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【『逃げ上手の若君』全力応援!】⑯大ピンチ!? 肝心な時に未来予知に頼れない諏訪頼重……神力を持つことの条件

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。  鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……? 〔以下の本文は、2021年5月22日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 『逃げ上手の若君』の諏訪頼重は一体どこまで未来が見えているのか……?
 あるいは、どんな見え方がしているのか……?
 想像ですが、ある物事の結果などが写真か映像みたいな形で断片的に〝見え〟ているのかなと思っています。だから、その結果に至るまでの詳細はわからずとも、自信をもって時行を小笠原貞宗の前に突き出したりできたのだと推測します。
 (第8話の犬追物の時に、動物虐待を弁明する場面がありましたが、未来(?)から知識や情報を何者かが伝える声がしているようですね。……ですが、それはまた純粋な未来予知とは違う能力が発現している感もあります(笑))。

 読者の皆さんが昨今のいわゆる〝スピリチュアル〟ブームについてどの程度興味や関心があるかわからないのですが、SNSやYouTubeでそうした世界に一歩足を踏み入れた際の情報の多さと内容の支離滅裂さに、正直私は辟易しています。
 だた、古典文学や中世の仏教・神道の思想の研究に携わるものとして、世の中に不思議な存在や能力があることを否定はしません。
 そして今回の第16話では、諏訪頼重が「あ…来ちゃった 未来見えない期」という事態に陥り、いつも以上の意味不明な行動に走っていましたが、果たして「神力」を使えるか否かが単なる周期だけの問題なのかを、古典文学や歴史書より探ってみたいと思います。

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 吉田兼好の『徒然草』に、神通力で空を飛んでいた久米の仙人が、洗濯している女性の真っ白なふくらはぎを見て、その色香に迷い、瞬く間に力を失って落下してしまったという話があります(第八段)。
 ※昔の洗濯は、川などで洗濯物を素足で踏んで汚れを落とします。

 『徒然草』では、久米の仙人の神通力を「通」という語で表していますが、「法力」という語もそうで、古い時代では、修行をして不思議な力(今で言うと「超能力」といった類)を得ることができると信じられていました。

 頼重の場合は「神力」という語が作品中で使われています。
 「神力」の意味は、基本的に「通」や「法力」と同じで「人智、人力を超越した霊妙不思議な力」(『日本国語大辞典』)ととらえるようですが、なんたって諏訪頼重は「神」ですから、修行して手に入れたわけではないのかもしれません。それこそ、頼重に生まれながらにそなわっていたものなのかもしれません。
 ですが、人間が生まれながらに「神」になれるなんて、そんな都合のいい話があるのでしょうか。
 
 そもそもなぜ、諏訪頼重ーー諏訪上社の大祝《おおほうり》ーーが諏訪明神という現人神として諏訪の地で絶対の力を持つことができるのでしょうか。

 『諏訪市史』にはこんな記述がありました。

 大祝に即位する人物は「清器初《きよつきはじめ》」を二十二日間神殿内にて行う。これは神長によりミシャクジを立て(諸神潅頂作法ともある)、十日毎の「清器替」を行い、日々の行水・散供・祓《はらい》の儀式を行い、厳しい精進潔斎の生活を必須条件とした。
 ※ミシャクジ…諏訪で縄文時代から信仰されてきた素朴な信仰を体現する神の呼び名とされ、神官長・守矢《もりや》氏が邸内で祀る神も「ミシャクジ」である。諏訪に伝承された諏訪明神神話は、在地の洩矢神と進入者の合戦が行われ、その結果、洩矢神は明神に従い、奉斎する側の司祭者、神長になったと伝えている。
 ※散供《さんぐ》…神仏の前に銭・花・米などをまき散らして供養すること。
 ※精進潔斎《しょうじんけっさい》…ある一定の期間、飲食を慎んで身を清めること。

 頼重がこれを行ったかはわからないのですが、戸谷学氏によれば、ミシャクジの依り坐《ま》しとして八歳の童子(男の子)が選ばれ、格子の張られた精進小屋の中で「わずかな飲食のみでひたすら正座して潔斎」をするこの「苦行」を次のように評しています。
 ※依り坐し…神霊が取り付く人間。特に、祈祷師が神霊を招き寄せて乗り移らせたり託宣を告げさせたりするためにともなう霊媒としての女性や童子。
 
 わずか八歳の童子には〝死〟を身近に感じる初めての体験であったろうし、また実際に寿命はいちじるしく阻害されたことであろう。格子越しに四六時中監視されている状態も、すでに人間扱いではないが、この後「大祝」という名の現人神になるのであるからもはや人間的な感情は失われていたかもしれない。 

 現人神である大祝は、死と隣り合わせの儀式を経なければならないことがわかります。そんな体験をしている可能性のある頼重だから、時行も言う通り「何を考えているか相変わらずわからない」のかもしれないのですが、ただ今回ばかりは実は明確なことがあります。
 玄蕃をして「血筋中毒か?」と言わせるくらい北条の「血筋が絶えるんで」ということに恐れを抱いていること、時行をして「心配そうに送り出してもらうのは…少し嬉しい」と思わせるほど「人間的な感情」をこれでもかと出しているということです。

 しかし、これこそが「神力」を失わせる原因なのかもしれません。

 冒頭で紹介した『徒然草』に登場した久米の仙人ですが、『今昔物語集』ではその後、神通力を失った原因となった女と夫婦になったといいます。
 時の天皇が二人の暮らす高市郡《たけちのこおり》に都の造営をするというので、男たちが人夫として労役につきました。役人たちはその中の一人の男が「仙人、仙人」と呼ばれるのを不思議に思い、男たちから久米の仙人夫婦の話を聞きます。役人たちは、そんなすごい人ならば、かつての修行の力も残っているかもしれないし、都の造営という目的のためであれば、材木を運ぶくらい術でできるのではないかと、かつて久米の仙人に対して冗談交じりに提案します。最初は無理だと思った久米でしたが、もしかしてと思い直し、静かな場所に籠って精進潔斎と礼拝を重ねた八日目に、伐り出した材木がことごとく造営地まで空を飛んで行ったといいます。

 術を使う目的、そして、役人たちの冗談に対してあくまで純粋に事に取り組んだ久米の仙人の心のあり方が、「通」(神通力)となって現実にはたらきかけたとはいえないでしょうか。

 『逃げ上手の若君』の諏訪頼重はどうでしょうか。
 諏訪氏と頼重の抱く北条への忠義、時行を思う気持ちとは、本来はどこへ向かうべきものなのでしょうか。北条の血筋を絶えさせないこと……ただそれだけなのですか、と私は思います。ーー本質ではない、世俗的なことに執着するのは、女の色香に迷わされて力を失った仙人とおそらく変わらないのです。

 ここまで何度もピンチを乗り切り、調子よくいきすぎて、頼重の潜在的な意識の部分で、神にはあってはならない「人間的な感情」、つまり、世俗的な恐れや不安が噴出したのかもしれません。
 「未来見えない期」が先か、頼重が無意識のうちに「神」ではなく「人間」の感情や思考にとらわれているのが先かについての真相はわかりかねますが、歴史書や古典文学によれば、おそらく後者なのだと私には思われます。

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 それにしても「人間」な頼重、時行がナメクジを食べて寄生虫死だとか、イイ女を見て鼻血死だとか、諏訪一族お得意の〝先読み〟の能力が過剰な状態なのかもしれませんね。

〔諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』、戸矢学『諏訪の神』(河出書房新社)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『徒然草』(角川ソフィア文庫)、日本古典文学全集『今昔物語集』(小学館)を参照しています。〕を参照しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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