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志賀直哉が「小説の神様」?(5)(2021)

第7章 志賀と写生文
 前近代の文学において作者と読者の共通基盤は典拠である。しかし、近代は個人主義であり、実際にはともかく、共同体の文学規範に依存することができない。そこで正岡子規は典拠に代わり共通基盤を提唱する。それが写生文である。

 写生文とは知覚したものをありのままに書くことである。絵画のデッサンの拡張で、対象を大づかみに把握して文章にするアートだ。これなら、古典教養や西洋思想の知識がなくても読み書きができ、お互いに理解し合える。

 ただし、美術と文学の間には違いがある。美術は視覚に訴えるから、個別的・具体的なものを描けるが、一般的・抽象的なものを苦手とする。一匹の猫の絵はある個別的な猫を描いているのであり、一般的なそれではない。また、「愛」をテーマにする場合、抽象性を著わせないので、具体的なもので比喩的に表現する。他方、文学は言葉を用いる。一般的・抽象的なものを示せるが、個別的・具体的なものは苦手だ。写生文に求められるのは、そのため、個別性・具体性の描写である。

 内容において見るべきものがない志賀の小説であるが、その評価の一因として精緻な描写がしばしば挙げられる。『網走まで』の赤児や子供と母親のやりとりや『和解』の出産の場面、『城の崎にて』の情景などがそうした例である。

 しかし、志賀の描写は個別性・具体性が不十分である。それは社成分の発想に反している。

 一例として、『城の崎にて』の次の部分を引用しよう。

 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関で屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角をだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまはるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。

 短いセンテンスとセンテンスの関係は、三日後のことが突然現在に混入して表われるように、統語法的には秩序だっておらず、断片的に置かれ、流れるように連なっていない。気分を描こうとしているとわかるが、志賀は「如何にも」を多用している。これは一般的に世の中の人々がまさにそう思っているものという意味である。個別的描写になっていないどころか、「流石老舗の味」同様、何も言っていないに等しい。

 しかも、志賀は「如何にも」を抽象的な言葉に前置詞手いる。「如何にも生きている物」や「如何にも死んだもの」、「如何にも静かな感じ」など一般性+抽象性である。これでは写生文の描写にならない。志賀は、他にも、「淋しかった」と書いているが、それを使わないで、読者にそう思わせるのが文学表現である。

 蜂を始め具体的事物の描写はよく捉えている。しかし、それについて感じたことを志賀はそのまま記してしまう。しかも、その際、「如何にも」と就職する。近代において価値観が個人に委ねられている。ある対象に対して価値判断する場合、共同体の規範に依存してそれを表現してはならない。自分お価値観にとってどのようなものであるかを語る必要がある。志賀はそれができていない。事物の描写が優れていても、価値判断の表現が不適切では、文学的に評価することは困難である。

 『大阪の反逆』の中で志賀の小説は「文学」ではなく「作文」にすぎないと酷評した坂口安吾は、『志賀直哉に文学の問題はない』において、志賀直哉について次のように述べている。

 志賀直哉の一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない。彼の小説はひとつの我欲を構成して示したものだが、この我欲には哲学がない。彼の文章には、神だの哲学者の名前だのたくさん現われてくるけれども、彼の思惟の根底に、ただの一個の人間たる自覚は完全に欠けており、ただの一個の人間でなしに、志賀直哉であるにすぎなかった。だから神も哲学も、言葉を弄ぶだけであった。
 志賀直哉という位置の安定だけが、彼の問題であり、彼の我欲の問題も、そこにいたって安定した。然し、彼が修道僧の如く、我欲をめぐって、三思悪闘の如く小説しつつあった時も、落ちつく先は判かりきっており、見せかけに拘らず、彼の思惟の根底は、志賀直哉という一つの安定にすぎなかったのである。
 彼は我欲を示し肯定して見せることによって、安定しているのである。外国には、神父に告白して罪の許しを受ける方法があるが、小説で罪を肯定して安定するという方法はない。ここに日本の私小説の最大の特徴があるのである。
 神父に告白して安定する苦悩ならば、まことの人間の苦悩ではない。志賀流の日本の私小説も、それと同じニセ苦悩であった。
 だが、小説が、我欲を肯定することによって安定するという呪術的な効能ゆたかな方法であるならば、通俗の世界において、これほど救いをもたらすものは少い。かくて志賀流私小説は、ザンゲ台の代りに宗教的敬虔さをもって用いられることとなった。その敬虔と神聖は、通俗のシムボルであり、かくて日本の知性は圧しつぶされてしまったのである。
 夏目漱石も、その博識にも拘らず、その思惟の根は、わが周囲を肯定し、それを合理化して安定を求める以上に深まることが出来なかった。然し、ともかく漱石には、小さな悲しいものながら、脱出の希いはあった。彼の最後の作「明暗」には、悲しい祈りが溢れている。志賀直哉には、一身をかけたかかる祈りは翳すらもない。
 ニセの苦悩や誠意にはあふれているが、まことの祈りは翳だになく、見事な安定を示している志賀流というものは、一家安隠、保身を祈る通俗の世界に、これほど健全な救いをもたらすものはない、この世界にとって、まことの苦悩は、不健全であり、不道徳である。文学は、人間の苦悩によって起こったひとつのオモチャであったが、志賀流以来、健康にして苦悩なきオモチャの分野をひらいたのである。最も苦悩的、神聖敬虔な外貌によって、全然苦悩にふれないという、新発明の健康玩具であった。
 この阿呆の健全さが、日本的な保守思想には政党的な健全さと目され、その正統感は、知性高き人々の目すらもくらまし、知性的にそのニセモノを見破り得ても、感性的に否定しきれないような状態をつくっている。太宰の悲劇には、そのような因子がある。
 然し、志賀直哉の人間的な貧しさや汚らしさは、「如是我聞」に描かれた通りのものと思えば、先ず、間違いではなかろう。志賀直哉には、文学の問題などはないのである。

 志賀直哉への文学的評価はこれに尽きる。

第8章 気で病む男
 志賀直哉の小説は、具体的事物の描写を除いて、近代の文学の要件を満たしていない。彼を「小説の神様」と見なすことはやめなければならない。確かに、精神性・道徳性の発達段階が幼児程度の作品世界は独特である。しかし、DV文学としての検証には適しているだろうが、その点から志賀の小説を救うことなどできない。

 志賀の幼児性はかねてより指摘されている。けれども、それを理論的に考察することはあまりない。また、そうした幼さが近代文学に不適切な理由の説明も同様である。そのため、志賀の幼児性を問題点としながら、既成事実として認めてしまう論も見受けられる。むしろ、ただ、批判は現にあるものを自明視せず、他の可能性を提示することでもある。志賀が書いた小説ではなく、書かなかったものの中に取り逃がした機会があったのではないかと検討することが必要である。

 アランは、『幸福論』所収の「気で病む男」において、志賀直哉タイプの男について次のように述べている。

 ほんのちょっとしたことが原因で、せっかくの一日をだいなしにすることがある。たとえば、靴にとげが出ているといった場合だ。こんなときには、なに一つおもしろいことはないし、頭はぼんやりしてうまく働かない。療法は簡単だ。こういう不幸はすべて、着物のように脱ぎすてることができる。われわれはそのことをよく知っている。そして、こういう不幸は、原因を知ることで、今すぐにでも軽減される。ピンの先きに痛みを感ずる乳呑子は、まるでどこかひどく悪いところがあるように、大声をあげてわめき立てる。つまり、乳呑子は原因のことも、療法のことをも考えない。そして時には、泣きさけぶことでぐあいがわるくなり、そのためいっそうひどく泣きさけぶ。これこそ、健康上の病気といわれるべきものだ。これもほかの病気と同じく、本物の病気である。この病気が気で病む、想像的なものだということは、それがわれわれの動揺からつくり出されていること、と同時にわれわれがそれを外的な事柄のせいにしている、という点である。泣きわめくことでみずから苛立つのは、なにも乳呑子ばかりではない。
 人はよく、不機嫌というのは一種の病気で、どうにも手に負えないものだ、という。わたしが最初に、きわめて簡単な運動ですぐにとりのぞくことのできる苦痛や苛立ちの例をふたたび持ってきたのは、そのためである。ふくらはぎがひっつると、どんなしっかりした大の男でも悲鳴をあげることは、だれでも知っている。しかし、足のひらを平らにして地面に押しつければ、立ちどころになおる。ブヨや炭の粉が目に入った場合、こすりでもしようものなら、二、三時間はいやな目にあう。しかし、両手そのままに動かさないで、鼻先をながめていれば、すぐに涙が出てきて不快な目にあわずにすむ。この簡単きわまる療法を知ってから、わたしは二十度以上もためしてみた。これは、はじめから自分の周囲の物事のせいにしないで、まず自分自身に気をつけることが賢明であることの、なによりの証拠である。ひとをみていると、不幸をことさらに好んでいるように見うけられることがあるが、これはある種の狂人たちの場合いっそう拡大される。ここから、なにか神秘的な、と同時に悪魔的な感情を考えることができるだろう。それは想像力にだまされているのだ。自分をひっかいたりするような人間には、それほど深みがありはしない。苦痛を欲することだって少しもありはしない。むしろ、原因を知らないために、動揺と焦燥とが互いに結ばれ合い強め合っているのである。馬から落ちることの恐怖は、落ちまいとして下手にじたばたすることから生ずる。そして、一番わるいのは、じたばたすることで馬をこわがらせることである。そこでわたしは、スキタイ人流にこう結論したい。乗馬の術を心得ている人は、あらゆる知恵、もしくはほとんどあらゆる知恵を身につけている、と。落ちる術さえもである。よっはいは、うまく落ちようなどと少しも考えずに、それでもうまく落ちるのだから、驚く。消防士は、おそれずに落ちることを訓練で身につけているから、みごとなものである。
 微笑は、気分に対してはなんらなすところがなく、効果もないように見える。だから、われわれは少しもそれをやってみようともしない。しかし、礼儀というものは、しばしばわれわれのもとに微笑やしとやかな挨拶をひきよせて、われわれを全く変えてしまうものである。生理学者はその理由をよく知っている。つまり、微笑というものは、あくび同様深く下の方まで降り下り、次々と喉や肺や心臓をゆったさせる。医者の薬箱のなかにだって、こんなにはやく、こんなにうまいぐあいにきく薬はあるまい。ここで、想像力は鎮静作用によってわれわれから苦痛をとり去る。そして、鎮静作用も、想像力が生み出す病気におとらず実在する。また、のんき者らしい格好をする人は、首をすくめることをよく知っている。この動作は、よく考えてみると、肺の空気を入れ換え、あらゆる意味で心をしずめるものだ。あらゆる意味で、というのは、心ということばにはいくつかの意味があるが、心臓は一つしかないからだ。

 これは、まさに、志賀直哉に対する批判である。志賀は「気で病む男」だ。彼の私小説の主人公は「微笑」から遠く、最も魅力のない表情をしている。それを少なからずの文学者は評価している。しかし「自分をひっかいたりするような人間には、それほど深みがありはしない。苦痛を欲することだって少しもありはしない。むしろ、原因を知らないために、動揺と焦燥とが互いに結ばれ合い強め合っているのである」。

 アランが例に出す「不機嫌」から抜け出すアイデアはヘンリー・ジェイムズの兄ウィリアム・ジェームズの提唱したジェームズ=ランゲ説である。これは、一口で言うと、「悲しいから泣くのではなく、泣くから哀しいのだ」ということだ。感情が表情の変化をもたらすのではなしに、その逆だと「小説の達人」の兄は言う。泣く表情を作れば、悲しくなるし、笑いも同様である。実際、口角を上下させるなど試してみると、それを体感できる。確かに、アランの提案は不機嫌から脱出する一つの方策である。自分を対象化すれば、不快から抜け出す知恵が思いつくものだ。なお、ランゲはデンマークの心理学者のカール・ランゲのことである。

 「気で病む男」志賀は自身の作品世界を「悲劇」と見なしたいようだが、彼にふさわしいのはむしろ喜劇である。「この病気が気で病む、想像的なものだということは、それがわれわれの動揺からつくり出されていること、と同時にわれわれがそれを外的な事柄のせいにしている、という点である。泣きわめくことでみずから苛立つのは、なにも乳呑子ばかりではない」精神性・道徳性の発達段階が幼児並みの高学歴の成人が引き起こすトラブルなど喜劇の格好の設定だろう。漱石の『坊っちゃん』の系譜を引き継ぐ喜劇作家が本来目指すべき方向だ。志賀直哉にふさわしい呼称は「小説の神様」ではなく、は「小説の道化」にほかならない。
〈了〉
参照文献
志賀直哉、『志賀直哉全集』全15・別1、岩波書店、1973~84年
同、『和解』、新潮文庫、1949年
同、『清兵衛と瓢箪・網走まで』、新潮文庫、1968年
同、『暗夜行路』、新潮文庫、1990年
同、『小僧の神様・城の崎にて』、新潮文庫、2005年

アラン、『幸福論』、串田孫一他訳、白水社、2008年
E・H・カー、『歴史とは何か』、清水幾太郎訳、岩波新書、2014年
柄谷光人、『意味という病』、講談社文芸文庫、1989年
河合幹雄、『日本の殺人』、ちくま新書、2009年
菊池寛、『マスク スペインかぜをめぐる小説集』、文春文庫、2020年
ロバート・L・ゲイル、『ヘンリー・ジェイムズ事典』里見繁美他訳、雄松堂出版、2007年
坂口安吾、『坂口安吾全集』15、ちくま文庫、1991年
スポーツ・グラフィックナンバー 編、『豪打列伝〈2〉』、文春文庫―ビジュアル版、1991年
シオドア・ドライサー、『アメリカの悲劇』上下、 大久保康雄訳、新潮文庫、1978年
中野重治、『本とつきあう法』、ちくま文庫、1987年
中村光夫、『中村光夫全集』4、筑摩書房、1971年
F・ニーチェ、『ニーチェ全集』12・13、原佐訳、ちくま学芸文庫、1993年
林泰成、『道徳教育論』、放送大学教育振興会、2009年
向田久美子、『発達心理学概論』、放送大学教育振興会、2017年
森津太子、『現代社会心理学特論』、放送大学教育振興会、2015年
森毅、『ひとりで渡れば危なくない』、ちくま文庫、1989年
同、『もうろくの詩』、青土社、2008年
渡辺弥生、『感情の招待』、ちくま新書、2019年

「マスク スペインかぜをめぐる小説集」、『文藝春秋BOOKS』、2020年
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167916138
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp

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