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「ダメ」の使い方(2013)

「ダメ」の使い方
Saven Satw
Jan. 04, 2013

「否、否、三度否!」
フリードリヒ・ニーチェ

 金田一秀穂杏林大学教授の『オツな日本語』によると、日本に来た外国人の子どもが最初に覚える言葉は「ダメ」なそうです。これは拒否を示しますが、実は、仲よくするために使われるのです。

 「うん」や「いいよ」など同意の表現は必ずしも必要ではありません。ある子の周りにおもちゃがあって、別の子がそれをとろうとしたとします。その行為を認めるのであれば、別に何も言わなくてすみます。その子も遊んでもいいんだなと理解するでしょう。一方、それが嫌なら、拒否を示す必要があります。ですから、「ダメ」を覚えないといけないのです。

 「ダメ」は相手を否定する表現ではありません。再考を促すために使われるのです。「それを言わないと、いずれ暴力が搭乗してしまうようなものすごいケンカになる。その暴力を防ぐためには、(略)『ダメ』という言葉で意思表示をして、相手にちょっと考えてもらわないといけない。ダメという言葉によって、初めて平和的になることができるというわけです」(金田一秀穂『オツな日本語』)。

 これは外国人の子どもに限ったことではないでしょう。実際、「ダメ」が持ちネタのコメディアンの使い方も考え直しの要求です。欽ちゃんは「ダメだよ~」と言って別のアイデアを催促します。また、ドリフの長さんは「ダメだこりゃ」とつぶやいた後に、「次いってみよー」と続けるのです。

 「ダメ」は、その習得時期を考えると、非常に原初的な言葉です。けれども、その用法は再検討の要請です。原初的な感情の情動ではなく、交渉だと言えます。交渉によって相手と平和的に共存しようという合図なのです。社会性と言っては大げさかもしれませんが、社交性の第一歩であることは確かです。

 ところが、サイバー空間を含めた巷では、「ダメ」は相手の否定として使われていることが少なくありません。荻上チキはそれを「ダメ出し社会」と呼んでいます。「ダメ」の用法自身がその使っている人の置かれている状況をよく物語っているのでしょう。社会的構造変化によって否定されたと感じ、何らかの対象を選び出し、その反動として、つまりルサンチマンとして「ダメ」と叫んでいるわけです。これは平和ではなく、暴力につながります。

 否定ですから、どこがどう問題なのかがはっきりしません。考える前に、まず「ダメ」という価値判断があるのです。結論が早いのです。それは不安の現われでもあるでしょう。不安は主観的です。客観的基準によって段階として示すことになじみません。

 人は、成長するにつれ、子どもの頃を忘れがちになります。けれども、最初から今の自分だったというわけではありません。たどってきた過程を思い返すことで、自身を見つめ直し、より高い自分へと成長することができるものです。

 「ダメ」は、子どもたちの間では、言語的コミュニケーションのきっかけとして使われています。利害や既得権が複雑に絡み合っている現代です。拙速に結論を出すのではなく、しなやかかつしたたかに交渉することが必要です。そう考えると、子どもの方が成熟しているとさえ言えるでしょう。いつから用い方が変わってしまったのかを遡行してルサンチマンを自覚することも、ですから、「ダメ出し社会」の克服につながるのです。
〈了〉
参照文献
荻上チキ、『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか─絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』、幻冬舎新書、2012年
金田一秀穂、『オツな日本語』、日本文芸社、2012年

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