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イノベーターとしての消費者(2011)

イノベーターとしての消費者
Saven Satow
Sep. 01, 2011

「革新を行って、古い世界を打破し、今までと全く違う物質世界をつくることにより新文化を形成する。資本主義社会は旧軌道から不安定的に遠ざかり、全く新しい世界に至る」。
森嶋通夫『思想としての近代経済学』

 2011年8月31日、英最大手のスーパーであるテスコが日本市場からの撤退を発表する。すでに仏最大手のカルフールが05年に白旗を上げている。80年代後半から外資系スーパーは日本市場の閉鎖性を指摘し、その開放を政府に求めている。大店法が廃止された2000年頃から世界の小売大手の参入が始まったものの、軒並み苦戦、彼らの思い描いた通りにはなっていない。

 外資系スーパーの販売戦略のお粗末さには目を覆うばかりだ。豊富な資金力で大量購入をして、価格を下げれば、売れるというのが彼らのシナリオである。けれども、広い売り場スペースがあるにもかかわらず、売れ筋の商品ばかりが並んでいる。買いたくもない商品はいくら安くても願い下げだ。こういった大味で垢抜けない商法は、細やかな品揃えと気のきいたポイント制度などに親しんだ消費者にしてみれば、小馬鹿にされた気さえする。資本力に物を言わせる商法だけで成功するはずがない。

 スーパー・マーケットの主な顧客層は30~50歳代の女性である。彼女たちは世界で最もタフで、アグレッシブ、スマートな消費者だというのは半ば常識であり、その眼鏡に適う商品・サービスはどこへ持っていっても通用する。外資系小売店の苦戦は日本市場のせいではなく、この消費者のニーズに応えていないからである。

 無頓着な人を除けば、消費者は、通常、商品・サービスの購入を率先する「リーダー(Leaders)」やそれを広める「スプレッダー(Spreaders)」、流れに追従する「フォロワー(Followers)」の三種類に分類できる。ただし、商品・サービスによって無頓着層は変動する。ティッシュ・ペーパーをスーパーで買う際に、メーカーやデザイン等を気にする人は多くない。

 日本の女性消費者には、さらに、「イノベーター(Innovators)」が加わる。ヨゼフ・アロイス・シュンペーターは、独創的な企業家によるイノベーションが資本主義経済を成長させると説いたが、日本では社外の消費者にそうした革新者がいる。この層は商品・サービスの問題点を言語化して指摘し、場合によっては改善策も提案する。時には、新商品・サービスの開発にも参画する意欲を持っている。技術的な知識は乏しいが、利用という観点から極めて合理的な分析・見解を主張する。

 しかも、彼女たちは決して少数ではない。これまで多くの外資系企業が日本市場に入りながらも、その消費者の目の鋭さと厳しさに打ちのめされている。しかし、それを乗り越えて、さらにタフな企業へと成長したケースも少なくない。その一例がP&Gである。同社は日本市場で揉まれ、日本仕様の商品だったSK-Ⅱを世界展開している。世界的に見て、商品・サービスの問題点を言語化して説明できる消費者は決して多くはない。と言うのも、感覚を言語化するのは難しいからである。現在では、まだ十分とはいえないが、国内外を問わず、多くの企業がお客様係を拡充し、彼女たちの声を商品・サービスの改善・開発に生かしている。

 日本には、実は、イノベーター消費者の伝統がある。日本の製造業をめぐって、しばしば「ものづくりの伝統」と言われる。確かに、日本に老舗企業が多いけれども、工業製品に限ってみれば、国際的にメイド・イン・ジャパンの信頼が確立したのは70年代後半からである。戦前、国産品への信頼性は著しく低い。昭和初期から昭和40年代半ばまで事務所や役所の机にあったタイガー手廻計算器は、当初「虎印」で販売したものの、国産品への不信があったため、舶来品に誤解されることを期待して改名している。また、石橋湛山は通産大臣に就任した際、『和製のライター』(1956)において、国産品を愛用しないと国内外にしめしがつかないとそうしていたが、内心は不安だったと告白している。1948年に始まった日本の主婦層による消費者運動も粗悪な国産品への抗議がその原点である。国産品は不安だから使わないと思うだけでなく、割烹着姿でしゃもじを持って不良品追放を該当で叫んだ主婦たちがイノベーター消費者の原型である。

 率直に言って、苦戦する外資系スーパーは、主要顧客層の声に耳を傾けず、これまでの自分たちの成功体験にとらわれすぎている。彼らは技術革新のチャンスを見逃している。イノベーター消費者こそ日本の財産である。彼女たちによる技術革新の促進は日本経済を活性化させる。問題は男だらけの経営陣の企業がそれを生かせるかどうかだ。オヤジやジジイは何しろ聞き上手ではない。日本市場は道場であり、彼女たちは師範である。おそらく、これからも我こそはと思う海外の企業はここに稽古を申し出るだろう。
〈了〉
参照文献
森嶋通夫、『思想としての近代経済学』、岩波新書、1994年
矢沢永一編、『石橋湛山著作集4』、東洋経済新報社、1995年

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