末期だった」
 この場面には思わず笑ってしまいましたが、果たしてこれは、少年漫画世界にありがちな単なる〝設定〟なのでしょうか……?

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 「諏訪氏は武将と神官と「神」の役割を兼ね備えた…極めて特異な大名」

 作品中のこの解説はフィクションではありません。とても的確に、一言で諏訪氏を表現していると思います。
 『太平記』の本文を見ても、諏訪盛高が時行を連れて諏訪に到着したのち、「諏訪の祝(ほうり)を憑(たの)んでありし」とあります。
 この部分には「諏訪神社の神官を頼って(時行が)生活していた」という現代語訳が施されていますが、この時に諏訪神社の下社・上社を統括していた当主が諏訪頼重だったのです。

 諏訪神社の上社・下社の祝家は両社の神官を統率し、中世、信濃国で経済的にも軍事的にも絶大な力を持ち、特に上社の大祝の力は強かった。〔日本古典文学全集『太平記』の注より引用〕

 「祝(ほうり)」とは、一般的な名詞としては「神に仕えるのを職とする者」という意味を持ちますが、諏訪で「祝」と言えば諏訪氏のことを指します。そして『逃げ上手の若君』では「諏訪大社の当主」とされていますが、諏訪の「祝」の頂点として「大祝(おおほうり)」と称されたその人は「現人神」、つまり、人の姿となってこの世に降臨した存在として、諏訪の人々の信仰と忠誠とをその一身に集めたのです。
 ※「明神(みょうじん)」という呼び名も、ここではほぼ「現人神(あらひとがみ)」と同じ意味合いで使われていると思うのですが、詳細はまた別に機会にお話しできればと思います。

 また、諏訪頼重はどしゃ降りの中でも自分のもとに馳せ参じた武士たちのことをこう説明しています。

 「諏訪明神を信ずる武士で構成された「諏訪神党(すわしんとう)」は私への信仰の下(もと)精強にして鉄の結束を誇りまする」

 この解説もフィクションではありません。
 『太平記』にも、「神家(じんけ)一族三十二人」という表現がありました。諏訪神党の中でも、「諏訪神党三十三氏」という血族の集団があるそうですが、それを指していると思われました。
 ※武蔵野合戦に南朝方として戦った者たちを列記した部分で登場しますが、「神家」以外は武将の個人名が記載されていますので、三十三氏のうち三十二氏が家々の兵を率いて参戦したということなのでしょう。……でも、あと一氏はどうしてしまったのかしら?と、少しだけ不安になってしまいます。

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 少年漫画にありがちな、非現実的と思われる〝設定〟が、実は中世の諏訪氏をとりまく〝現実〟として存在していたこと、それと同時に、漫画作品として北条時行と諏訪の一族を現代に甦らせようとしている松井先生の才能には驚きを隠せません。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


 

 

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