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戦う民主主義(2012)

戦う民主主義
Saven Satow
May, 24, 2012

「新しいものとは、忘れられていたものにほかならぬ」。
ローズ・ベルタン

 2012年4月2日深夜から、NHKでネット連動ニュース番組『NEWS WEB24』がスタートする。これは毎日のニュースをめぐって疑問や質問をツイッターで視聴者に募集、学者やジャーナリストなどの「ネットナビゲーター」やニュースデスクらが解説や回答を述べる。

 しかし、これはラジオ番組のフォーマットである。現在、ラジオでは電話やFAX、電子メールに加えて、ツイッターを活用したリスナーからの投稿が常識化している。実際、このNHKの新番組でも、ツイッター投稿の傾向が語られたり、気になったツイートが読み上げられたりしているだけだ。どこがネットとテレビの連動なのかがまったくわからない。

 Diggが登場した頃なら、これで十分だったろう。しかし、もうそんな牧歌的な時代ではない。

 視聴者からの投稿をトピックごとに色分けして、そのリアルタイムの動向をキューブによって可視化しているというなら、まだ理解できる。ニュースに関してウェブを通じて得られるストリーミング・データをソフトを用いて直観的に把握できるように視聴者に示す。そういった今のデジタル技術ならではの試みを導入していないテレビ番組は「ウェブとンオ連動」に値しない。

 現在、非常に革新的なウェブ・サービスが提供されている。しかも、フリーが少なくない。ところが、その利活用になると、日本では古めかしい場合も多々見られる。なおかつ、古さに気づかず、新しいと吹聴して回る人さえいる。

 近年、最も成長しているネット・サービスの一つとしてニコニコ動画が挙げられる。2012年5月21日付『朝日新聞』でも同サービスの特集記事を掲載している。

 ニコニコ動画の魅力の一つとしてコメント機能がよく言及される。視聴者がコメントを投稿すると、それが画面の右から左へと走る。作家の東浩紀は、以前から、ニコニコ動画の政治実践における可能性を説いている。朝日新聞上の同記事内で、「民主主義で重要なのは、政治家を一般の人が制御すること」と言っている。今の代議制では人々の声を政治家に届けるコストが高すぎる。一方、コメント機能のあるニコニコ動画を使えば、コスト軽減につながる。東はニコニコ動画に新しい民主主義の姿を発見している。

 けれども、ニコニコ動画のコメント機能は、劇場内での拍手喝采や声援、掛け声、野次とさほど変わらない。それは19世紀欧州で見られた劇場の民主主義である。

 ユルゲン・ハーバーマスは、『公共性の構造転換』の中で、19世紀のヨーロッパにおいて、劇場にこそ公共性があり、民主主義があったと指摘している。彼にとって、公共性はコミュニケーションに基づいている。舞台上のパフォーマンスを鑑賞する際、観客はそれに対し、喝采や非難を表明するが、そうした「観衆」の中に公開の場における自由な討論=コミュニケーションが確立していたのであって、それが近代民主主義である。劇場の民主主義は政府から独立して、政府を監視・批判する。けれども、1920年代から始まる大衆社会の誕生と共に、劇場からコミュニケーションが失われ、この公共性は消えていく。

 東は、同記事で、「私はテレビもニコ動にも出演してきたが、ニコ動の視聴者は質的にも深く番組に関与している感じがする」と言っている。劇場の民主主義から見れば、大衆の民主主義より自分たちが「質的に」高く思えても不思議ではない。

 この劇場の民主主義を踏まえて、ハーバーマスは20世紀の公共空間を「熟議の民主主義」として考察する。劇場の民主主義を21世紀に無批判的に適用することはできない。ナチズムが民主主義制度によって拍手喝采の中で政権を掌握したからだ。現代の民主主義を語る際に、ドイツでは「戦う民主主義(Streitbare Demokratie: Militant Democracy)」を前提にしている。「民主主義で重要なのは、政治家を一般の人が制御すること」などと素朴に言うことは許されない。

 ドイツ基本法は。「自由で民主主義的な基本秩序」を自らの価値として主張する。この具体的な内容は。連邦憲法裁判所が次のように規定している。基本法に具体化されているさまざまな人権、特に生命及び自由な発展のための人格権の尊重、国民主権、権力分立、責任内閣制、行政の法律適合性、裁判所の独立性、憲法に適合した組織と活動を行う反対党の権利を伴う複数政党制、すべての政党の機会均等などである。この基本秩序を侵害する個人・結社・政党などは「憲法の敵」として基本権の保障を与えられない。

 ニコニコ動画も、戦う民主主義を部分的に採用している。他の意見を押しのけるように膨大な量のコメントを寄せる場合、それは削除される。これは評価できる。しかし、そういった措置は主に量の問題である。インターネット上に限らず、戦う民主主義は現代的な課題だ。

 東は以前から熟議の民主主義に否定的で、それに代わる意思決定としてニコニコ動画を評価している。ただ、ニコニコ動画の生放送もラジオのフォーマットに沿っている。コメントが出演者と視聴者共にリアルタイムで見られるとしても、直観的ではなく、ヴィジュアル化には値しない。膨大なデータをただ提示しても、理解できる人は限られている。コメントの動的な立体図を示すくらいでないと、可視化とは呼べない。見える化とは、コンテクストから切り離して、データを直観的に認識できるものである。人手では極めて困難なデータ処理を瞬時に行え、ヴィジュアル化できるのが今日のコンピュータの強みである。それを生かす方策を考えない意見は浅はかだ。

 なお、ドイツの地方議会の議員は名誉職である。必要経費などを除く給与は支給されない。人口比に対する議員数は日本より多いが、そのため、コストは安い。多くの市民が議員として直接地方政治に参加し、市井の声を反映さえている。

 ネットと政治を論じるのであれば、過去の政治学やデジタル技術を共有しながら、今の新しさを考える必要がある。歴史的な文脈・体系をよく知らないまま、思いつきや思いこみで意見を主張しても、建設的議論にはつながらない。

 民主主義は進化する。戦うことも、圧力の結果、身につけている。ネットとの関連であっても、この戦う民主主義から現代の政治を考えなければならないことは確かである。
〈了〉
参照文献
廣渡清吾、『比較法社会論』、放送大学教育振興会、2007年
ユルゲン・ハーバーマス、『公共性の構造転換 第2版』、細谷貞雄他訳、未来社、1994年

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