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終われぬ20世紀(2023)

終われぬ20世紀
Saven Satow
Jul. 18, 2023

「物語はここから始まるのだ」。
手塚治虫

 英国の歴史家エリック・ホブズボームは19世紀をフランス革命が始まる1789年から第一次世界大戦が勃発する1914年までの間、20世紀をその後からソ連が解体した1991年までの間と区分する。彼は、その上で、前者を「長い19世紀(The Long 19th Century」、後者を「短い20世紀(The Short 20th Century)」と呼ぶ。

 ホブズボームの見解では、世界は1991年から21世紀に入っている。しかし、21世紀を表象する新たな思想は生まれていない。むしろ、もはや新しい何ものかなど生まれず、既存のものの繰り返しが展開されるだけだというポストモダンの時代認識が現実化している。例えば、最近の米中対立は「新冷戦」と呼ばれている。また、2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略でも、第一次世界大戦で見られた大砲と塹壕の戦闘が復活している。こういった状況を考慮するなら、「短い20世紀」よりも「終われぬ20世紀(The Endless 20th Century)」の呼称の方がふさわしい。

 ところで、戦前はジャーナリスト、戦後は政治家として活躍した石橋湛山は、『百年戦争の予想』(1941)において、ホブズボームに先立つ歴史区分を示している。彼は19世紀と20世紀の始まりを同様に認識しつつ、両世紀の時代精神を論じている。

 この「百年戦争」は1338年から1453年まで続いた英仏百年戦争に着想を得ている。それは一つの戦争が100年も続くことを意味しない。その後に決定的な変化を世界にもたらす戦争が起こる。それが終戦を迎えても、世界の動揺は開戦からおよそ100年は続く。それが湛山の言う「百年戦争」である。

 その戦争によって引き起こされた経済的変動がおよそ100年間に渡る政治的・社会的影響を及ぼす。湛山によれば、19世紀はナポレオン戦争、20世紀は第一次世界大戦によって始まる「百年戦争」の時代である。彼は20世紀の始まりを第一次世界大戦の開戦である1914年と主張する。第二次世界大戦はその延長であるが、それが終わっても、実質的にはまだ続く。100年はあくまで形容であるけれども、湛山に従うなら、20世紀という「百年戦争」は2014年まで継続することになる。

 湛山は近代の柱となる思想を「個人主義」・「自由主義」・「資本主義」と指摘する。「近代の世界において、個人主義、自由主義、あるいは資本主義等といわれて居る一連の思想およびこれに基づく機構は、どうして興って来たかと考えますに、これは大ざっぱに申して、近代の産業技術の進歩と、これに伴う物資の豊富な生産を動力として発生したものだといえると存じます(『百年戦争の予想』)。

 ナポレオン戦争によって欧州における産業構造の再編成が促される。その上で、湛山は19世紀の「指導原理」を自由放任流の資本主義と指摘する。古典派経済学は市場の自由な活動に経済を委ね、国家が干渉することを斥ける。また、国際的な経済取引として各国は金本位制を採用する。レッセフェール資本主義が政治・経済・社会の体制を構築する。

 湛山によれば、それを否定したのが第一次世界大戦である。戦争が長期化するにつれ、各国とも物的・人的資源ならびに情報を戦争に向けて効率よく活用するために制度や法律を再編し始める。経済的・社会的な市民生活に対する国家の関与が増し、自由放任流の思想が否定される。政府は資源も労働力も軍需産業へ優先的に回し、生活物資を配給制に切り替える。国家による管理統制が日常化し、銃後も戦争に完全に組みこまれる。戦時下、参戦国は管理社会を目指していく。

 大戦後、各国は戦前の体制へと回帰しようとしたが、湛山によれば、20年代に自由放任主義が復権しかけたものの、うまくいかない。そこで、戦後は「失敗した資本主義」に代わる「指導原理」が模索され続け、多くの国々で大戦中に経験した管理統制の体制にそれを見出そうとしている。総力戦を主導した官僚機構による管理統制を平時にも導入する計画経済が新たな「指導原理」として登場したのが「共産主義」であり、「全体主義」である。「共産主義も全体主義も、経済組織としては、いわゆる計画経済に属すると申せましょう。ただ現状においては、全体主義国の経済は、共産主義国におけるほど、計画性が徹底的ではありません。いわゆる統制経済の範囲に未だあるとも申せます」(『百年戦争の予想』)。

 現在の理解では、ソ連も全体主義に分類される。スターリニズムを左の全体主義、ナチズムやファシズムを右の全体主義とそれぞれ捉える。経済の管理統制の観点から見れば、左の方が右寄り徹底している。

 湛山は、『百年戦争の予想』において、第一次大戦後の国際経済秩序について次のように述べている。

 しかしこの前の世界戦後には、関税戦争だけでは済まず、輸入の割当とか、許可制とか、その他種々なる方法が工夫され、互いに他国の商品を自国に入れないようにする、いわゆるエコノミック・ナショナリズムが、非常に強烈になりました。そしてついに金本位通貨制度までが倒れ、資本主義によって建設された世界の経済秩序はめちゃめちゃに破壊されました。かくて資本主義は戦後再び世界平和を回復することが出来ず、二十余年の混乱の後、今度の第二次世界大戦になったのであります。資本主義およびそれの政治的側面でありますデモクラシーの権威が失墜したのももっともなわけであります。

 近代の柱は個人主義や自由主義、資本主義である。資本主義が抑圧されるなら、他の二つも制約される。すると、それに立脚する競争的民主主義も十分に機能できなくなる。当時の日本でも、近代の超克とばかりに、資本主義に代わり統制経済や計画経済の導入が試みられている。しかし、湛山はそれらが経済合理性の希薄さや官僚主義的無責任などにより失敗すると指摘、資本主義の意義を認める。その上で、彼は第二次世界大戦を新たな「指導原理」の抗争と位置付ける。

 計画経済や統制経済に対抗するのは、湛山によると、新しい資本主義に基づく「自由通商主義」である。それを推進する国が全体主義や共産主義と対決する。「世界の経済には、何らかの形で通商の自由が確保されなければ、治まらないが、それにはフェーラーが必要である。過去においては、その役目を英国が勤めたのです」(『百年戦争の予想』)。第二次世界大戦は、イギリスに代わる「経済的フェーラー」、すなわち経済覇権を争う闘争である。湛山は、1941年の時点でドイツとソ連が戦っているが、いずれアメリカが参戦するだろうと予想している。これは、自由通商主義が「指導原理」だとしている以上、全体主義ドイツや共産主義ソ連と比べて自由貿易に積極的なアメリカの勝利を暗示している。当時のアメリカはケインズ主義的なニューディール政策を実施、それは後に福祉国家体制と呼ばれる。修正資本主義に基づく国際的な自由貿易体制が戦後の「指導原理」になる。合衆国を経済的覇権として自由貿易圏が形成されていくということである。湛山の「自由通商主義」とは今日の「グローバリゼーション」を指している。

 驚くべき先見性であるが、こうした一国主導による広域経済圏の形成は、決して、好ましいものではない。むしろ、「列強が真に協調して、全世界を打って一丸とした広域経済を作ること」を進めるべきである。言うまでもなく、それは困難であり、その到来までには「世界はまだまだ苦難時代を経ねばなりますまい」(『百年戦争の予想』)。

 「自由通商主義」は資本主義に立脚、個人主義や自由主義の発展にもつながる。そのため、グローバリゼーションを否定する時、「エコノミック・ナショナリズム」が息を吹き返す。それは2010年代にポピュリズムや権威主義という姿で現われ、計画経済や統制経済同様に、民主主義への信頼を貶める。これは20世紀前半に起きたことの繰り返しである。東西冷戦は「自由通商主義」の文脈で捉えるなら、第二次世界大戦に見られた「指導原理」の闘争の延長である。冷戦終結は20世紀の指導原理のグローバリゼーションを促すので、湛山に従うなら、これが世紀の終わりを意味しない。むしろ、「終われぬ20世紀」の兆候である。

 「自由通商主義」に基づく国際平和の発想が相互依存論である。戦争は経済制裁を招く。自由貿易などにより経済的に相互依存が浸透していれば、戦争を始めるのは得策ではない。しかし、2022年、ウラジーミル・プーチン大統領はそれを逆手に取る。ロシアがウクライナに進軍しても、自国のエネルギー資源に依存する欧州はさして反対もしないだろうと高を括る。ただ、少なくともEUに関してその見通しは外れる。

 これに限らず、プーチン大統領は戦後の国際平和の前提を逆手にとって行動している。そのため、ロシアによるウクライナ侵略が戦後秩序の破壊をもたらしているとしばしば指摘される。しかし、そうした意見は、「指導原理」の認識を欠き、20世紀の繰り返しという主張を覆すものではない。プーチン・ロシアは権威主義体制で、イデオロギーは折衷主義にすぎない。洗練されたイデオロギーのマルクス=レーニン主義に基づく計画経済のソ連と比べものにならないほど凡庸である。

 けれども、ロシアによるウクライナ侵略が新たな「指導原理」の萌芽を示していることは確かである。それは化石燃料に依存しない持続可能性のある資本主義である。気候変動問題への対応からかねてより脱炭素の持続可能な開発が模索されてきたが、2022年2月から始まった事態はそれを世界的に加速させている。「自由通商主義」に代わる「指導原理」はおそらく持続可能な開発だろう。

 偶然にも、2015年9月、国連サミットで加盟国は、「持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)」を全会一致で採択している。これは、2001年に策定された「ミレニアム開発目標(MDGs)」の後継である。「持続可能な開発のための2030アジェンダ」は2030年までに持続可能かつよりよい世界を目指す国際目標を掲載している。それは17のゴール・169のターゲットから構成、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っている。

 ホブズボームの捉え方であれば、20世紀は終われない。だが、湛山のそれであるなら、終わりを迎えている。国際的な自由貿易の意義を認めるとしても、今後、グローバリゼーションがそのまま復権することはあり得ない。「自由通商主義」の弊害を修正しつつ、持続可能な開発が新たな資本主義として個人主義や自由主義、民主主義を発展させるだろう。それは20世紀の終焉と21世紀の到来を意味する。
〈了〉
参照文献
石橋湛山、『石橋湛山著作集』、岩波文庫、1984年

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