教養教育としての批評(2020)
教養教育としての批評
Saven Satow
Dec. 14, 2020
「人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい批評家になるということは何を意味するのだろうか」。
江藤淳『小林秀雄』
1 教養教育
香港政府は教養教育に代えて愛国教育を重視するカリキュラムに変更する方針だと『読売新聞』2020年11月27日22時42分更新「香港の高校『教養教育』を縮小…中国への愛国心育成重視へ」が次のように伝えている。
【広州=吉岡みゆき】香港政府は26日、高校の必修科目で、教師と生徒が社会問題を議論する「通識科」を縮小し、中国人としての意識の養成を重視する内容に変更すると発表した。
香港紙・明報などによると、通識科は批判的思考能力などを身に付け、教養を深める教育で、これまで「今日の香港」や「現代中国」をテーマに扱い、人権や民主化にも触れていた。中国政府と香港親中派は、若者が反政府抗議活動に傾倒する要因の一つになっていると問題視していた。
3年で250時間の授業時間を来年度から半減させる。授業では世界的視野での発想を育てるとし、順法意識や愛国心育成を狙ったものを導入する。「国情と国家の発展を身をもって知る」(楊潤雄教育局長)ことを目的に、最低1回は中国本土で社会見学をする。
香港で反体制活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)は、学校で「国家安全教育」を行うよう香港政府に義務づけており、今回の変更につながった。
教師で作る組合は「通識科を殺すに等しい」と批判し、民主派学生団体は「政府は生徒を洗脳しようとしている」と反発している。
この「教養教育」は「リベラル・エデュケーション(Liberal education)」のことである。それは自立した思考をするための教育である。「リベラル」、すなわち「自由」の訳語として「教養」があてられている。権威や権力に依存せず、自由に物事を考えるためには「教養」が必要だという発想がそこにある。「自由」や「自立」を目指す教育であるから、パターナリズムを隠さない香港政府は手を加えようとしている。
ところが、日本ではこの「教養教育」をめぐる誤解がしばしば認められる。中央教育審議会は、平成14年2月21日付『新しい時代における教養教育の在り方について(答申)』において、「教養教育」に関して次のように述べている。
かつては,教養について,「知識人としての教養の脈絡あるリスト」とでもいうべきものがあった。それは,例えば,学問の体系の基礎を成す哲学や思想,科学,文学や芸術の古典をはじめ,教養として広く認められた書物のリストであった。また,書物による知識のみならず,人格陶冶のための様々な修養を含むものでもあった。
しかしながら,哲学を諸学の基礎とするような学問の体系性が失われ,学問の専門化,細分化が進む中で,教養についての共通理解というべきものが失われてきた。また,我々は,教養の一部としての修養を忘れ始めている。社会全体の価値観の多様化,体系的な知識よりも断片的な情報が偏重されがちな情報化社会の性格,効率を優先して精神の豊かさを軽視する風潮の広がりなどがこの傾向に拍車をかけたと考えられる。
本審議会では,こうした教養の歴史を踏まえながら,今後の新しい時代に求められる教養とは何か,また,それをどのようにして培っていくのかという観点から審議を行った。
中教審は「教養」をめぐって「自由」や「自立」に言及していない。「教養」が「知識人」にとっての共通理解の基盤だったことは確かだが、「教養教育」はその学習という意味ではない。それは自立した人間として自由に思考するにための教育である。古典についての知識を丸暗記すること「教養」を身に着けることではない。だから、この場合の「教養」は学習の内容と言うよりも、方法を指す。それを理解していないので、「新しい時代における教養教育の在り方」として知識内容について論じてしまう。あまりに無教養な態度で、「教養」に関して議論している姿はに、まずは無知の知の自覚をした方がよいと思わずにいられない。
2 教養教育と批評
カナダの文芸批評家ノースロップ・フライ(Northrop Frye)は、大著『批評の解剖(Anatomy of Criticism)』(1957)においてそ「教養教育」の方法について明確にしている。「私が批評と言うとき、それはリベラル・エデュケーション、文化、人文科学研究などさまざまに呼ばれているものの一部をなし、文学に関係する学問および趣味の全業績を意味している。批評はたんにこの広範な活動の一部であるだけでなく、その必要欠くべからざる部分であるという原理から私は出発している」と述べている。「リベラル・エデュケーション」は自立して自由に思考するための学習である。そのため、「教養教育」に「批評」が欠かせない。
「批評」を学問の方法とする主張は、言うまでもなく、フライが初めてではない。ジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668~1744)は『学問の方法』(1709)において、「新しいクリティカはすべての学芸に共通の道具である」とし、創造力やレトリック、共通感覚を重視し、デカルト的な真理探求を基調とする学問観に異議を唱えている。生前は不遇だったが、後に、ヴィーコの循環する歴史観はG・W・F・ヘーゲルに先立って歴史の運動姓を提唱したと評価される。また、著作に関しても、エーリッヒ・アウエルバッハやエドワード・サイード、イエール学派らによって卓越した分析が示されている。
フライはいかに「批評」が「リベラル・エデュケーション」に寄与するのかについて次のように述べている。
リベラル・エデュケーションの倫理的目的は解放することにある。そしてその意味は、自由な、階級のない、洗練された社会を構想する能力を与える、ということ以外にはありえない。そのような社会は存在しないが、そのことこそ、リベラル・エデュケーションが想像力の作品に深くかかわらねばならぬ一つの理由なのである。芸術作品の内なる想像的要素が、芸術を歴史の絆から再び解放する。批評の全体験の中から現われて、リベラル・エデュケーションの一部をなすに至ったものは、その事実のおかげで、本来何に関連していたものであろうとも、解放された人間の文化的共同体に加わるのだ。こうして、リベラル・エデュケーションは、教育を受ける精神のみならず、文化的作品そのものをも解放する。人間の芸術は腐敗の只中から作り出されるし、その要素は永久に芸術の中に残るであろう。しかし芸術の想像的要素が、まるで聖人の遺体のように、腐敗にもかかわらずそれを保存するのである。美を論ずる時には、孤立した作品の中の形式的諸関係だけでおしまいにするわけにはゆかない。芸術作品は社会的努力の到達点、つまり完全な無階級文明の理念に参与するものであること、このこともまた、考慮されねばならぬ。
「リベラル・エデュケーションの倫理的目的は解放すること」であり、それは「自由な、階級のない、洗練された社会を構想する能力を与える」。「そのような社会は存在しないが、そのことで、リベラル・エデュケーションが想像力の作品に深くかかわらねばならぬ一つの理由」である。それは芸術作品が物語っている。芸術は「腐敗の只中から作り出される」が、歴史を超えて美を伝える。そうした芸術の捜索に「想像力」が不可欠であり、その作用をはぐくむのが「リベラル・エデュケーション」である。自由で自立した思考の教育が現実や歴史から解き放たれた理想の探究を可能にする。従って、「リベラル・エデュケーションは、教育を受ける精神のみならず、文化的作品そのものをも解放する」。
その教養教育の最も重要な方法が「批評」だとフライは言う。「創造と知識、芸術と科学、神話と概念、これらの間の失われた連鎖を回復しようとする仕事こそ、私が心に描く批評の姿である。再び言う、私は批評の方向ないし活動を変えようと言っているのではない。私が言いたいのは、ただ次の事である--もし、批評家たちが自己の本分に励むならば、彼らの努力の社会的実際的結実として、上述のことが次第にはっきりと現われてくるであろう」。こうしてリベラル・エデュケーションとしての「批評」が個人のみならず、文化にも解放をもたらし、理想の社会の実現に寄与することになる。
3 教養教育とカント
先の中教審が「教養教育」をめぐって言う「哲学を諸学の基礎とするような学問の体系性」はおそらくイマヌエル・カントを念頭に入れてのことだろう。カントは中世以来の神学・法学・医学の権威に対して哲学の重要性を主張したとされている。しかし、これにも誤解がある。カントが『諸学部の争い(Der Streit der Fakultäten)』(1798)において述べているのは「哲学」ではなく、「哲学部」である。
『諸学部の争い』は、『人間学』と並んで、カントが生前に公表した最後の著作である。初版の諸論文は検閲に遭って発禁処分となったため、序言にはフリードリッヒ・ヴィルヘルム2世への弁明が記されている。
カントによると、大学には神学・法学・医学の「上級学部」と哲学の「下級学部」という序列が存在する。人間には宗教的・社会的・身体的の三つの幸福追求があり、上級学部の教説はそれにこたえるため公衆に大きな影響力を持っている。神学部は信仰による永遠の幸福、法学部は社会の各成員の市民的な幸福、医学部は健康と長寿という肉体的な幸福を取り扱う。上級学部は宮廷、すなわち政府から委託されて、聖書や国法、医療法規といった文書に基づく規範を整備し、公衆の生活に関与する。国家は権力を行使して、そうした上級学部の学説を認可・統御している。
一方、下級学部は国家の関心からは独立し、その教説は公衆の理性のみに委ねられている。哲学部は国家権力の後ろ盾がない反面、すべての学説を判定する理性の自由がある。国家の利害に対して自律しているのだから、扱う領域も限定されておらず、自由である。下級であるにもかかわらず、上級学部に対してメタ的立場がある。それにより国家権力の限界も明らかにできる。上級学部が無批判的に国家の意向を追認するとしたら、下級学部は理性に基づいてそれを吟味する。そうした提言は国家権力による社会に対する不利益を防止することにつながる。幸福に答えるはずの教説がそれに反する事態をもたらしてしまうことを防ぐ。
このカントの主張は2020年に露呈した学術会議問題に通じるものがある。政治権力から独立し、自由に学問研究をすることは、政府や議会が独善主義に陥り社会に不利益を及ぼすことを防止する。また、真理の探究は少数から始まることもしばしばで、学問の自由の保障は民主主義最大の問題の一つである多数派の暴政の抑制にも相次字る。
カントの「哲学部」は、今日で言うと、東大などに設置されている「教養学部」と理解できよう。それは人文科学・社会科学・自然科学の分野を横断的に研究する。大学の一学部でありつつ、特定の専門に縛られていないため、批判理性を行使する権利を無条件に持ち、学問をオールラウンドにカバーする。スペシャリストではなく、ジェネラリストというわけだ。カントの主張を専門課程に対する教養課程と解し、それに関連して論じることは適切ではない。
カントが論じている「哲学部」の教育内容は、むしろ、「教養教育」と捉えるべきである。教養教育は学問に対して反省的態度で臨むことが学べる。このようにカントに依拠しても「教養」は「知識人」の共通基盤ではなく、権力や権威に依存せず、その問題点を自由で自立した思考によって批判することを意味する。批判は、まさにカントが示したように、議論を精緻にしたり、選択肢を広げたり、代替案を示したりすることである。
つまり、「リベラル・エデュケーション」としての「批評」は諸学問の成果を踏まえつつ、自立して自由に批判的に考察する「俯瞰批評」である。「教養」こそが政治権力から自立して自由に思考する「総合的、俯瞰的」態度だ。学問の自由を「総合的、俯瞰的」見解によって抑圧することに「教養」はない。むしろ、無教養であると、依存と従属を要求する。
4 教養と批評
もちろん、フライの批評理論もリベラル・エデュケーションの精神によって批判的に考察されねばならない。フライに対する代表的な批判としては、『幻想文学』のツヴェタン・トドロフや『文学における構造主義 ある序説』のロバート・スコールズ、さらにイエール学派のポール・ド・マンの名があげられよう。トドロフやスコールズの批判がテクニカルなジャンル論に関わっているのに対して、ド・マンはむしろフライの方法論の前提に遡って批判に向かっている。その違いがトドロフやスコールズらがド・マン以上に影響力を持ち得なかった要因であるように思われる。フライらの「ニュー・クリティシズム」に代わって後に批評界で主流になっていったイエール学派のド・マンの批判に触れておこう。
ド・マンは、『アメリカン・ニュー・クリティシズムにおける形式と意図(Form and Intent in the American New Criticism)』において、フライの主張したテクストの「自立性」とそれを「精読」することによる解釈という方法は社会主義批評や宗教的解釈学批評に専念していた当時のヨーロッパ批評に大変な衝撃を与え、優れた「洞察」があったと評価できる。だが、フライは「意図」と「狙いをつける」ことを同一視し、文学作品は何かを「狙う」ことをしてはならないと断言していることには「盲点」があると指摘する。そもそもつくり手は「意図」を持って要素を組み立てていくという考え方をするのであって、文学作品は「石」のような「自然の物」ではなく、あくまでも「人工的なもの」、すなわち「構造物」であることを大前提にしている以上、フライの批評における「意図」の排除という原理は疑問を投げかけざるを得ないと主張している。もしも「狙いをつける」というような比喩で語るなら、文学作品は「人工的な的」を狙ってよいのであって、「狙いをつける」ことそれ自体を問題にすべきではない。つまり同じ「銃」でも、「猟師の手にする銃」は「実用」に耐える「道具」であるかもしれないが、「競技者の手にする銃は実用」ではない「玩具」であり、「玩具」としての「銃」の存在を認めないわけにはいかない。文学とはこの「玩具」と同質の存在と考えればよいのであって、そうすれば「狙いをつける」ことも当然許可されてよいはずであると論じている。テクストの「自立性」は米文化という文脈に沿ったアメリカ批評の「自立性」であって、一つの徹底性はあったもののヨーロッパ批評と接触しなかったことは、逆に、独善的になり、他の方法論を見出だす自由を失わせ、かたくなになってしまう。
近代批評は作者の「意図」に焦点を合わせて読みを展開する。それは作者中心の読解である。しかし、現代批評はそれを批判し、作者の「意図」に囚われない。コミュニケーションは発信者が意図を持っていなくても、受信者が認知したら、成立する。作者の「意図」を無視して読むことで多様な読解が可能になる。こうした読者中心お読解をロラン・バルトは「作者の死」と命名している。バルトは作者の痕跡を消し去るために「作品」ではなく、扱う対象を「テクスト」と呼ぶ。
フライは「作者の死」の批評を実践している。ド・マンはアメリカに脱構築批評を普及させた親玉で、現代批評を代表する一人である。しかし、その彼は作者の「意図」を無視する態度に異議を申し立てる。それは自由で自立した思考でもないからだ。フライが説く「リベラル・エデュケーション」としての批評に反している。
こうした批判がニュー・クリティシズム以前のジョン・デューイによって、すでに先取られていたことはあまり知られていない。デューイは、『経験としての芸術(Art as Experience)』(1934)において、「一つの文脈において形式であるものが別では内容になり、そして、その逆にもなる。その上、それらは、われわれの関心と注意の転換によって、同一の芸術作品の中で入れ替わるのである」と述べた後で、ワーズワースの『ルーシー・グレー』の「」一節を次のように分析している。
その詩を美的に感じた人が--同時に--感性と思考や内容と形式の意識的分離をしただろうか。もしそうなら、その人は美的に読んだり聴いたりしていなかった。と言うのも、その節の美的価値はそうした二つの統合に存するからである。にもかかわらず、その詩の夢中になった享受の後で、ある人は反省し分析するかもしれない。ある人は言葉の選択や音律と音韻、詩句の進展が美的効果にどのように寄与するのかを考察しているかもしれない。これだけでなく、こうした分析が、形式のより明確に限定された理解に関連して行われたとき、後の直接経験を豊富にするかもしれない。別の場合では、ワーズワースの発展、彼の経験と理論に結びつけられたこれらの同じ特性が、形式としてよりもむしろ内容として扱われるかもしれない。そのエピソードは、そう「死に至るまで誠実な子供の物語」はワーズワースが個人的な経験を素材に具現化した形式として役立つかもしれない。
ジョン・デューイは教育哲学者としても知られ、今日に至るまで日米の教育にお多大な影響を及ぼしている。この著作で彼は芸術が「比類なき教育機関」と指摘している。芸術の理解は多様である以上、「教養教育」は特定の知識を会得することではない。「教養」は「批評」であり、その学習が「教養教育」にほかならない。
〈了〉
参照文献
ジャンバッティスタ・ヴィーコ、『学問の方法』、上村忠他訳、岩波文庫、1987年
イマヌエル・カント、『カント全集』18、角忍他訳、岩波書店、2002年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖』、海老根宏他訳、法政大学出版局、1980年
John Dewey, “Art as Experience”, Capricon Books,1958(1934)
Paul de Man, “Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism (Theory and History of Literature)”, Univ of Minnesota Press, 1983
中央教育審議会、「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」、文部科学省、2002年2月21日更新
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/020203/020203a.htm
「香港の高校『教養教育』を縮小…中国への愛国心育成重視へ」、『読売新聞』、2020年11月27日22時42分更新
https://www.yomiuri.co.jp/world/20201127-OYT1T50243/
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