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反V杯デモとブラジルの民主主義(2013)

反W杯デモとブラジルの民主主義
Saven Satow
Jun. 24, 2013

「神は偉大なサッカー選手をより多くブラジルに与えた。他国はそれでは不公平だと不満を漏らした。そこで神は言った。『心配することはない。ブラジルにはブラジルサッカー連盟を与えておいたから』」。
ブラジルのジョーク

 2013年6月2日、サンパウロで地下鉄の運賃が値上げされる。学生が呼びかけてこれに抗議するデモが始まる。同月13日、デモ隊と警察が衝突、100人以上が負傷、200人以上が当局に拘束される。この警察の暴力的対応に市民が激怒、15日にコンフェデレーションズ杯が開幕すると、反W杯の巨大なデモが沸き起こる。

 ブラジル政府には、14年に同国で開催されるW杯を利用して、経済成長の成果を世界にアピールし、南半球の大国を印象づける狙いがある。最近、スポーツ省は大会施設整備などにかかる費用を280億レアルに達するだろうと公表している。現在のレートで換算すれば、およそ1兆2000億円だ。しかも、同省は4月に255億レアルと見積もりを公にしたばかりである。

 しかし、教育や医療の整備は遅れたままで、インフレも続き、政治家の汚職は後を絶たない。医師数は全国平均で1000人当たり1.95人、1人に満たない地域もざらだ。インフレ率は6.5%、中央銀行は高金利政策をとっている。W杯関連費用が膨張しているのは政治腐敗によって途中でカネが消えてしまうからだ。富の分配があまりに偏っている。予算の優先順位が違うのではないかと市民は怒りの声を上げたわけだ。

 デモは全国に拡大、20日には100何人が参加するに至る。首都ブラジリアでは国会議事堂が3万人に包囲される。デモ隊は各地で武装した警官隊と衝突、多数の負傷者逮捕者が出ている。ジルマ・ルセフ大統領は主要閣僚と対応を協議、26日に予定していた訪日を延期すると発表する。21日、大統領は政治改革の必要性を認め、国民の声に耳を傾けるとテレビ演説している、

 デモの要求は従来からのブラジルの課題に向けられている。主張は貧富の格差の是正や汚職の追放などであって、サッカーのW杯のあり方に対するものではない。

 ブラジルは、2003年の国連の調査によると、ジニ係数が非常に高く、貧富の格差が世界でも最も大きいグループに属している。そうした国家は概して経済力が小さいが、ブラジルは違う。新興諸国BRICsの一角を占め、世界経済におけるプレゼンスも大きくなっている。

 格差が大きいことはよく一般的に知られているが、ブラジルには国際比較した際にもう一つ際立った特徴がある。民主主義へのコミットメントの低さである。

 「ラティノバロメトロ(Latinobarómetro)」というチリに本部を置くNPOが96年以来ほぼ毎年中南米諸国における世論調査を実施している。回収結果はインターネット上で公開されている。継続的に行われ、質問項目が多岐に亘っていることもあり、中南米を研究する際の重要なデータと認められている。

 この世論調査においてブラジルは民主主義コミットメントが一貫して低い。分析の結果、中南米における民主主義コミットメントの起源は教育水準にあると理解されている。経済的実績は相関性が必ずしも高くない。政治や選挙に関心を持ち、マスメディアやネットから情報を獲得して、民主主義を手続として理解し、それが自国では守られていると信じることができる。これが起源である。

 貧困に陥れば、教育を受ける権利が十分に行使できないので、民主主義コミットメントが低くなる。経済的実績が民主主義の浸透に影響するのは教育の機会を通じてである。現在日本でも子どもの貧困の解消が唱えられている。教育の権利の行使ができないことは民主主義の不信につながりかねない。

 けれども、ブラジルの民主主義コミットメントの低さは教育水準からだけでは説明できない。と言うのも、グアテマラと同じレベルだからだ。ブラジルの非識字率は10%前後程度だが、グアテマラは30%をゆうに超える。そのため、ブラジルの理由は大きく二つあると考えられる。

 第一の理由は国内対立が厳しくなかったことである。中南米には内戦や軍事政権を経験した国が多い。アルゼンチンでは、軍事政権下で約1万人が行方不明になっている。ブラジルにも軍事政権の時期があるが、その隣国と比べれば、抑圧度が厳しくない。

 軍事政権の抑圧度は、ポピュリズムの反動として登場する場合、その前の内部対立の激しさに関連する。ポピュリズムは中南米特有の政治体制である。

 階級闘争が歴史を変えるとするマルクス主義に対し、ポピュリズムは階級協調によって社会変革を達成しようとする政治運動である。これは革命を担う労働者階級が未発達で、なおかつ農民層が先住民という中南米の事情に由来する。ポピュリスト政権は階級協調のためにバラマキを行い、国家財政を圧迫してしまう。それに危機感を覚えた軍部がクーデターを起こし、軍事政権を始める。この中南米特有の政治思想は、いわゆるポピュリズムと区別するために「ポプリスモ」と呼ぶこともある。

 ポピュリズムの時期に左右の対立が激しいと、軍事政権の抑圧度も強まる。ブラジルはポピュリズムが保守的だったため、その後の抑圧も厳しくない。民主主義コミットメントは、ある程度の範囲内で内部対立があった国で高い傾向を示す。民主主義は手間暇がかかるけれども、突然逮捕されたり、拷問や虐殺されたりするよりもいいと人々が納得できるからだ。ブラジル国民はそれを実感するほどの抑圧の経験を持っていない。

 ただし、人口の1割が犠牲になるなど激烈すぎる内戦を味わった国では民主主義コミットメントが低い。終結しても、国全体がPTSDになった感じで、国民間の相互不信が続く。エルサルバドルがそうした例である。

 第二の理由は政治不信である。ブラジルは政治腐敗がひどく、国民の政治家に対する不信感が根強い。これは今に始まったわけではなく、歴史に由来する。

 1822年、ブラジルは摂政ドン・ペドロを国王に担ぎ上げ、ポルトガルから独立する。ナポレオン戦争の際、ポルトガル王室はブラジルに逃げていたが、21年、リスボンに戻る。その際、ジョアン6世は皇太子を摂政として同地に残している。独立派住民はその彼を王に擁立することで建国を果たす。

 国王は広大な国土の防衛と治安の維持を各地の有力者に委託する。彼らは「大佐」の称号を与えられ、その地域を支配するための私兵を組織、地方ボスとして権力基盤を強化していく。

 1889年、軍事クーデターによってブラジルは共和政へと移行する。新たな政治体制として州の自治権を大幅に認める連邦制が採用される。地方ボスは当然のように州知事に就任する。さらに、彼らは中央政界にも進出、交互に大統領を務め、支配を続ける。1891年から1930年までの第一共和制は州知事政治の時代である。

 共和制として出発するに際し、ブラジルは国旗に「秩序と進歩(Ordem e Progresso)」と国家のモットーを書き入れる。これはフランスの思想家オーギュスト・コントからの影響である。哲学的理念に基づく国家建設を目指す意思に反して、政治は利権獲得の場に終始する。

 近代政治のダイナミズムは、初期において、自由主義と保守主義の競争に認められる。弁護士や医師、大学教授、教員など教養市民層と呼ばれる専門職によって構成される自由主義者が理念を掲げて社会改革を訴え、地主や鉱山所有者といった伝統的な富裕層の保守主義者が現実を根拠にそれを批判する。中南米諸国では一般的にこの対決が見出せるのに、ブラジルにはそれがない。

 ブラジルの政党は、州知事政治の時代以来、地方ボスの団体である。理念に基づいておらず、利権にありつくためのポストを得る手段でしかない。選挙の度に離合集散が繰り返される。政治家には汚職が絶えない。金権政治が常態化している。

 かつてと違い、今は理念を標榜する政党も活動している。ルセフ政権の与党は左派である。労働者党(PT)を始めブラジル共産党(PCdoB)や民主労働党(PDT)、民主運動党(PMDB)などが連立している。しかし、労働者を支持基盤とするイデオロギー政党であっても、汚職と無縁ではない。理念を掲げる政党が現われても、政治の体質は継続している。これでは政治が貧富の格差に向き合うことは少ないし、国民の民主主義コミットメントも高くならない。

 今回のデモはブラジル政治の体質に対する不満である。利権の政治にはうんざりで、理念に基づく統治を行うことを求めている。政権も民主主義コミットメントを低くしている原因を解決する必要があると認めている。

 理念を抽象的だとか、理想だとか、建前だとか斥けることは危険である。きれいごとに忠実たらんとする姿勢がなければ、信頼感は生まれない。具体的な現実に応じた本音の政治は機会主義を蔓延させる。政党は離合集散を繰り返し、政権は場当たり的政策を乱発する。利権が目当てで、実のある統治は実現しない。ブラジルを苦しめているのは、理念をおろそかにした政治を続けた結果、その体質改善が思うに任せないことだ。

 ただ、どんなに民主主義コミットメントが低くても軍政の復活をブラジル人は望んでいない。1985年に民政移管してから90年代初めまでは超インフレ、その後には低成長に苦しむ。02年に就任したルーラ・ダ・シルバ大統領は左翼であったが、新自由主義政策をとり、次第に経済成長を達成する。その後任の政権に対する不満が高くても、軍政復帰を反W杯デモは主張していない。

 信じていないことは信じたくないことを必ずしも意味しない。民主主義を信じたい。民主主義を信じられるように政治を変えていこう。民主主義への希望がそこにはある。
〈了〉
参照文献
恒川恵市、『比較政治─中南米』、放送大学教育振興会、2008年
Latinobarómetro
http://www.latinobarometro.org/latino/latinobarometro.jsp

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