見出し画像

志賀直哉が「小説の神様」?(3)(2021)

第4章 快・不快行動
 『道草』の場合、話が進むにつれて、主人公に精神的な成長の跡が見られる。漱石の悩みは誰もが一度は直面する極めて常識的なものである。そこに読者にとって感情移入の入り口がある。ただ、彼はとどまらず、さらに押し進めて、独自の真の問題を見つけている。読者はそれを手掛かりに自分でも改めて問題への対処を考えることができる。

 『道草』に対して、三部作の主人公の性格ははなはだ素朴であり、社会的・人間的・問題的な要素に乏しい。三部作はただ主人公の「気分」の移行に染めぬかれており、いくら読み進んでも、成長の跡が一切認められない。等身大を主人公にする近代小説には不可欠の内面のドラマがまったくない。

 中村光夫は、『志賀直哉』において、「気分」や「気持ち」という語が多いと『暗夜行路』について次のように述べている。

「『暗夜行路』は主人公の気持ちの中の発展を書いた。」という意味のことを作者は云っていますが、事実この位、「主人公の気持ち」だけが徹頭徹尾書かれている小説もないのです。(略)
「暗夜行路」は時任謙作の成熟を「主題」として扱いながら、彼の裡に生きたことがかえって作者の精神の成熟を妨げるという奇妙な不幸を生んだ小説です。
 しかし一言で云えば青春の表現を人生の表現ととりちがえた錯誤にぎりぎりまで生きたという事実が、作者にこの不幸をもたらしたとしたら、彼がここで無意識のうちに払つた犠牲はどこかでその作品に生きている筈です。
 そしてこの作者の意図をはるかに越えて、彼の精神の養分を吸いつくした小説の花がどこに開いている筈です。ふと、それはさきにふれたように謙作の肉感性、もっとはっきり云えば彼の瑞々しい性慾の表現にあると思われます。
 思想としては幼稚な妄想しか抱けず、精神に「発展」ではなく、ただ環境の変化に基づく「移転」があるだけのこの青年も、こうした内面の空白と表裏する肉欲の衝動の生々しさにかけては、我国の近代小説に比類のない存在です。

 中村光夫の指摘するように「主人公の気持ち」だけが徹頭徹尾書かれ、精神の「発展」を欠き、ただ「移転」があるのは確かである。『暗夜行路』や三部作だけでなく、志賀のほとんどの作品においても「気持ち」や「気分」といった類いの言葉が覆い、一切の精神的な「発展」が欠け、ただ環境の変化に基づく「移転」だけがある。

 「不快」から「調和的な気分」への「移転」構造は、志賀が学生時代の1904年に書いた『菜の花と小娘』において、すでに表われている。鳥の気まぐれによってある世界に投げこまれた菜の花が小娘に連れられて、本来の場所、故郷へと帰る。『存在と時間』で「気分」を論じたマルティン・ハイデガー流に言えば、現存在が非本来の場所へ気紛れによって投げこまれ、それを「共同存在」とともに本来の場所へと帰還する。さらに、『ある一頁』(1911)にはそういう「移転」構造が明確に見られ始める。それは、東京を離れることにした主人公が以前よい気分を味わえた京都へと家出するが、病気になり、帰京するという小説である。つまり、「不快」が病気の状態として、「調和的な気分」が健康の状態として、主人公の主体責任を離れて、扱われている。

 作品と作品の関連の中にも「発展」はなく、一貫して「移転」があるだけである。『大津順吉』から『和解』、『或る男・その姉の死』と進むに連れて何か「発展」があったかと言っても、状況が変化しているだけで、精神的成長は見あたらない。「不快」から「調和的な気分」への「移転」が論理的・思想的にまったく問いつめられていない。確かに、「青春」の時期は自信を相対化することは難しいものだ。けれども、30歳を過ぎて、それを振り返る際に、過去を対象化できず、気分だけを記すとしたら、精神的に発達していないと思わざるを得ない。

 いかに私小説とはいえ、主人公と作者を同一視することはできない。しかし、これだけどの作品でも同じだとすれば、作者の認知行動がそうなのだと考えざるを得ないだろう。

 志賀は「不快」と「調和的気分」を使う。これは快・不快行動をよく示している。快・不快は人間を含む動物の行動を理解するための最も基本的な心的属性の一つである。それはプリミティブな感情の一つということだ。動物は快をもたらす刺激を獲得しようと接近する。他方、不快をもたらす刺激から回避したり、その状態を持続させる刺激から逃避したり、それを解消する刺激を獲得しようとしたりする。こうした接近・回避・逃避行動は環境に適応し、生存確率を高めるための基本的な原理である。つまり、快は環境適応の状態で、「調和的気分」と言い換えられる。

 志賀にとって気分が環境適応を指向していることは、『和解』の次のような記述からも明らかである。

 自分は誰もいないプラットフォームに一人立って何時までも洋傘を上げている自分を見出した。自分は停車場を出ると急いで帰って来た。何故急ぐのか解らなかった。自分は父との和解も今度こそ決して破れる事はないと思った。自分は今は心から父に対し愛情を感じていた。そして過去の様々な悪い感情がすべてその中に溶け込んでいくのを自分は感じた。

 ここでの実在感覚の特徴は、見るものと見られるものの区別する自己同一性や将来と過去を区別する自己連続性もなくなっているという点にある。また、「自分」がやたらと遣われている。これは一人称の小説なので、いちいち「自分」と言わなくても、誰の認知行動か読者には推測が容易につく。作品世界における「自分」の中心性がこの多用から理解できる。「自分」に完全に気分が一体化し、時間も空間も自分の現在の存在の中に溶けこんでいる。

 こうした経験は必ずしも珍しくはない。よい場合であれわるい場合であれ、気分を強く感じる時、知覚するものもそれに即して認知される。時空間も同様である。ただ、こういった状態は、違う状態もあるので、相対化されるものだが、志賀の主人公はそうではない。

「絶好調--そんなときは、一シーズンに数えるほどしかありませんが、とにかくよくボールが見えるのです。ボールの赤い縫い目が回転しながら近づいてくるのがはっきり目に見えるような気がするときがあります。こんなときは、どんなボールに手を出してもみんなヒットになってしまう。相手の投手がびっくりするようなとんでもない球だって、打てるのです。しかし確率の高い、つまり10割を打ちたいと思うようなバッティングをするには、その絶好調時にいかに我慢するか、なのです。ほんとに打ちたいボール、つまりヒットになる確率の高いボールがくるまでいかに待つか、ということです。打席に入ると、自分のストライクゾーンを狭くしてボールを待っているわけです。調子がいいときは、その狭いストライクゾーンどころか、うんとはずれたボール球を打ってもヒットになるので、そこの我慢が難しいのです」。
(掛布雅之)

 不快にはいくつかの情動の種類がある。志賀の場合は、主に怒りである。怒りは具体的な対象から引き起こされる。情動はプリミティブな環境で生き残るための物なので、思考力を低下させ、生理的反応を伴いながら行動を促す。怒りの際の行動は攻撃的である。志賀の「不快」はその怒りで、思考力は抑制、それが解消するまで対象に向かって執拗に攻撃を加える。

 この快・不快行動は精神的発展をしばしば奪う。ギャンブル依存症が好例である。ギャンブラーは勝ちという快感を求めて賭ける。勝てばさらに快感を求めてつづける。しかし、負ければ、それを得られず不快になる。この不快の状態から脱するために、ギャンブラーはまた賭ける。ここでやめれば、満足はないが、これ以上不快が積み重なる可能性はない。負けると、不快から脱却し、快感を獲得しようと賭けを続ける。終わりはない。もちろん、この間、ギャンブラーは精神的に成長しない。こういう状態がギャンブル依存症である。

 志賀の「不快」と「調和的気分」の以降はこの悪循環であり、精神的発展はない。怒りにいう「不快」に囚われた人物が「調和的気分」を得るために、他者をしつこく攻撃する。これが志賀の父子対立の小説である。

 この意識のおぼえる快感不快感にしたがって、はたして生存は価値を持つか否かを測 定するということ、これにもまして気狂いじみて逸脱した虚妄が考えうるのであろうか?意識はまさしく一手段にすぎない、--だから快感ないしは不快感もまたまさに手段にすぎないのである。
(フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』674)

第5章 マイナスのストローク
 父子の対立が和解に至る過程を少し詳しく見てみよう。理由は記述されていないが、そのメカニズムは読み取ることができよう。

 主人公は、『和解』において、次のような想像上の祖父の進言を通じて父と和解を決意する。

 特別の場合の他は墓の前ではお辞儀をしない癖が自分にあった。それは十六七年前キリスト教を信じた頃のある理屈からきた習慣だったが、墓の前で只ぶらぶら歩いているうちに、他の場所ではとうていそれ程は出来ない近さと明瞭さで、その墓の下の人が自分の心理に蘇って来る。
 自分は祖父の墓の前を少時く歩いていた。その内祖父が自分の心理に蘇って来た。その祖父に対して自分には「今日祖母に会いに行きたいと思うが」という相談するような気持が浮んだ。「会いに行ったらよかろう」と直ぐその祖父が答えた。自分の想像が祖父にそう答えさしたと云うにしては余りに明らかに、余りに自然に、直ぐそれが浮んだ。それは夢の中で出会う人のように客観性を持っていて、自分には如何にも生きていた時の祖父らしかった。自分は祖父のその簡単な言葉の裡に年寄った祖母に対する祖父の愛撫をさえ感じたような気がした。そしてその時自分の心は不快から明らかに父を非難していたにもかかわらず同じ自分の心に蘇っている祖父には少しも父を非難する調子はなかった。

 『和解』によると、父と子の対立から和解に至る過程は次のようなものである。主人公は、以前から対立していた父と最初の子の死に対する処遇をめぐってさらに関係が悪化する。だが、二番目の子が生まれ、彼女に祖母の名前をつけたころから、父親と和解する。父と和解するのは、子に祖母の名前をつけたことによって、自身が父の前の世代へと戻ったからである。これにより主人公の世界か父は追放される。祖母が自分の子供であるならば、父は存在しない。そうなれば、自分を「不快」にする対象が消失するのだから、対立もなくなり、「昭和的気分」が訪れる。対立解消の理由は『和解』に記されていないが、この後の『暗夜行路』の父親否認──主人公が母と祖父の子の設定──を手がかりにすると、こういった認知的操作がこの事態をもたらしたと思われる。

 こうした設定は『老人』にも認められる。老人の子どもは、実は、妻と他の男との間に生まれものであり、彼の家庭は「偽り」である。この老人はり自分が死んだ後に残される家庭を思い描くことによって家庭の偽りを解消する。今に拘れば確かに「偽り」であるが、老人が死を迎えたときこの家庭は真の家庭となる。誰かがこの世界から消えれば、丸く収まるというわけだ。「老年の自立というものは、社会人から自由人への離陸。(略)老人として若者に向けてできる唯一のことは、老いのはなやぎによって、加齢への夢を与えることだと思う」(森毅『老人の自然』)。

 『或る朝』において、祖母が主人公を「あまのじゃく」となじる。志賀の「不快」は、父への反抗は「愛情表現」であると『或る男・その姉の死』で述べられているように、むしろ好きなものに対して強く発せられると考えられる。それは志賀の殺意が直接的に父に向かうことがないこと、すなわち作一度も父殺しを書いていないことから明らかである。殺されるのはつねに自分の家族ではなく、主人公の従属者たち、すなわち『濁った頭』の駆け落ちした女中であり、『剃刀』の客である。「不快」そのものが、逆に、志賀に現実感を与えている。『暗夜行路』の前身で、父に抵抗して自分自身の気持ちを貫徹するという話だった『時任謙作』が放棄されたのは、主人公が父に対して貫徹する積極的な何ものを持っていないということを意味している。志賀はあたかも対立することが目的であるかのように父に反発する。彼の「不快」は典型的なマイナスのストロークである。自分の存在が認められていないと感じられて「不快」になり、相手の関心を引こうと否定的な行動をとる。志賀には自分の存在が確かではない。だから、マイナスのストロークを執拗に続けて確認している。無視されるくらいなら顰蹙を買うことを選ぶというわけだ。

 なお、マイナスのストロークへの対処は幼児を始め子どもの教育における課題である。否定的ストロークは子どもが大人の関心を引くためにも行うとされ、その際、それを注意すると、狙い通りとして繰り返すことになってしまう。望ましい対処法はその行為には触れず、別の点で評価することである。授業中に突然立ち歩きを始める児童がいたら、「ちょうどよかった、このプリントをみんなに配ってください」や「この問題が解けたの?よくできたね。じゃあ、次の問題もやってみようか」といった具合の対応をとる。そうすると、思惑が外れるので、マイナスのストロークをしないようになる。悪名は無名に勝るとしても、美名には負ける。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?