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知の考古学から見るイチロー(2004)

知の考古学から見るイチロー
Saven Satow
Oct. 02, 2004

「この場にいることができて光栄です。私の父は“ジェントルマン・ジョージ”と呼ばれていましたが、イチローも紳士でした」。
フランシス・ドラックルマン

2004年10月1日(現地時間)、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、1920年にジョージ・シスラーが記録したシーズン257安打のMLB記録を更新しています。日本のメディアが「世界記録」と報道しているのをよく見かけますが、20世紀半ばまであったニグロ・リーグの記録がありますので、セントルイス・ブラウンズの強打者の記録は「MLB記録」とするのが正しいでしょう。なお、19世紀の記録はルールに不明な点もあるため、多くの場合、参考記録になっています。

 今回のイチロー選手の記録に対し、アメリカの一部から、その正当性を問う声があります。

 なるほどボールという点から見れば、それもうなずけます。1920年のデッド・ボールからライブ・ボールに変わったシーズンですが、当時のボールは現在よりも質が悪く、製品ごとのムラが大きいものです。また、傷ついたり汚れたりしても、試合中のボール交換がありません。しかも、スピット・ボールが合法化されています。投球の変化という点では、現在よりも激しいのです。

 スピット・ボールはボールに唾や泥、油といった異物をつけたり、傷をつけたりして投げる投球のことで、予測できないほど鋭い変化をします。1920年シーズン終了時に禁止されますが、主にスピット・ボールを武器としていた17人だけは引退まで猶予され、1934年にバーリー・グライムズと共にスピット・ボーラーは消滅しています。また、1921年からゲーム中のボール交換も行われるようになっています。

 デッド・ボールとは飛ばないボーのことです。それが採用されていた頃は10本程度でホームラン王になれています。その反発力の弱いボールを飛ばすのに、一般的に1.2kgのバットを使っています。今の選手たちのバットは900g前後です。ベーブ・ルースが登場して、ホームランが脚光を浴びた結果、MLBは飛ぶボール、すなわちライブ・ボールに切り替えています。1919年にルースが打ったホームランは29本でしたが、ライブ・ボールを使った翌年には54ホーマーを放っています。ボールの違いがもたらす結果は明らかでしょう。

 しかも、20年代くらいまでの投手は相手に記録がかかっていても、逃げることはしません。その代わり、バッターにわざとボールをぶつけるのです。当時の野球はかなり荒っぽく、ほとんど喧嘩です。新人がバッター・ボックスに入ってきたら頭を狙うのは当たり前です。その頃、ヘルメットという安全なものはありません。身を守るために、オープン・スタンスで構える打者はいません。

 こうした無法を働くのはピッチャーだけではありません。ワールド・シリーズにおいて、デトロイト・タイガースのタイ・カッブがスパイクの刃を研ぎ、足を上げてスライディングしてきたため、ピッツバーグ・パイレーツのホーナス・ワーグナーが顔面にタッチを入れ、カッブが口を切ったのは有名な話です。グローブは、字義通り、皮手袋をちょっと大きくした程度で、親指と人差し指の間の網も満足にありません。おまけに、バントしたことに腹を立てたサードがとったボールをファーストではなく、その打者走者に投げつけることさえあるのです。

 資本家にこき使われ、搾取されていた労働者階級のファンも憂さを晴らすように、そういった荒れるゲームを望んでいます。野球場は今時のサッカーのフーリガンの騒ぎどころではないのです。

 しかし、この二点を除けば、環境の違いを見てみると、逆に、イチローの記録の偉大さが強調されます。

 イチローの記録は162試合制下であり、8試合もシスラーの時代より多いではないかという非難は、1961年のロジャー・マリスに向けられたものと同じです。

 マリスがルースのシーズン最多本塁打記録を塗り替えた際、試合数が増えたという理由で、コミッショナーから参考記録扱いにされています。確かに、試合数は増加したけれども、ルースの当時、有色人種はMLBのフィールドに立てませんでしたし、デー・ゲームだけで、球団の本拠地はほとんど東海岸に限定されています。

 一方、マリスの時代には、カラー・ラインが撤廃され、ナイターも始まり、西海岸までの移動距離を考慮すれば、試合数を問題にする方がおかしく、事実、現在は公認記録となっています。

 今では、カナダにもチームがあり、さらに交流戦もあるため、イチローはマリス以上にハードな移動をこなしています。その上、マスコミの取材への対応も、牧歌的に、限られた新聞記者だけを相手にしていればいいというわけにはいかないのです。

 今回のイチローの意義はたんに記録を塗り替えただけではありません。評価された既存の記録を更新したわけではないのです。彼が破ったのは84年前の忘れられた記録です。シスラーは、4割打者について調べたことがある人を別にすれば、名前さえ知らなかったでしょう。酒もタバコも口にせず、「ジェントルマン」と呼ばれたことくらいしかエピソードさえ伝わってこない埋もれたプレーヤーです。イチローは、考古学者のように、シスラーを含むシーズン最多安打の記録を掘り起こしています。

 ジョージ・シスラー(1893~1973)は、1915年に投手としてMLBデビューしています。ウォルター・ジョンソンに投げ勝つほどの投手でしたが、打撃にそれ以上の才能があったため、一塁手に転向します。この左投左打の打者は1920年と22年に4割をマークしています。この年の首位打者の他、盗塁王にも4度輝いています。1930年に副鼻腔炎による視力障碍によって引退、生涯打率はMLB史上13位の340です。その後は監督やスカウト、コーチを務め、ジャッキー・ロビンソンを発見、ロベルト・クレメンテを育てたことでも知られています。

 野球の歴史において、これまで野球を変えてきたプレーヤーが何人かいます。タイ・カッブやホーナス・ワーグナーは盗塁を価値あるものに変えています。それ以前にも盗塁はありましたし、ビリー・ハミルトンという天才が1888年からわずか14シーズンで915盗塁をマークしています。けれども、盗塁は個人の芸でしかありません。その二人が作戦に不可欠な戦法へと地位を上げています。

 また、ルースはホームランを野球の華にしています。各チームはこぞって、ルースのような長距離打者を集め始めます。先に挙げた二人がつくってきた野球を変えたのみならず、野球を家族で見られる娯楽にしています。

 イチローは、カッブやルースと違い、野球を変えたわけではありません。イチローのようなプレーヤーがメインストリームになることはないでしょう。彼がロッド・カルーやトニー・グイン、ドン・マッテングリーなどヒットを打つ職人の系譜にあることは認めても、GMが獲得に奔走するのは、アレックス・ロドリゲスやヴラディミール・ゲレーロなどの三冠王を狙える走攻守が揃ったプレーヤーです。

 シーズン最多安打記録の十傑は、イチローを除くと、70年以上前の記録ばかりです。しかも、忘れられています。それは、当時も含めて、評価される記録ではないからです。当時の打者の勲章は打率であって、安打数ではありません。その後、ホームラン中心の時代に入り、シーズン最多本塁打が注目されるようになりましたけれど、シーズン最多安打を気にする人はいません。シーズン最多安打はイチローの登場まで結果として記録されたにすぎず、意識的に狙ったものではないのです。つまり、イチローは野球自体と言うよりも、その認識を変えたわけです。

 ミシェル・フーコーは「知の考古学」を唱えています。この方法論は、テキストに隠された主題などではなく、その時代の人々が無意識に従っている規則を再考することです。フーコーは、連続性を前提とする従来の歴史観とは異なり、資料を横断してそこに特有の構造を浮かびあがらせても、思想史的な歴史的結論に決して達しません。イチローのシーズン最多安打記録更新への試みはフーコーの「知の考古学」を実践しています。

 今回の記録は、その意味で、ジョー・ディマジオの56試合連続安打の雰囲気に似ています。ディマジオも野球自体ではなく、その認識を変えたプレーヤーです。記録をたんに更新しただけではありません。

 1941年5月15日から始まったこの大記録は、当初、ほとんど注目されていなかったのですが、徐々にマスコミの関心を呼び、「昨日もディマジオは打ったな」というのが人々の朝の挨拶になっています。当時を舞台にしたディック・リチャーズ監督の『さらば愛しき女よ(Farewell My Lovely)』(1975)では、ロバート・ミッチャム扮するフィリップ・マーロウは自分の仕事よりもヤンキー・クリッパーの連続試合安打記録を気にかけています。忘れられていたウィリー・キーラーの44試合連続安打も、その熱狂の中で発掘されています。

 このシーズン、テッド・ウィリアムスが4割をマークしましたが、MVPには選ばれていません。受賞したのは、もちろん、ディマジオです。ウィリアムスの4割も素晴らしいですけれども、別に野球に対する認識を変更させたわけではありません。

 プレーヤーに対して「記録か記憶か」という常套句が使われます。しかし、その二項対立より重要なのは記憶を変える記録でしょう。それは野球が形成してきた記憶の物語に再考を促す記録です。ディマジオの56試合連続安打は間違いなくそういう記録の一つですが、イチローのシーズン最多安打もまたそれに含まれるものなのです。
〈了〉

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