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暴力の連鎖と感情(2015)

暴力の連鎖と感情
Saven Satow
Feb. 09, 2015

「心にある感情を隠すことは、にない感情を装う以上に難しい」。
ラ・ロシュフーコー

 なぜ暴力が連鎖するのかという問いには感情について考えることが必要である。暴力の行使には、概して、怒りが働いているからだ。

 日常的なコミュニケーションにおいて感情は重要な機能を果たしている。相手の感情を察することができなければ、社会性に疑問符がつく。感情を通じて基本的人間関係が形成される。

 ただ、一般に「感情」と言うが、実際には三種類に大別できる。それは狭義の「感情(Sentiment)」、「情動(Emotion)」、「気分(Mood)」である。

 暴力の連鎖につながるのが情動である。それは怒りや驚き、恐れなどプリミティブな物であり、興奮状態に結びつく。明確な対象によって引き起こされ、急激な状態変化が自覚、生理的喚起と表情変化を伴う。それは情報処理に使う資源を奪ったり、そうした過程に割りこんだりする。そのため、情動は情報処理能力を低下させる反面、即座の行動を促す。

 情動は非常に反応が速い。その判断は既有知識やヒューリスティックに依拠する。感情は理性が役に立たない、もしくは破綻した状態において威力を発揮する。判断ミスが死に直結するプリミティブな状況がそれに当たる。そこでは感情はソマティック・マーカーである。

 情動と違い、抑鬱や胸騒ぎといった気分は明確な対象によって引き起こされない。日本語には、「気持ち悪い」や「気が重い」、「気になる」など「気」を用いた言い回しがあるが、それらはなぜそうなるのかが曖昧だ。このなんとなくの感じが気分である。

 感情は人が個体として感じる場合もあるが、総じて社会的である。感情は身体的感覚と違って、刺激と反応が一元的に結び付いていない。内からわきあがってくると感じながら、ある対象をめぐる感情が人によって同じとは限らない。その形成過程は自分の内と外との相互作用である。

 感情は人の内と外の複合的過程の表出である。外界と関連するから、人は感情を共有することができる。この共感能力を軽視ないし無視すると、社会的人格として不十分と見なされる。社会性は社交性であり、その形成には共感能力を必要とする。

 内と外との複合であるから、感情に関する価値観が文化によって異なり、その表出に特徴が認められる。ただ、感情に原初的なものもあり、それは比較的普遍的である。情動はその典型である。

 情動は対象が明確である。そのため、対象を通じて他者と思いを共有することができる。対象は具体的であるほど、情動のそうした効果を高める。映像が好例である。ある光景を目にして怒りが沸き起こった場合、判断力が低下し、それを共有して連帯感が生まれ、敵と味方の二項対立が発生する。情動は行動を促すので、敵への暴力の行使が行われる。相手側にも同様の状況が生じ、連鎖が始まる。

 権力基盤を強化するために、政治家はしばしば情動を扇動する。テロの脅威は人々の生活の安全を脅かされるからではない。テロはまさに情動を刺激するので、それを口実に権力が管理統制を強化し、自由民主主義の理念をないがしろにするからだ。自由民主主義が実現されてこそ他者と共存できる。それが抑圧されれば共生が難しくなるのだから、社会の分断を狙うテロの思うつぼだ。

 感情には社会的な絆がもたらすものがある。それが狭義の感情である。人には絆を通じて他者の感情に共感する。それが社会の関係の基礎の一つである。安心感は大切な人と一緒にいるという納得から生じている。客観的な基準で安全が確保されているだけでは不十分である。安全は安心の必要条件であっても、十分条件ではない。また、さみしさや悲しみは絆が弱まっている、もしくは失われていると感じる社会的感情である

 喜びもそうした社会的感情に含まれる。ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがフリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜の歌』を交響曲第9番に合唱として引用したのは象徴的である。社会的感情が人間性を共有させる。自分は大切な人と一緒にいて、決して孤立していない。そのような思いが喜びとして湧きあがる。

 社会的感情が交感されているところに、暴力はない。暴力の連鎖は情動に後押しされるのだから、社会的感情が共有されにくい時に生じる。

 政治の良しあしは情動を扇動しているか、それとも社会的感情を交感させているかからでも判断できる。と言うのも、トマス・ホッブズ以来の近代政治の課題は平和を実現することだからである。安倍晋三首相は威勢よく好戦的な言動を連発する。彼の統治がよいか悪いかは、感情から見るなら、明らかである。
〈了〉
参照文献
内堀基光、『「ひと学」への招待』、放送大学教育振興会、2012年

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