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経営者エンゲルス(2)(2017)

2 経営者としてのエンゲルス
 ここで19世紀半ば以降の欧州の経済状況について簡単に述べておきましょう。

 1840年代、英国を皮切りにヨーロッパで鉄道ブームが起きます。鉄道は鉄鋼をはじめ関連産業が広範囲に亘ります。また、輸送・交通インフラですから、その沿線に新たな産業を勃興させます。鉄道建設が一段落する1870年代半ばまで欧州各国は好景気に沸きます。

 イギリスは本国で鉄道網が整備されると、インドを始め海外に鉄道投資を行っています。明治維新を迎えた日本にも売りこんでいます。他の欧州諸国もイギリスに続きます。

 けれども、英国の繊維産業は、この間、ショックに見舞われています。それはアメリカの南北戦争です。イギリスの紡績業は主にアメリカの南部から綿を輸入し、それを加工して国内外で販売しています。1861年に戦争が始まると、南部から綿が英国に入ってこなくなります。

 南部連合は、綿花が欲しいだろうから、イギリスは自分たちに味方してくれると期待しています。しかし、英国の世論は奴隷制に批判的で、政府は中立の姿勢をとります。こうした事情を無視できませんので、繊維産業は原料の輸入先をエジプトに切り替えます。

 近代化を目指すエジプトは19世紀初頭より農村振興のために綿花栽培が奨励されています。エジプトは綿花を中心とした農業立国で、ナイル・デルタは一大綿花畑になっています。南北戦争は1865年に終わりますが、南部が綿輸出を再開するまでにはしばらくかかっています。請求で、無計画な近代化によりエジプトに農業による蓄えを食いつぶし、1862年に初めて外債を発行します。しかし、南部の輸出が再開され、綿の価格が暴落します。1876年、エジプトは財政破綻し、列強による国際管理に置かれます。

 鉄道ブームが終わった1870年代半ばから欧州は長期不況に見舞われます。それは電気・重化学工業が発展する20世紀に入るまで続きます。この不況期に軽から重への産業構造の変化に伴い、欧州の工業の中心はイギリスからドイツに移っています。また、1870年代半ばに産業革命を達成したアメリカ合衆国が急速に工業国として台頭します。その勢いを目の当たりにし、20世紀はアメリカの世紀になると少なからずの欧州の知識人が予想します。

 欧州長期不況の間、イギリスはデフレに直面します。他国が製造業において国際競争力をつけてきたこともあり、英国の投資家は海外に目を向けます。英国はモノ作りから金融に産業が徐々にシフト、世界最大の債権国になります。為替相場がポンド高で、輸出産業には苦しい環境です。ただ、安い輸入品が手に入り、労働者の生活水準は決して悪くありません。

 エンゲルスはこういう時代に紡績工場を経営しています。彼は、景気が下り坂に向かう時期に経営者に就任しています。当時は政府が景気回復に財政出動などしてくれません。また、経営者ですから、政治的・経済的動向に敏感でなければなりません。しかし、19世紀にはCNNもインターネットもありません。さまざまなルートで情報を収集し、取引などのために海外にも直接足を運んでいます。エンゲルスはおよそ20言語を理解できたとされています。

 経営者としての知識・経験は、少なくとも、エンゲルスの軍事問題に関する考察に生かされています。綿花の確保が示しているように、戦争は企業経営に大きな影響を及ぼします。経営者は戦争の気配を察知し、始まった際の展開を読み、その対応策を用意しておかなければなりません。

 「エンゲルスの予言」と呼ばれるアフガニスタンに関する軍事行動の戒めがしばしば引用されます。それは「アフガニスタンはヨーロッパの異教徒らに統治されうる場所ではない」というものです。

 エンゲルスは、1857年、アメリカの百科事典のためにアフガニスタンの項目を執筆します。彼は、その際、大英帝国のアフガン侵攻(1838~42)の失敗をめぐって考察をしています。

 エンゲルスは「アフガニスタンは地政学的位置とアフガン人の独特の指向で政治的重要性を持った」と述べています。アフガンはヒンドスタン平原を占領した外部勢力による侵略の通路となり、何回も外部の侵略を受けています。インドを植民地にした英国も例外ではありません。けれども、そこに住む「彼らに戦争は刺激であり単調さからの気分転換」であり、アフガン人は「勇気があり大胆で独立心が強い種族」と記しています。

 イギリス軍は、1838年、アフガンに侵攻、8ヶ月間でカブールを占領し、傀儡政府を樹立します。勝ったとして英国は兵力を削減しています。すると、各地で武装蜂起が始まり、駐留軍は孤立、アフガン部族と屈辱的な交渉し、撤退することになります。ところが、退却過程で、山岳部族の襲撃に遭い、軍人4,500人と民間人12,000人がほぼ全滅してしまうのです。エンゲルスはこれを1812年のナポレオン軍のモスクワ退却になぞらえています。

 アフガニスタンへの軍事侵攻の話が持ち上がる度に、このエンゲルスの予言が引用されます。その警告は無視されますが、予言通りの結果に至ります。しかも、アフガンにチャレンジするのは大国です。19世紀の英国に、冷戦期のソ連、一強時代のアメリカです。米軍は建国以来最も長い戦争をアフガンで続け、現在でも終わるメドがたっていません。

 また、エンゲルスは、1870年の普仏戦争の際、フランス軍がプロイセン軍にスダンで包囲された大敗すると予測します。当時、大方はフランスがプロイセンに勝つと予想しています。しかし、実際はエンゲルスの指摘した通りの結果に終わります。

 エンゲルスの軍事知識・分析は、マルクスなど仲間たちから高く評価されています。軍事問題をめぐる考察を読むと、エンゲルスが戦略的な思考をしていることが分かります。それは経営者に要求されるものの見方です。例えば、川があったとして、そこにどうやって橋をかけたらいいかを考えることが戦術的思考です。一方、戦略的思考は橋をかけたらどのような状況がもたらされるのか、その際に橋でなければならないのかを検討することです。有能な経営者だったからこそ、軍事に強かったと言えます。

 この軍事問題に限らず、エンゲルスの経営者としての知識・経験が彼の政治理論にどのように反映されているかは興味深いテーマでしょう。もちろん、それにはテキストの読み込みが必要です。しかし、経歴から推察できることもあります。

 資本主義の矛盾が頂点に達した時、団結した労働者階級が革命を起こして資本家階級の支配を打倒、社会主義社会を経て人々が必要と能力に応じて生活できる共産主義社会が到来するとエンゲルスは説きます。資本主義と社会主義が弁証法的に止揚されて共産主義が実現するのです。けれども、彼は工場の経営を労働者に任せることをしていません。経営者を務めるには労働者と違う経験や知識が必要です。経営はそんなに甘くありません。いずれ自分のようなブルジョアは克服されるだろうとしても、今は資本主義社会です。未来を語ることと今を生きることを混同しません。

 エンゲルスは現場から出発し、20年をかけて経営者の地位に就いています。二代目ですので、一般社員の頃から将来の経営者と周囲は見ていたでしょう。ただ、彼は現場を知っています。帝王学は往々にして支配することを学ぶものだと思われています。けれども、アリストテレスの『政治学』によれば、よい支配者になるには、支配された経験が必要です。支配されることがどういうことなのかを経験していれば、それを考慮して支配を行うのです。下の気持ちがわからない上では組織がうまく働きません。

 エンゲルスの労働者階級への期待は支配された経験を持つ者がよい支配者になれるという彼の経営者の認知が反映しています。ブルジョアジーはプロレタリアートの気持ちが分かっていませんから、搾取や対立が起こるのです。社会的責任を果たさない倫理なき経営がまかり通る社会は続くはずがありません。そうエンゲルスは考えていたように思えます。

 偽装や粉飾といった不祥事、政治権力との癒着、非常識なまでに高額な役員報酬、人間扱いとは言い難い雇用形態、巨額の内部留保、租税回避の利用、企業の社会的責任の軽視、人を見下す自惚れた態度、差別的な言動など経営者をめぐる問題は今も絶えません。共産主義は資本主義で成功した経営者が語った未来です。現代の経営者もそれを受けとめて、反省的に熟慮すべきでしょう。
〈了〉
参照文献
赤木昭夫、『自壊するアメリカ』、ちくま新書、2001年
坂本勉他、『イスラーム復興はなるか』。講談社現代新書、1993年
鈴木一郎編、『世界の名著』54・55、中公バックス、1980年
福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2006年
アリストテレス、『政治学』、山本光雄訳、岩波文庫、1961年

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