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中央銀行の政治化(2013)

中央銀行の政治化
Saven Satow
Mar. 03, 2013

“In conclusion, it has become painfully obvious, even for me, a 12 year old Canadian, that we are being defrauded and robbed by the banking system and a complicit government”.
Victoria Grant “The Corrupt Banking System”

 日銀の政策委員会の人事が進んでいる。その面々を見る限り、政府の傀儡という印象がある。中央銀行としての日銀の独立性が見受けられない。現政権は中央銀行など不要だと考えているようにさえ思える。

 現在、中央銀行のあり方が世界的に問われている。カナダ銀行総裁のマーク・カーニーを筆頭に、先進国の政治家や経済学者、金融当局者の中に、中央銀行はインフレに神経質になることなく、失業率の改善やGDPの上昇のため、金融緩和を続ける必要があると主張する者も少なくない。中央銀行は政治化すべきというわけだ。

 しかし、これは政府が中央銀行のせいで停滞から抜け出せないのだと言っているに等しい。政府は一生懸命取り組んでいるが、中央銀行が協力的でないために成果が現われていない。

 中央銀行の政治からの独立性は歴史の教訓に根拠を持っている。政府のマクロ政策の目標は大きく二つに分けられる。それは景気の安定化と物価の安定化である。しかし、政府は前者を後者より優先させる傾向がある。そのため、歴史的に、貨幣を過剰に増発し、深刻なインフレを招いた例は数えきれない。

 中央銀行の政治化の推進派にはインフレの恐怖が風化しつつある。インフレは途上国の問題であって、先進国は気にする必要はない。怖いのは、むしろ、デフレである。その脱却には、インフレを輸入すべきだ。日本の現政権もこの意見である。

 なるほど通貨供給量が増えても、どこかで吸収されれば、インフレは発生しない。80年代後半のバブルが記憶に新しい。日銀は大胆な金融緩和を継続したが、マネーは株や不動産に流れ、平均インフレ膣は1.3%である。また、FRBは失業率が6.5%以上である限り、ゼロ金利を続けると言明している。株式市場にこの非自発的資金需要の投資マネーが流れこみ、景気回復、すなわち景気循環のペースを超えて、活気づいている。その一方で、12年のインフレ率は2%を切っている。

 しかし、金融政策は景気の安定化よりも物価の安定化を重視するのが原則だ。日銀法の第一条に目的が述べられているが、景気の安定化は入っていない。

第一条  日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする。 
2  日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。

 中央銀行による物価の安定化が安定的かつ持続的な経済成長のための不可欠の前提だと読み取れる。中央銀行は、透明性を担保にしつつ、政治から独立していなければならない。

 ところが、現首相は、就任以前から日銀に大規模金融緩和を迫る強烈なプレッシャーをかけ続ける。選挙前は日銀も抵抗していたものの、選挙後には屈伏してしまう。白川方明総裁は5年の任期満了前に3月19日付で辞任する。

 政治家が長期停滞や慢性的デフレを日銀の無為のせいとと非難するのは不当である。日銀は、世界の専門家から批判されながらも、ゼロ金利を始め先進的な金融緩和政策を実施している。今や叩いてきた先進諸国がそれに倣っている。加えて、日銀は、中央銀行の中で例外的に、株式を保有することまでしている。現首相を筆頭に日銀元凶還元主義者は、他の課題でも、自分の責任を棚に上げ、何かのせいにしたがる傾向があることを見落としてはならない。

 今日、政府の政策の幅が狭まっているが、中央銀行も同様である。中央銀行の取り得る金融政策には、預金準備率操作・貸付金利操作・公開市場操作の三つがある。しかし、日銀が現在採用しているのは、最後のオープン・マーケット・オペレーションだけである。それは、中央銀行が金融機関と債券の売買を行うことで世の中に出回る貨幣供給量に影響を与える政策である。日銀の資産の中で国債など債券は最も大きなウェートを占める。公開市場を通じて保有する債権量を増減させ、貨幣供給量を変動させる。

 公開市場操作は買いオペレーションと売りオペレーションに大別できる。前者は中央銀行が債券を購入して貨幣供給量を増やす金融緩和で、「買いオペ」と通称される。他方、後者は債権を売却して貨幣供給量を減らす金融引締で、「売りオペ」と通称される。

 預金準備率操作と貸付金利操作についても言及しておこう。金融機関は中央銀行の口座に一定割合の預金を入れておくことが義務付けられている。この法定準備率を上下させて貨幣供給量を上下させるのが預金準備率政策である。これは銀行の利用可能な資金も変動させてしまうため、変化がドラスティックとなることから、今は使われていない。

 貸付金利操作は公定歩合政策のことである。中央銀行が金融関に貸し付ける際の利率が公定歩合である。公定歩合は、具体的に言うと、銀行が保有する商業手形を中央銀行が割り引く際の割引率、ならびにそれらを担保とする貸付利子率である。中央銀行が銀行への貸付金を増減させて、貨幣通過料を変動させるのが貸付金利操作である。金融自由化を進めるため、日銀は公定歩合を銀行間取引のコール・レートよりも高く設定する誘導政策をとる。現在、公定歩合政策も使われていない。

 12年間に及ぶ金融緩和の継続は問題を浮き彫りにさせている。金融緩和が大規模かつ長期化すると、それが常態化してしまい、景気が好転した時でさえ引締への転換が難しくなる。市場に流した莫大なマネーをどうやって回収するかには高度な技術が必要である。大胆な日本国債売却などできるはずもない。

 また、低金利に慣れ、それで潤った勢力からの反発も予想される。出口戦略を立てたとしても、それを実施できるか怪しい。長期に亘る金融緩和はそれに依存する勢力を育てている。引締となれば、彼らは既得権が脅かされると、徹底的に抵抗してくるだろう。

 デフレ脱却を目的として、日銀の国債引き受けによる金融和と公共事業中心の財政政策は歴史に前例がある。齋藤実内閣の高橋是清蔵相による対策である。2013年2月26日付『岩手日報』の「風土計」は「マコトノミクス」と現政権の政策の類似性に言及している。マコトノミクスによって軍部も潤ったが、目的達成に伴い、是清が軍事費抑制に向かうと、彼らの恨みをかう。齋藤実と是清は、2.26事件の際、反乱軍によって射殺されている。以後、軍事費に歯止めがなくなる。

 ここまで極端でなくても、長期の緩和政策の停止は難しい。金融緩和が続くと、市場は感覚がマヒしてくる。彼らは中央銀行にさらなる緩和要求をする。また、政治家は、景気優先の思考であるため、緩和政策の停止に恐怖感を覚える。景気回復しても、まだ十分ではないと政策の継続を中央銀行に求める。長期の金融緩和は一旦始まると、手段ではなく、しばしば目的化してしまう。

 さらに、日銀の国債購入による金融緩和が経済的理由からではなく、財政補填など政治的理由だと市場が見透かせば、政策への信用が失われる。実は、日銀は、民主党連立政権下でも、政治的圧力に屈して追加緩和を繰り返している。市場参加者は政治圧力が高まれば、日銀は金融緩和をするという予想が生まれている。経済状況以外の要因で、金融政策が決まるという緩和予想が市場に浸透している。

 圧力の理由が財政の健全化の先送りと市場が判断すれば、日銀に対する信頼は地に落ちかねない。そうなれば、国際価格の暴落のみならず、政策効果も損なわれる。それは日本経済を破綻をもたらす。

 日本国債は9割以上が国内で消費されている。中でも、国内銀行等が3分の1以上を保有している。金融機関は日銀による国債購入を見越して買い入れを積極的にこれまでも継続している。その原資は預金である。

 銀行は将来不安から集まった預金を国債を買う資金にしている。国債は国の借金であり、将来への負担の押しつけである。信用創造ならぬ不安創造のメカニズムが働いている。この借金を返すために、消費税を始め各種の税率を非常に高く上げることもできない、行き着く先はハイパーインフレによる借金返済である。

 これまでの金融緩和はこうした問題点を顕在化させている。にもかかわらず、さらなる金融緩和を野放図に求めるとしたら、冒険主義である。

 マンデル=フレミング・モデルは、変動相場制下でオープン・エコノミーの場合、財政政策よりも金融政策が有効だと示している。だからと言って、政府が財政再建に取り組まずに、金融緩和に依存するのは安易だろう。

 中央銀行の政治化は、現代の民主主義の課題の表象の一つだと理解できる。金融政策の決定は、財政政策と違い、議会で審議されない。しかも、日銀の政策委員会のメンバーは有権者に選挙で選ばれてはいない。そうした彼らに経済成長の責任も負わせるのは自由民主主義体制にそぐわない。民主的手続きによって選出された政治家が責任を持つべきである。中央銀行の政治化は次世代をさらに借金まみれにしてしまう。脱却するにはどうしたらいいのかは、結局、民主的に考えるほかない。

 まったく次世代に顔向けできないような有様だ。その次世代に属する12歳のカナダ人少女ヴィクトリア・グラントは、世界中で話題になった講演『腐敗した銀行制度』において、政府と中央銀行の馴れ合いによる借金ベースの経済を糾弾する。もっともだ。抜け出すにはどうしたらいいかと彼女は最後に問いかけ、マーガレット・ミードの引用で次のように答えている。それは、確かに、将来の指針である。

 小さなグループの人々が世界を変えられることを決して疑ってはなりません。実際に、これまでもそうだったとしか思えないのです(Never doubt that a small group of people can change the world. Indeed, it is the only thing that ever has)。
〈了〉
参照文献
日本銀行金融研究所編、『新しい日本銀行[増補版]』、有斐閣、2004年
日本銀行
http://www.boj.or.jp/
Victoria Grant,” The Corrupt Banking System”, 2012
https://www.youtube.com/watch?v=Bx5Sc3vWefE

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