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生きられた超人─長嶋茂雄(9)(1992)

(8) 大下弘は天覧試合の感想を、プロ野球選手の著作の中で最も美しい『日記』に、次のように記している。「天覧試合。巨人対阪神戦。パシフィックリーグはお休みなのでゆっくり試合経過を見る事が出来た。終戦後、皇太子殿下に親しく御挨拶申し上げた事どもを思い浮かべて唯感無量!!(後楽園にて)長島君立派でした。小山君もまた立派でした。村山君、王君、二人に劣らず立派でした」。天覧試合で活躍していたのはこの四人だけではないが、大下のあげた長嶋・小山・王・村山はいずれもプロ野球の歴史に名を残すプレーヤーとなっている。大下の眼力はさすがと言うほかない。その大下の『日記』において、長嶋は小山と、村山は王と等価に扱われている。長嶋と村山の関係がライヴァル視されるのが、これで後からつくられたメロドラマということは確かであろう。大下の『日記』は最もすぐれた日記文学の一つに数えられるが、残念ながら、非常に手に入れにくくなっている。『日記』はスポーツの関係者が書いた数少ない反美学的作品である。美学は軽蔑すべきである。しかし、その理由をスポーツ・ジャーナリストはいまだに理解していない。日本の野球をめぐる環境はあまりにもひどい。それは日本人の未熟さそのものなのだ。「日本人はアメリカ人が自明のこととしている栄養と体力との間の一体一の関係を認めない。だからこそ、東京放送局は、戦争中防空壕に避難していた人びとに向かって、体操で飢えた人びとの体力と元気を回復する、などと説くことができた」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)。しかし、一方で、ルー・ゲーリックが「私は、日本に大和魂があると聞いて、それを学ぼうと楽しみにやってきた。だが、残念ながら大和魂はどこにもなかった。凡打だと、笑いながら一塁へ走ってくる選手がいた。私は、その選手をぶん殴ってやりたかった。大和魂のために……」と批判していることも、日本人は考慮しなければならない。「サムライというのは、男味を味と思わず、モラルとしてこだわる人のこと。それを男の美学と言う人もいるが、美学とはもともとあほらしいもので、あほらしさをわきまえずに酔っているのでは、本物のあほでしかない。味を楽しめてこそ美学、溺れたら悪徳」(森毅『男文化の行方』)。日本人は合理的である場面に対して非合理的で、非合理が要求されるときにそうする意欲を放棄する。合理をつくした上で、さらに非合理が求められる。日本人に欠けているのは知恵にほかならない。「ある言葉の意味とは言語[ゲーム]におけるその言葉の使用(Gebrrauch )である」(ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探求』)。
 野茂英雄が、オールスターで先発に選ばれた感想について尋ねられた際に、「ファンには申し訳ないと想うのですが、自分が一番楽しみたい」と答えたのを把えて、多くの日本のニュース・キャスターは彼を「アメリカ的発想」の持ち主と評し、「もし日本でなら、聞かれた選手はファンのために頑張りたいと返答したに違いない」と言っていたが、これは完全な事実誤認である。オールスターはシカゴのある少年が「ベーブ・ルースがカール・ハッベルの球を打つような試合が見たい」と呟いたことがきっかけで一九三三年に始まったとされ、それを知っているアメリカのプレーヤーは「ファンのために全力でプレーしたい」と述べることはあっても、「緊張感を楽しみたい」と答えるならまだしも、野茂のような発言することはまずありえない。アメリカ人は、オールスターの前、摂氏四〇度以上の中、セレモニーに参加した約一六〇人のリトル・リーガー一人一人と手をあわせていた野茂を承知していたためかもしれない。試合後、日本のオールスター以上にうまく大役を果たした野茂は「投票で選ばれた選手が、ケガでもファンのために出場しているのが印象に残った」とコメントしているから、オールスターというものをこころから理解したように思われる。アメリカにおいてファン・サービスはエンターテイナー的資質が要求される。黒人リーグで通算二千勝以上をあげ、五〇歳を超えてから初めて大リーグのマウンドに上った伝説的大投手サチェル・ペイジは、「ダイヤモンドさえあれば、刑務所だろうと、農場だろうと、どこででも投げるさ」と豪語し、勝敗には無頓着で、とにかくファンへのサービス精神が旺盛である。実際、彼は歌と踊りが得意、コメディアンとしての素質はかなりのものだったと伝わっている。一方、玉木正之が、『プロ野球大事典』において、コメディアンとしての才能に恵まれた坂東英二について、「私事ではあるが、徳島県出身のわたしの父は、のちにテレビのブラウン管のなかで立て板に水の如く喋りまくっている男と、かつての徳島商高のエースとが、同一人物であるとは、絶対に認めようとしない」と書いているように、日本の伝説的投手の沢村栄治にコメディアンの才能があったとは考えられないだろう。おそらく日本人の言う「楽しむ」という言葉の意味はアメリカ人と違う。「真理も、笑いながら、語られるべきものである」(エラスムス)。従って、目的はともかく、インフィールド・フライを理解できない人たちにメディアは大リーグに関するコメントを求めるべきではない。
 日本では短い現役生活には暗さだけが目立つが、アメリカの場合、明るく、どこかほのぼのとさえしている。デトロイト・タイガースのエースだったマーク“ザ・バード”フィンドリッチはデビューした年にオールスターで先発するほどのピッチャーだったが、五シーズンで引退している。膝まずいてマウンドを両手でならし、ボールに話しかけ、投げる度に、両腕をはばたかせ、膝を二回屈伸するバードの姿にデトロイトのファンは「ウィ・ウォント・ザ・バード」と大合唱を送っている。しかし、彼は一九勝九敗四完封防御率二・三四で、新人王に輝いた翌年から、肘や肩の故障に苦しめられ、四年間で一〇勝一〇敗しか残せない。その後、庭師になったマークは、大リーグ時代を「なんらかの仮定に立って物事を見るのは好きじゃないな。ぼくは、自分がかつて成し遂げた仕事にも満足しているが、今の自分にも満足している。なにかが終わってしまったときには、こういうしかない。終わった。僕はあの場所から出てきたんだって」と振り返っている。また、ロサンゼルス・ドジャースのサンディ・コーファックスは、二七勝をあげて二年連続最多勝、防御率一・七三で五年連続最優秀防御率という成績を残しながら、シーズン終了後、肩の痛みを訴えて 引退している。ナ・リーグの最多奪三振記録、四年連続ノーヒット・ノーラン--その四年目は完全試合--をもマークしたサウスポーは、このとき、まだ三〇歳だったが、「髪に櫛を入れられなくなる前に引退したい」と言い残し、現役を去っていく。これは、アメリカにおいては、スポーツが文化であると認識されているのに対して、日本人がスポーツをもつねに反文化的なものにしてしまうからであろう。「楽しみの点からとらえるのなら、もっと文化的に向上し、多くのよろこびがもたらされねばならない。(略)西欧の国では、都市ごとにスタジアムがたてられ、老人から子供まで、だれもがスポーツを楽しみ、生活をエンジョイしている。スポーツをとおして、機能とやすらぎを体で感じ、こころに吸収している。それが人間の生活であり、文化である。僕たちも、そのようにスポーツを楽しみたい」(虫明亜呂無『スポーツ人間学』)。「おそらく日本人の感受性がどこか安直に、なにかによりかかりやすくできているのであろう。スポーツを好きそうでいて、実は意外なほどスポーツに愛着をもっていない国民性がそうしからしめるのであろう。スポーツに名をかりたドラマだけが愛好されるのであろう。段取りと筋書きと状況だけが常に関心の的である」(虫明亜呂無『スポーツへの誘惑』)。
「しかし芸術と蛮行を分かつものは、『遊び』の要素である。そしてアイロニー喜劇の重要な主題は、人身御供『ごっこ』であるように思われる。笑いそのものにおいても不愉快なことからの解放、時には恐ろしい事からの解放が非常に大切であるようだ。このことは、同時に多数の観客を相手とする芸術形式、特にドラマや、もっとはっきりした例としてスポーツの場合には、特に明瞭にわかることである。また注意すべきことは、人身御供のまねをすることと、旧喜劇について言われるよう、歴史上の犠牲祭儀起源説とは、何も関係がない、ということである。この祭儀のすべての特徴──王子、死の擬態、死刑執行人、犠牲者のすりかえなど──をはっきり示しているのは、アリストパネスよりもむしろ、ギルバートとサリヴァンの『ミカド』の方なのだ。人身御供の祭儀をその起源と考える根拠は少しもない野球においても、アンパイアは純然たるパルマコスなのであって、まるで実際野球の起源がそのようであったかのようである。審判は罰あたりの無頼漢、バラバ顔負けの大泥棒であり、彼に睨まれるとゲンが悪くなる。負けているチームのファンたちは、彼奴を殺せとわめく。これは遊びであるから、モッブ的な感情は、いわば蓋のない大鍋のなかで煮えたぎっている。実際にリンチを行う暴徒の場合には、この感情が道義感(とブレイクなら呼ぶであろう)という溶鉱炉のなかに密閉されるのである。ローマ時代の剣闘競技では、観衆を楽しませている人々に対して、実際に生殺与奪の力を振うのであるが、およそ劇形式の野蛮かつ悪魔的なパロディのなかでも、これこそ恐ろしくもっとも徹底したものであろう」(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)。今日の日本文化にはこの「遊び」の要素が乏しい。日本人はスポーツにおいて「遊び」を不謹慎と考え、暴力に対して最も甘い。ベースボールでもそれが表われている。何しろ、審判に暴力をふるって平気でいるプレーヤーや監督、コーチがいるからだ。
 長嶋は最も暴力に否定的である。落合博満もこの非暴力主義を理解している一人である。これだけでも、日本人は落合に敬意を示さなければならない。そのため、恐るべき量の映画を見ている落合博満が映画に関する批評を著わしてくれることをこころ待ちにしている。それは、おそらく、映画以上に映画的な作品になるに違いない。
 3Aからやってきたマイケル・ディミュロ審判が、日本プロ野球の暴力に直面したことにショックを受け、シーズン途中で辞任、帰国してしまう。西村欣也は、この事件をめぐって、一九九七年六月一〇日付『朝日新聞』朝刊において、「裁定に異議を唱えることが許されない根拠は何だろう。『審判の権威』をあげる人がいる。が、権威は二次的に生まれたものだ。審判の裁定に異議が許されないのは、審判がミスを冒すことを前提にしているからだ。『審判がミスを 冒しても、審判に従う』。それは、野球というスポーツが生まれた時からの、ある意味でとても人間臭いルール、なのだ」と書いている。マイケル・ディミュロ事件に関して、さまざまなメディアが言及したが、西村以外のものはおそろしく見当はずれである。西村の適確さには経緯を表しながらも、この貧困さ、すなわち「哲学の貧困」(マルクス)にはさすがに唖然とせざるを得ない。もちろん、大リーグも最初から審判の地位が確立されていたわけではない。かつては審判は選手や監督、コーチだけでなく、観客の暴力にもさらされている。観客の暴力によって命を落とした審判が、少なくとも、二人もいるのだ。さまざまな人々の地道な努力により今の審判の地位があるのである。『シカゴ・トリビューン』は、「フィールドで一番偉いのは、日本では監督だ。彼の言葉は法律であり、激高して選手を平手打ちにしたりする。アンパイアは判定者ではない。せいぜい正確さを期待されている帳簿係か……」と皮肉っている。寛容でなければならない。なぜならば、絶対ではなく、ミスを冒すからだ。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(『ヨハネによる福音書』八章七節)。
 審判をめぐるトラブルは、これ以降も尽きない。メディアはつねに審判を非難ばかりしている。それに対し、豊田泰光は、二〇〇一年八月二三日付の『日本経済新聞』に「野球には誤審はない」という次のようなコラムを寄せている。「16日のヤクルト─横浜戦の判定をめぐり、一部スポーツ紙に”誤審”の大見出しが躍ったが、野球には原則的に誤審はないということを確認しておきたい。横浜・佐伯の左翼へのライナーをダイレクト捕球したかどうかが、問題になった。ビデオで見ると横浜の主張通り、捕球前にバウンドしているけれど、野球における『事実』は違う。審判がアウトといえばアウト。テレビを見たファンには納得してもらえないかもしれないが、フィールドはビデオとは別の世界と思っていただくしかない。審判にも事後処理の不手際があったとはいえ、マスコミまでお茶の間感覚で騒ぎたててはいけない。 審判をビデオと競わせても仕方がないだろう。大相撲の判定の参考にビデオが用いられて30年以上になるけれど、機械の視線を横目に仕事をする行司さんが気の毒な気がする。人の目による裁きで球史は編まれてきたし、それがいいところだと私は思う。例えば西鉄が巨人を逆転で下した1958年日本シリーズでの小渕泰輔の三塁線二塁打。第5戦の九回裏に飛び出したこの一打で西鉄は生き返るのだが、ビデオで見たらファウルだったかもしれない。ヤクルト-阪急の78年日本シリーズ最終戦。大杉勝男が放った左翼ポール際の本塁打もわからない。いい出せばきりがないが。どんな大勝負であれ、我々は判定のみを事実としてのみ込んできた。『長嶋ボール』『王ボール』というのがあった。追い込まれてからのきわどい球がONの場合、ボールと判定されるというもので、サンケイ時代、味方投手が何度も泣かされるのを見た。だがファンの多くが見逃し三振でベンチに帰る長嶋、王を見にきたのではなかったと思えば、目くじら立てて論じられるものでもない。すべての判定を機械任せにして、人間が裁くところに生じる陰影の余地をなくしてしまっては、野球もつまらなくなるのではないか。審判いじめはやめよう。判定のミスより、采配やプレーのミスがはるかに起こりやすい敗戦の要素なのだから」。もう少し目分量を信じるべきである。絶対的なものを信じることは、結論だけがすべてであるため、たんなる目的論的視点である。過程が重要なのだ。暴力は、結果偏重が蔓延するときに、起こる。「われわれがたがいに赦しあうべきことのほうがいっそう明らかである。なぜならば、われわれは脆弱で無定見であり、不安定と誤謬に陥りやすいからである」(ヴォルテール『哲学辞典』)。
 アメリカでは「公正に」ゲームを運営するために審判を置いているのに対し、日本では審判に「正しさ」を求めている。関係において公正であるか否かを判断するのではなく、絶対的基準に照らし合わせる正義を審判に課している信念があるから、VTRの導入が選手や監督、ファンからも当然視されてしまう。しかし、ゲームは相手があって可能になる相対的なものである。

(9) 清水義範は、『いわゆるひとつのトータル的な長嶋節』において、もし長嶋が教師なら、成績が大きく下がってしまった生徒に対して次のように言うだろうと書いている。「うーん。どうしちゃったんだろう。成績がほら、こんなに下がっているんだけども、まあそれは確かに、人間誰だって調子がどうも出ない、スランプだ、という時もあるんだからね、きみの場合もいわゆるそういうことかもしれないと先生思うんですね。まあこれは先生見てて思うんだけど、うーん、きみは本当はやればもっとできる、成績が上がって当然というひとつの基本的な学力的なものを十分に持っているわけで、ただどうなんだろう、それがひとつ結果的な面に出てきていないだけなんですね。ですからやればできるはずなんです。もう少し努力をしてみせるというね、そのことが先生、きみのトータル的な学力を大きくのばすことになると信じているんだ。うん。まあ、この話はこれくらいにしようね。とりあえずその元気で、明るく学校のですね、生活を楽しんでいってほしいと、先生は思っています」。

(10)「けれども困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態とむすびついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範としての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある。おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか? 人類がもっとも美しく花をひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか? しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。古代民族の多くはこのカテゴリーにはいるのである。ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、この芸術が生い育った未発展な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである、それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである」(マルクス『経済学批判序説』)。
 大下弘は、『日記』において、「『大人になると子供と遊ぶのが馬鹿らしくなる』と人は云ふかも知れないが、私はそうは思はない。子供心にかへるのが恐しいから云ふのだろう、余りにも汚ない大人の世界を、子供の世界を見たばかりに反省させられるのが嫌なのかも知れぬ。私は其の反対だ、子供の世界に立入って、自分も童心にかへり夢の続きを見たいからなのだ。子供の夢は清く美しい。あへて私は童心の世界にとびこんでゆく」と記している。イチローは飛び散る汗やほこりっぽい泥のまったく似合わないイチローの気だるいバッテイング・スタンスは「夢の続き」の感触を伝える。ピッチャーがモーションに入り始めると、彼の細身の体は、寝起きのときのように、気だるく動き始める。振り子のごとくゆれる彼の右足は、催眠術師の時計のような効果を与え、見ているものを夢うつつの状態に誘う。右手の掌でグリップエンドを包みこんだイチローのバットがボールを捉え、高いミート音があがった瞬間、ハッとして夢から覚める。すると、鋭い打球は野手を嘲笑いながら、もうはるかかなたに飛んでいってしまっている。イチローは、現実に戻ったファンの歓喜の世界の中、優雅に走っていくのである。この作品の中で批判してきたプレーヤーたちを、そのプレーの素晴らしさゆえに、賞賛されねばならない。彼らも不可欠なのだ。大下だけでなく、川上も、長嶋も、王も、落合も、多くの(元も含めた)選手たちが、引退後、子供たちに野球教室を開いている。おそらく「夢の続き」を見たかったからだろう。イチローもそうするに違いない。それを待っている。「もし私たちがたった一つの瞬間に対してだけでも然りと断言するなら、私たちはこのことで、私たち自身に対してのみならず、すべての実存に対して然りと断言したのである。なぜなら、それだけで孤立しているものは、私たち自身のうちにも、事物のうちにも、何一つとしてないからである」(『権力への意志』)。

参照文献
Ⅰ単行本
(1) Dewey, J, Art as Experience, Capricon Books ,1958(1934)
(2) 吉目木晴彦、『魔球の伝説』、講談社、一九九〇年
(3) 草野進・編、『プロ野球批評宣言』、冬樹社、一九八五年
(4) 玉木正之、『プロ野球大事典』、新潮文庫、一九九〇年
(5) 玉木正之、『プロ野球の友』、新潮文庫、一九八八年
(6) 玉木正之・編、『定本・長嶋茂雄』、文春文庫、一九九三年
(7) ナンバー・編、『豪球列伝』、文春文庫、一九八六年
(8) ナンバー・編、『豪打列伝』、文春文庫、一九八六年
(9) 文芸春秋・編、『助っ人列伝』、文春文庫、一九八七年
(10) ナンバー・編、『巧守巧走列伝』、文春文庫、一九八九年
(11) ナンバー・編、『熱闘! プロ野球三十番勝負』、文春文庫、一九九〇年
(12) ロン・ルチアーノ、『アンパイアの逆襲』、井上一馬訳、文春文庫、一九八七年
(13) 近藤唯之、『プロ野球監督列伝』、新潮文庫、一九八四年
(14) 寺山修司、『誰か故郷を想はざる』、角川文庫、一九七三年
(15) ニーチェ、『ツァラトゥストラはこう語った』上下、氷上英廣訳、岩波文庫、上一九六七年、下一九七〇年
(16) ニーチェ、『ニーチェ全集』各巻、ちくま学芸文庫
(17) 竹田青嗣、『ニーチェ』、現代書館、一九八八年
(18) 池井優、『プロ野球おもしろこぼれ話』、三笠書房知的生きかた文庫、一九九二年
(19) ノースロップ・フライ、『批評の解剖』、海老根宏他訳、法政大学出版局、一九八〇年
(20) マルクス、『経済学批判』、武田隆夫他訳、岩波文庫、一九五六年
(21) 佐山和夫、『黒人野球のヒーローたち』、中公新書、一九九四年
(22) 島秀之助、『プロ野球審判の眼』、岩波新書、一九八六年
(23) ヨハン・ホイジンガ、『ホモ・ルーデンス』、高橋英夫訳、中公文庫、一九七三年
(24) 青田昇、『サムライ達のプロ野球』、文春文庫、一九九六年
(25) 柄谷行人、『批評とポスト・モダン』、福武文庫、一九八九年
(26) 共同訳聖書実行委員会、『聖書』、新共同訳、日本聖書協会、一九八八年
(27) 『日本国憲法』、講談社学術文庫、一九八五年
Ⅱ雑誌
(1) 「ホームラン主義」、『Number』二七二号、一九九一年八月五日、文芸春秋
(2) 「プロフェッショナルの証明」、『Number』二八五号、一九九二年二月二〇日
(3) 「大リーグに行こう」、『Number』三七四号、一九九五年九月一四日

捕捉
 本作品は1992年3月31日に脱稿されたものです。ただ、第二期長嶋政権の発足などその後の状況の変化に伴い、当初の趣旨を損ねない程度に2000年まで加筆しております。今日から見て古くなった記述や変わってしまった筆者の意見も多く含まれていますが、当時の感覚を尊重するために、そのままにしてあります。

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