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ショーン・コネリーから見るジェームズ・ボンド(2006)

ショーン・コネリーから見るジェームズ・ボンド
Saven Satow
Jun. 06, 2006

「人間誰しもがユーモア的な精神態度を取りうるわけではない。それは、まれにしか見出されない貴重な天分であって、多くの人々は、よそから与えられたユーモア的快感を味わう能力すら欠いているのである」。
ジークムント・フロイト『ユーモア』

 2006年11月、007シリーズの第21作目『007 カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)』が公開される予定なのですが、試写会では不評です。これは原作第1作目の映画化であり、まだシリーズとして固まっていないため、従来の007と異なった印象がありますから、そうした点にも不満の原因があるかもしれません。しかし、ジェームズ・ボンド(James Bond)
役のダニエル・クレイグ(Daniel Craig)があまりにファンの007に関するイメージを損ねているというのが主な理由です。

 これまで、彼以前に、ショーン・コネリー(Sean Connery)、ジョージ・レーゼンビー(George Lazenby)、ロジャー・ムーア(Roger Moore)やティモシー・ダルトン(Timothy Dalton)、ピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)等がボンドを演じています。けれども、そのイメージを創造したのは最初に演じたショーン・コネリーでしょう。

 しかし、この後のオスカー男優の起用に対して、原作者のイアン・フレミング(Ian Fleming)は強く反対しています。ボンドは「紳士」であるのに、1930年生まれのスコットランド人俳優はまるで「商人」のようで、作品の雰囲気がぶち壊しだと別の役者を希望しています。

 映画007シリーズは、元々、イアン・フレミングの小説を原作にしています。1953年に第1作『カジノ・ロワイヤル』を発表し、1964年、『黄金の銃を持つ男(The Man With The Golden Gun)』の校正中に心臓麻痺で亡くなるまで、長編12編と短編8編を書いています。その後、別の作家が著作権者の許可をとり、後を引き継いで、シリーズを発表しています。

 1908年ロンドン生まれのこの作家による作品は、正直言って、通俗的な冒険小説の域を出ません。007シリーズにしたところで、愛国心溢れるプレーボーイのスパイを主人公にして、ゴージャスなライフスタイル、セックスとバイオレンスを散りばめているだけで、読んでいるのが恥ずかしくなるほどです。かつてのアメリカのハードボイルド小説の二番煎じで、戦後のまだまだ生活事情が苦しい時代の読者が夢の世界として受け入れたという程度のものでしかありません。

 冒険小説だから通俗的に堕するとは限りません。ジョゼフ・コンラット(Joseph Conrad)の『密偵(The Secret Agent)』(1907)が好例です。これは実際にあったグリニッジ天文台爆破未遂事件をモデルにしたスパイ小説です。けれども、彼の場合、冒険小説の形式は口実であって、資本主義や近代の時間感覚など深い問題を取り扱っています。

 一方、フレミングは冒険小説の形式に依存しきっており、作品の未熟さを刺激的なセックスやバイオレンスの記述で誤魔化そうとしているだけです。

 こういう作家の描くジェームズ・ボンドですから、作者の願望が反映されているだけの人間的に薄っぺらなマッチョです。だいたいプレーボーイは、もてない男カら妬みと憧れの入り混じった感情を抱かれるとしても、深みに欠けるものですが、ボンドも例外ではありません。

 ボンドと言えば、"Shaken, not stirred"のセリフが最も有名でしょう。「ステアしないシェイクしたウオツカ・マティーニ」を愛飲する彼はロンドン市内の高級マンションに子どもの頃から付き添ってきたメイドと住んでいます。イートン出の元海軍中佐で、現在は、表向き「ユニバーサル商会(Universal Exports)」と名乗っている英国秘密情報部に勤務し、「M」と呼ばれる退役海軍提督の部下です。格闘術に優れ、銃の扱いも上手く、自動車の運転も卓越しています。また、スポーツを好み、ダンディズム溢れるプレーボーイです。しかも、卵料理には眼がない英国人らしからぬグルメでもあるのです。それでいて、特注の煙草を放さない愛煙家というのですから、ヤニにも負けない強靭な味覚の持ち主であるようです。

 こういう人物を演じることになった無名の俳優ショーン・コネリーはまさに正反対の人生を歩んでいます。貧困のため、中学生の頃から働きに出なければならず、高校に進学できません。トラック運転手になり、18歳で海軍に入隊したものの、すぐに病気により除隊しています。

 その後、職を転々とし、ボディビルの大会に参加したのをきっかけに、1955年、『南太平洋』のロンドン公演でのコーラスボーイの役を得ます。コネリーはミスター・ユニバースに入賞していますが、当時はまだアーノルド・シュワルツェネッガー登場以前ですから、食事管理や科学的トレーニングをしたわけでもなく、肉体労働をしているうちに、精悍な肉体美になったわけです。”No Road Back”でスクリーン・でニューを果たし、いくつかの端役を経た後、” Another Time, Another Place”(1958)で主役に抜擢されたものの、パッとしません。

 そんなコネリーにとって、『007ドクター・ノオ(Dr. No)』』(1962)のジェームズ・ボンド役は転機となりそうな雰囲気があります。しかし、この苦労人は人間的魅力に欠ける諜報員を原作のままに演じようという気はさらさらありません。後に、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド民族党の熱烈な支持者として知られるスコットランド人にしてみれば、とてもイングランドの俗物の願望に従うなど我慢なりません。そこで、彼はパロディとして演技をするのです。

 フレミングの原作を読むとわかるのですが、映画と違い、そこにはユーモアの要素が今ひとつありません。コネリーは小説内のボンドを茶化すように演じているのです。おそらく、こうした彼の姿勢が007シリーズのヒットにつながったのでしょう。原作に忠実であったとしたら、時代遅れのハードボイルド映画に終わり、シリーズ化には至らなかったに違いありません。

 コネリーは単純な原作を解体し、自分の演技を通じて複雑に再構築しています。役柄を解釈することはあっても、こういう演技をする役者はそうはいません。コネリーはボンドを入れ子にしたのであり、それは諜報員には極めてふさわしい構造です。これが彼を他の誰でもない役者ショーン・コネリーにしているのです。

 しかも、コネリーは、スタッフに対して、カツラを着用していることを隠そうとしません。撮影中、休憩時間になると、カツラをはずしています。第4作目の『007サンダーボール作戦(Thunderball)』の水中のシーンで、スクリーンを見ていてもわかるほどです。まさにユーモラスな態度で撮影に臨んでいます。

 コネリー以降のボンドを演じた役者にはこうした自嘲の姿勢はありません。実際、その後の作品では、ボンド・カー等の魅惑的な小道具が真の意味で主役です。

 コネリーは、ボンド役降板後、カツラをはずし、渋味のある演技をスクリーンで披露していきます。カツラをつけている役もあるのですが、むしろ、とっている方が評判はいいのです。それどころか、ボンドを演じていたときよりも、ファン層を広げ、役者としての評価も高めています。薄い頭に突き出た腹であるにもかかわらず、セクシーです。そのパロディとしてジェームズ・ボンドを演じるという認識がなかったなら、こうした活躍もなかったことでしょう。

 1999年、英国はショーン・コネリーにナイトの称号を授与します。サー・トーマス・ショーン・コネリー(Sir Thomas Sean Connery,)となっています。しかし、残念ながら、2005年にAFIの生涯功労賞を受賞したのを機に、最近、俳優からの引退を公表します。

 今でも、オースティン・パワーズを始め、007のパロディ映画が世界各地で多く製作されています。けれども、007映画は当初からパロディなのです。コネリー演じるボンドの映画に比べると、それらは構造的にはシンプルです。通俗的な冒険小説を原作にしながらも、自分自身の中にパロディを持ち合わせるという多重な映画にしたのは、ただショーン・コネリーの姿勢に起因します。それこそが真のユーモアにほかならないのです。
〈了〉
参照文献
ジョン ハンター、『ショーン・コネリー』、池谷律代訳、キネマ旬報社、1995年

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