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ローカル企業とアベノミクス(2014)

ローカル企業とアベノミクス
Saven Satow
Dec. 03, 2014

「情けは人のためならず」。

 高度経済成長は内需主導で進展している。国内の消費と投資が正のスパイラルをしながら共に発展する。労働者は自社の製品を購入する消費者でもある。出した給料は購買行動を通じて還流してくる。加えて、消費に回らなかった所得は貯蓄され、銀行による融資の元になる。企業にとって労賃はコストではない。そのため、GDPの増大や消費の拡大、貯蓄の増加、賃金上昇が好循環をしている。戦後日本は輸入代替で成功した例外的なケースである。

 すでに産業化が進展した国で輸出志向によってGDPと実質賃金が共に上昇することは難しい。工業製品の輸出を増大するには、国際競争力の強化が必要である。その一つの手段が人件費の抑制だ。独裁者が組合活動を弾圧し、労賃を抑制するような荒っぽい手法は民主国家ではとりえない。政府が雇用規制を緩和し、低賃金労働を合法化するだろう。

 輸出産業は国内の消費をさほど考慮する必要がない。労賃は購買活動を通じて還流するものではなく、コストとして認知される。国際競争で生き残るため、売り上げが伸びても、将来不安に備えて社内に溜めこむ。市場の動向への対処は言うまでもない。国際的に企業活動が浸透すれば、ある地域の出来事が全体に影響を及ぼす。しかし、低賃金労働者の増加は国内の購買力の低下を招く。消費が伸びないので、物価が下落する。非貿易部門でも経費削減が求められ、人件費の圧縮が進む。国内経済はデフレに陥る。

 高度経済成長期、製造業は銀行からの融資で資金調達をしている。融資の原資は人々の貯蓄である。しかし、グローバル企業に成長すると、金利が安いため、証券市場から資金を得るようになる。この変化に伴い、企業は内部留保を溜めていく。この内部留保は借金ではないので、課税対象である。そのため、大企業は法人税の減税を政府に要求している。なお、ローカルな中小零細企業の大部分は金融機関からの融資により資金を調達している。

 雇用形態は労賃の定義に左右される。労賃とは何かを考え直すことで雇用のあり方も変わる。

 雇用規制の緩和は人々を市場にのみ依存するようにさせる。選択の自由と言われながらも、市場を評価基準とするたった一つの生き方を強いる。市場は裁量ではなく、ルールに基づいて運用される。それは平等であると同時に責任を自己に押しつける。人件費の圧縮圧力は格差拡大をもたらすのみならず、是正する制度の構築も鈍いので、再生産される。

 本来分配の場ではないので、市場によって格差は縮小できない。人間は情報が不完全で、合理性も限定的である。それを補うのが市場である。市場は需給を通じてその商品に関する質や量、価格の情報を明らかにする。

 1998年に改正されるまで卸売市場法はせり売りを原則とし、相対取引を禁止している。市場外取引を認めると、情報が不完全であるため、力関係で売買が決まってしまう恐れがある。しかし、大型小売店は大量仕入れなので、せりを通すと、価格が高くなる。市場は多数の小規模参加者によって構成されている時、完全競争として最も効果的に機能する。大型小売店の増加と言う時代の流れに沿い、98年の法改正以降、相対取引も条件付きで認められる。

 格差社会はマクロの経済成長があっても、その恩恵が貧困層に届かない。ただ、マクロの拡大は分配の原資のために求められる。マクロの増加分を優先順位のある制度を通じて貧困層に分配し、格差を縮小させる。ところが、先進国は財政悪化しているので、社会保障費の削減に腐心している。マクロの成長は格差の再生産につながってしまう。

 格差は社会を分断させる。まとまりがなくなり、人々の間の相互不信が高まる。このような状況では政策も効力を十分に発揮できない。ある政策を実施すると、恩恵を受ける層とそうでない層とが生じる。まとまりがあれば、それに対する理解も広がり、預かれなくても別の政策によって補われることを待てる。しかし、分裂した社会では政策をめぐって対立が激化、政府への不信感をも高まる。

 輸出が増加すれば、外貨を獲得するので、為替相場は自国通貨高になる。製造業の国際競争力には不利だ。それを避けるために、途上国には固定相場制を採用するところも少なくない。変動相場制なら、中央銀行が金融政策を発動して通貨安を誘導するほかない。金融緩和は低金利による景気過熱を招くので、不況やデフレ状況という前提が必要だ。

 国際競争力において通貨安であれば、人件費の負担が減る。圧縮圧力が弱まっても、賃金は期待通りには上昇しない。輸出産業は国内消費を気にする必要がない。売り上げ増加は内部留保に回る。金融緩和は資産投資を刺激し、株価を上昇させる。しかし、市場に分配機能はない。しかも、通貨安は輸入品価格の上昇につながる。賃金の伸びが弱いので、購買力も強くならない。

 製造業が国内にあると、それに関連してサービス業も発達する。しかし、将来性という点でこの産業にとって先進国は魅力が乏しい。先進国は人件費も高く、労働規制も厳しい。しかも、潜在的購買力の伸びも小さく、人口上昇も鈍い。すでに小家族化も進んでいるので、世帯数増も期待できない。製造業とすれば、そうした地域に生産拠点を置く意義は少ない。当局による為替相場の操作だけでこの流れをとめることはできない。

 企業は労働者が自社にとって消費者であり、投資家であると認知するなら、賃金を喜んで上げるだろう。ヘンリー・フォード以来の常識だ。実感ある経済成長はこうして実現する。しかし、内需から外需へとシフトすれば、この認知は薄らぐ。平成不況と呼ばれる長期的停滞が示したのは、労賃への認知が変化し、高度経済成長で見られた好循環が成り立たなくなった現状だ。

 組合が賃上げすればその分消費に回ると経営を説得しても、輸出志向の彼らは耳を貸さない。先進国政府は国内需要を開拓する政策をつねに打ち出す必要がある。先進国は賃金上昇に伴い、購買力が増加、GDPに占める消費の比率が高い。しかし、コストと見なされるようになった労賃抑制が進み、購買力が弱体化する。消費の低迷は経済成長の失速につながる。

 労賃の再定義が不可欠だ。行動を変えるには、認知の変化が要る。それにはグローバル経済圏の企業とローカル経済圏の企業とで分けて考えるべきだろう。ローカル産業は地域密着の労働集約型のサービス業である。産業が多様化しているのだから、それを一つの基準で捉えるのではなく、分けて検討する必要がある。

 マクロのミクロへのトリクルダウンが弱い相関性しかないように、そもそもグローバルとローカルの関係も同様だ。ローカルには強みがある。ローカルでは労賃が地域での消費のみならず、地方の金融機関への貯蓄に可視化されていることだ。労働者は消費者であり、投資家である。賃金を上げることは企業にもメリットがある。労賃の定義はコストではない。

 中小企業庁によると、非製造業では、2010年10~12月期より人手不足が始まっている。高齢化に伴う生産年齢人口が地方で特に減少する反面、退職世代が増加し、医療・介護などの需要が高まる。そのため、地方では人手が足りずに営業をやめた業者も多い。不景気の人手不足に陥る。地方はサービス業の需要が伸びている。日本には内需がある。ローカル企業が成長すれば、人口が移動し、減少速度も穏やかになり、経済における正のフィードバックが起きる。この実情をよく知り、そこから政策を練り上げるべきである。

 2012年に発足した安倍晋三政権は「アベノミクス」なる経済政策を実施する。世界的に注目されたが、それは先進国の政策担当者が自分たちの置かれた状況に対する有効な手立てを持っていないことを告げているだけだ。その是非が今回の選挙の主要争点と報道されている。政府は、この2年間、ミクロへのトリクルダウンがあるとしてマクロの拡大には熱心だったが、達成したことと言えば、株価の上昇のみである。ローカル産業の実情には目もくれていない。これを「好循環」と自画自賛する政権を評価しろと言う方が無茶な話だ。
〈了〉
参照文献
中小企業庁
http://www.chusho.meti.go.jp/

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