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昔ばなしと視覚的描写(2018)

昔ばなしと視覚的描写
Saven Satow
Sep. 06, 2018

「昔昔、浦島は、助けた亀に連れられて、龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ」。
『浦島太郎』

 昔ばなしの特徴の一つとして、外観をめぐる視覚的描写の乏しさが挙げられます。登場する人物や事物、建築物、自然環境などの外観に関する情報は、物語の展開上必要なことを除けば、言及されません。例えば、『こぶとりじいさん』の主人公には頬に大きなこぶがあると語られます。これはプロット上必須な情報です。しかし、それ以外の外形の描写はありません。しかも、この昔ばなしもそうですが、視覚的描写があると言っても、概して、抽象的・一般的で、具体性・個別性に至っていません。外観についての視覚的描写は極めて限定的です。

 この理由は写真や映画といった映像メディアが昔ばなしの時代にはなかったからではありません。確かに、そうしたメディアの出現以降、小説に具体的・個別的な視覚的描写が入ってきたことは認められます。19世紀後半の写実主義文学をそれ以前と読み比べれば、明白です。

 しかし、昔ばなしにそうした描写が欠けている理由はそれと違います。今日まで伝わってきた昔ばなしの大半は応仁の乱以降に生れています。それは主に家族における世代間によって口承されています。その家族は全人格的な人間関係の村落共同体に属しています。そこでは規範や生活世界などが共有されています。これにより昔ばなしに登場する対象のイメージが語り手と聞き手の間で共通認識されています。そのため、昔ばなしには視覚的描写の必要がないのです。

 昔ばなしは等身大の人間をあるがままに描こうとする近代小説と違います。それは民衆の集合知識の表象です。そこに登場する対象はその価値観の具現ということが少なくありません。

 あるところにおじいさんとおばあさんがいたら、そのイメージは語り手と聞き手の間で共通しています。こうした状況ではいちいち具体的・個別的な容姿を描写する必要はありません。

 実は、こうした傾向は『源氏物語絵巻』などの美術作品でも見られます。貴族の顔は引目鉤鼻で描かれ、男女の区別がありません。高貴な人は理想を具現していますから、それに従い、その容姿は共通して描写されるのです。他方、庶民は非常に個性的に描かれています。卑俗な人は理想からかけ離れていますので、雑多に描写されるのです。昔ばなしの登場人物は庶民が圧倒的ですが、共同体の価値観に従っていることはそうした美術と共通しています。

 対象の中には誰も見たことがないものもあります。龍宮城には大人も子どもも行ったことがないでしょう。ただ、自分たちが見たこともないような立派で豪華なところという共通の認知があります。語り手と聞き手が価値観や生活の知識を共有していますから、視覚的描写は要りません。

 けれども、現代において昔ばなしは音声のみによる世代間の口承文学ではありません。絵本やアニメなど視覚に訴える表現法を通じて楽しまれています。リアリズムで描かれることはないにしても、登場する対象は具象化されます。語りにはなくても、その媒体で伝えられる以上、それを絵にせざるを得ないのです。

 ところが、そうなると、その画像や動画に登場する対象が昔ばなしの時代の事情と合わないことが起こってしまいます。典型例が「おじいさん」と「おばあさん」です。

 おじいさんとおばあさんは孫の有無がそう呼ばれる基準ではありません。それはその社会において孫がいてもおかしくないとされる年齢層の人に対する故障です。これは今も昔も変わりません。

 現在の絵本やアニメにおいて、一般的に、おじいさんとおばあさんは後期高齢者と思われる養子で描かれます。白髪頭で、顔にはしわが走り、腰も曲がっています。確かに、これは今の子どもたちにとってのおじいさんとおばあさんのイメージなのでしょう。

 しかし、当時は結婚年齢が現在よりはるかに早いのです。近世の武家の女性はローティーンでの嫁入りも珍しくありません。結婚にはお金がかかりますから、貧困層は富裕層より時期が遅くなります。それでも、10代で結婚する女性が少なくありません。

 かりに16歳で嫁入り、17歳で出産したとしましょう。その子が娘で、母と同じ年齢で結婚・出産を迎えたとします。すると、彼女の母は34歳でおばあちゃんになります。ですから、30代でのおばあちゃんも少なくなかったことでしょう。同様に、男性は女性より婚姻時に年上だとしても、30代でのおじいさんも珍しくはなかったと思われます。

 実は、この推測を裏付けるようなおばあさんが出産する昔ばなしもあります。青森県に伝わる『絵ねことねずみ』が一例です。また、徳島県の『正月の神さん』のように、おじいさんとおばあさんが神仏などから子どもを授かるお話も少なくありません。これにしてもおばあさんが実際に出産したとなっていてもおかしくありません。

 当時の女性は現在に比べて初潮が遅く、閉経が早かったとされています。それでも、30代であれば、出産は十分あり得ます。昔の人は今より老けて見えたと思われますが、30代で後期高齢者の姿ということはないでしょう。

 そもそも、当時の平均寿命は50歳に達していません。江戸時代でも30代後半から40代前半といったところです。早めに結婚しないと、跡取りの生まれる可能性が低くなります。

 貧困層は医療も十分に受けられず、栄養状態もよくありません。当然、感染症のリスクが高くなります。富裕層であったとしても、抗生物質やワクチンのない時代ですから、感染症で命を落とす人も少なくありません。また、加齢による慢性疾患を発症しても、治療法は漢方薬投与など極めて限定されています。医療保険制度がありませんから、貧困層はその薬の購入もままなりません。こうした環境下、後期高齢者が村落にいたとしても、非常に少数だったと思われます。不惑を迎えれば、その人はおじいさんやおばあさんと呼ばれていたでしょう。

 松尾芭蕉は「芭蕉翁」と呼ばれています。けれども、彼は51歳で亡くなっています。40代で「翁」と見なされていたわけです。現代では40代に向かってそれを使うことなどありません。このように、今と昔には変わったこともあるのです。それは昔の人にとっては暗黙の前提であっても、今は共有されていないものも少なくありません。そうした考えを持ちながら、昔ばなしに接すると、別の姿が見えてくることもあるのです。
〈了〉

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