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【『逃げ上手の若君』全力応援!】⑲「童(わらべ)」のパワーはどこまで? …当時の子どもたちについて知ってみる

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。  鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……? 〔以下の本文は、2021年6月12日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 額に「仏」で三色旗の入れ墨(?)をした征蟻党の幹部の名前が「腐乱《ふらん》」にはしてやられた『逃げ上手の若君』第19話でしたが、大人顔負けの戦略で征蟻党の悪党どもを追い詰めていく吹雪と、果敢に剣を振るう弧次郎や亜也子。
 「ここは我々童《わらべ》が」とクールに言い放つ吹雪ですが、果たして少年少女たちでこんなにも戦えるなんて、『週刊少年ジャンプ』の作品だからだと思いますよね。ーー実際はどうなのか、調べてみたいと思いました。

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 源頼朝の初陣は十三歳の時であったと言います。武田信玄で有名な甲斐の武田氏は、家臣の初陣を十六歳と定めたと伝えられています。第17話では、時行が吹雪のことを「齢《よわい》は十代半ば」と推測していますが、当時の初陣の年齢から考えれば、多少は出来過ぎの感があったとしても、吹雪の言動に違和感はないように思われます。

 また、頭脳の面でも、『徒然草の』最終段である二百四十三段では、筆者の吉田兼好が八歳の時に、「仏とはいかなるものにか候《さうら》ふらむ」と言って、哲学的な質問を父に投げかけ、兼好の父は答えに窮してしまったことが語られています。

 古典『太平記』では、後醍醐天皇に幕府への謀反を勧めたという罪で佐渡に流され斬首された日野資朝《ひのすけとも》の子・阿新《くまわか》のエピソードがあります。
 阿新はその時十三歳。
 父の最期を見届けるために中間《ちゅうげん》を一人連れて佐渡に渡ります。守護の本間は、会わせれば資朝は未練が残るだろうし、幕府への目もあるからと、対面をさせないまま資朝を斬りました。
 阿新は、中間に父・資朝の遺骨と辞世の頌《じゅ》を持たせて都の母のもとへ返しますが、自分は病と偽って屋敷にとどまり、夜の間に屋敷の構造や本間らの動きを探り、復讐の機会を狙います。そして、風雨激しき夜、本間の息子で実際に父を斬った三郎が熟睡しているのを、太刀を奪って刺し殺します。
 追手を振り切り、山伏に助けられた阿新は越後に脱出し、成人してのちは国光と名乗り、父の遺志を受け継いで南朝のために尽くすのです。
 ※中間…(「仲間」とも書く)中世、公家・武家・寺院などに仕える従者の一種。
 ※頌…仏教の真理を詩の形で述べたもの。

 阿新は、三郎の寝所の灯火が明るく、忍び込んでもすぐに気づかれると思い踏み込めないでいましたが、障子を少し引き開けます。夏の夜のこと、そこにたくさんたかっていた蛾を室内に入れて灯火を消させてから中に入り、三郎の刀を奪うのです。さらに、熟睡しているところを襲うのは卑怯と思い、目覚めさせてからその刀で三郎に切り込んでいます。

 脚色はあるかもしれませんが、おそらく十三歳の子どもであればこれくらいの武勇を持ち、智恵を巡らせ、行動することは可能という前提があった上で、物語は成立していると推測します。

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 南北朝の争いの中、九州の地で南朝唯一の地方制覇を成し遂げた征西将軍宮・懐良(かねよし・かねなが)親王は、七歳の時にわずか十二人の従者とともに都から九州を目指し、菊池武光に迎えられて九州南朝の中枢である征西府を肥後に置くまでに十年もかかったということです。

 また、時行と同じ八歳と言えば、本シリーズの第16回で、諏訪の大祝《おおほうり》が現人神《あらひとがみ》となるために、死と隣り合わせの儀式をその歳で経験していることを紹介しました。

 童子には聖性が宿り、現実の世界と神仏の世界とを行き来することが可能とされていたという時代だったということですので、将軍や大祝にその点も考慮されて童子が据えられたことも見逃せないと思います。しかしながら、その「童」たちがどのように成長していくかは、大変重要なことで、もともとの素質もさることながら、成長にあたってどのような大人が周囲にいて彼らを導いたのかも大きいと感じます。

 『逃げ上手の若君』の諏訪頼重で言えば、自らが八歳で生死を超えるような体験をして(いる可能性が高く)、子どもがそんなやわな存在ではないことを身をもって知っており、同時に、諏訪氏お得意の洞察力と明神としての未来予知の神力によって、子どもたちが個々に持つ資質や能力を安全に開花させる自信があるのだと考えます。だからこそ、時行にあえて大人ではなく「童」の郎党を与えて、子たちの可能性を最大限に引き出そうとしている気もするのです。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』『徒然草』(角川ソフィア文庫)、阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)、「菊池一族」公式HPを参照しています。〕


 Facebookの投稿で本記事について補足をしました。


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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