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幼年期の想起─シャルル・ボードレールの『パリの憂愁』(1)(2006)

幼年期の想起
─シャルル・ボードレールの『パリの憂愁』
Savem Satow
Aug. 31, 2006

「詩は悪魔の酒である」。
聖アウグスティヌス『アカデミー批判』
「──偽善の読者よ、──私の同類、──私の兄弟よ!」
シャルル・ボードレール『読者に』

1 癇癪

―きみの最も愛する者は誰だ、さあ、謎の人よ、きみの父親か、母親か、姉妹かそれとも兄弟か?
―私には父も、母も、姉妹も、兄弟もない。
―友人たちは?
―あなたの用いるその言葉の意味を、今日この日まで私は知らずにいる。
―きみの祖国か?
―それがどんな緯度の下に位置するものやら、私は知らない。
―では美女か?
―女神であり不滅のものであるのなら、よろこんで愛しもしようが。
―黄金は?
―それを憎むこと、あなたがたが神を憎むにもひとしい。
―なんだと!それではいったい、何を愛するのだ、世にも変った異邦人よ?
―私は雲を愛する……ほら、あそこを……あそこを……過ぎてゆく雲……すばらしい雲を!
(「異邦人」)

 そこにマーロン・ブランドがいる。彼は本を開き、それを朗読している。不機嫌そうな表情に、ふてぶてしい態度をとり、不明瞭な発音で、時折、癇癪を破裂させる。脂がしたたりそうな精悍な体躯を白いTシャツとブルー・ジーンに包み、エッジを効かせている。彼が手にしている本の表紙には、こう記されている。

Charles Baudelaire
Le Spleen de Paris ou Petits poèmes en prose

 “Le Spleen de Paris”は、アルセーヌ・ウーセに寄せた序文と五〇篇の散文詩によって構成されたシャルル・ボードレール(一八二一─六七)の詩集である。彼の没後、一八六九年に刊行されている。その作品群には、一八五五年に制作された「夕べの薄明」と「孤独」から一八六七年の「ANY WHERE OUT OF THE WORLD  いずこなりとこの世の外へ」や「射撃場と墓地」に至る詩だけでなく、雑誌から掲載拒否された数編が含まれている。多くの作品には手が入れられ、いくばかりかの文献学的な問題を残している。

 “Spleen”はギリシア語に由来し、本来、脾臓を指すが、転じて、癇癪や不機嫌、憂愁を意味する。かつてそうした感情が脾臓に宿ると考えられていたからである。

 我が国では『巴里の憂鬱』という訳名が用いられて来たが、この〈憂鬱〉*1という言葉には、一種の大正期的、佐藤春夫的な匂いがするし、メランコリーの訳語にはふさわしいが、スプリーンの感じとは違うようなので、敢て〈憂愁〉と訳した。これは英語のSpleenをフランス語に借用したものであり、この英語には憂愁の意味の外に、不機嫌、癇癪等の意味もあるから、当然ボードレールはそれらを含めて、この言葉を使用したに違いない。尚、『悪の華』にも「スプリーン」と題した数篇の詩があり、この言葉を詩人が早くから愛していたことを示している。詩の場合でも、〈憂鬱〉よりは〈憂愁〉と訳す方が望ましいように思う。
(福永武彦「『パリの憂愁』解説的ノート」)

 ボードレールは、この散文詩集のタイトルとして、一八五七年三月七日付オーギュスト・プーレ=マラシ宛書簡において、「僕は神秘的な題名か、あるいは癇癪玉的な題名を好む」と記している。それに従えば、邦題には『パリの憂鬱』や『パリの憂愁』以上に、『パリの癇癪』がふさわしい。

 彼は「他人との関係などどうでもよく、自分ひとりで生きる道を選択したのであった」(ジャン=ポール・サルトル『ボードレール』)。

2 新しいパリとモデルニテ
 彼には眼に入るもの、耳に届くもの、鼻をつくもの、肌に触れるもののすべてが気に入らない。いらいらしながら街を彷徨い続ける。諷刺、皮肉、冷笑、嫌悪、憤怒、絶望をわめき散らす。彼の癪に触るのは社会変化である。人々は変化に背を向けたり、楽観的に振舞ったりしている。そんな街全体に腹が立つ。

 それは第二帝政のパリである。「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れると言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番としてとつけくわえるのを忘れた」(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ・ナポレオンは、一八五一年一二月二日、クーデターによって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で、国民投票によってフランス皇帝ナポレオン三世として即位する。六月蜂起後に保守・反動化したため。第二共和政の議会は民衆から失望され、反議会に傾いた民意をルイ・ナポレオン大統領はとりこむことに成功している。

この第二帝政は権威主義的・反議会主義的な体制であり、国民投票を実施して幅広い層に支持基盤を置く人民主義的・扇動主義的である。そのナポレオン三世を支持したジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンは、皇帝より、パリ市を含むセーヌ県の知事に任命される。彼はパリの都市改造を推進する。一定の町並みは維持されたものの、パリの景観は変貌していく。

 彼はそうした新しいパリを前にして、自然を賛美し、その一体感を告げるロマン主義の詩人のような態度はとらない。

 秋の日暮れというものの、なんと身に沁みることだろう! ああ! 苦痛にいたるまで身に沁みる! なぜなら、漠としていることが強烈さの妨げとはならぬ、そういう類の甘美な感覚というものがあるからだ。そして、〈無限〉の切先にもまして鋭い切先はない。
 大いなる愉楽ではある、空と海との涯しもない広さの中に視線を溺らす愉楽こそは! 孤独よ、沈黙よ、蒼穹の比類ない純潔さよ! 水平線上に戦き、そのちっぽけなさまと独りぼっちなさまによって、手の施しようもない私の実存を模倣している一艘の小さな帆船、波のうねりの単調な旋律、こうした物のすべては、私によって思考する、というか、私がこれらの物によって思考する(というのも、夢想の広大さの中では、自我はすみやかに消え失せるからだ!)。それらの物は思考する、といっても、音楽的に、絵画的に、理屈もこねず、三段論法も演繹法もなしに思考するのだ。
 ところが、それらの思考は、私から発するにせよ物たちから飛び立つにせよ、やがてあまりにも強烈なものとなってしまう。逸楽に籠められた精力は、不快と、明確な苦しみとを創り出す。あまりにも張りつめた私の神経は、もはや甲高く痛々しい顫動としか発しない。
 そして今では、空の深さが私を范然たらしめる。その透明さが私を苛立たせる。海の無感覚、光景の不易なることが、私を激昂させる……ああ! 永久に苦しまなければならないのか、それとも永久に美を遁れなければならないのか? 〈自然〉よ、憐れみなく魅惑するものよ、常に勝ちほこる競争相手よ、私を放してくれ! 私の欲望と矜恃をそそのかすことをやめよ!美の研究とは、芸術家が打ち負かされるに先立って恐怖の叫びを挙げる決闘である。
(「芸術家の〈告白の祈り〉」)

 彼は意気揚々と快楽を告白する。しかし、しばらくすると、その快楽は苦痛へと変わる。不快や苦痛を吐露し始める。芸術家は、結局、自然に敗北を喫してしまう。だが、自然など嫌悪すべきものでしかない。何ということだ!

 しかし、これはロマン派に対する素朴な転倒ではない。第二帝政下、産業振興や科学技術の開発、鉄道網の敷設、上下水道の整備、金融機関の育成、近代建築物の建設、万博などのイベントの開催といった近代化が進む。それは封建時代のアンチテーゼとしての近代ではない。産業化された近代が物質として顕在化している。彼はこうした近代性、すなわち「モデルニテ(modernité)」を問う。

 しかし夕暮れがやってきた。空の幕が閉ざされ、都市に灯のともる、奇異で曖昧な時刻だ。ガス灯は夕日の緋色の上にしみをつける。廉直な者たちも、破廉恥な者たちも、正気の者たちも狂人たちも、人間はみな心に思う、「やれやれ一日が終わったぞ!」と。賢人たちもふしだらな者たちも快楽を思い、おのがじし忘却の杯を飲みほすべく、好みの場所へと駈けてゆくのだ。G氏はといえば、光が輝いたり、詩が鳴り響いたり、生がうごめいたり、音楽が顫えたりするような場所ならどこにでも、最後の一人になるまで残っているだろう。なにかの情熱が彼の目のためにポーズをとってくれるようないたるところ、自然の人間や慣習の人間が奇異な美しさの裡に現れ出でるようないたるところ、堕落した動物の速やかな歓喜を太陽が照らすようないたるところに!「なるほどこれは一日をうまく使っているが」と、われわれみなが知っているようなある種の読者が独り言いはなつ、「われわれの誰だって、一日を同様なやり方で満たすのに十分なくらいの天才はちゃんともち合わせているさ」と。とんでもない!見る能力を授かった人間はきわめて少ない。表現する力を所有する人間となれば、さらに少ない。さて今や、他の者たちは眠っている刻限、この男は自分のテーブルの上に身をかがめて、先ほど事物の上にそそいでいたのと同じ視線を一枚の紙の上にするどく投げ、鉛筆、ペン、あるいは絵筆を剣のように振い、グラスの水を天井に迸らせ、シャツでペンをぬぐい、まるで影像が自分から逃げて行くのを怖れているかのように、大急ぎで、いきおい激しく、活発に動き、一人でいながら喧嘩腰で、われとわが身を小突きまわしている。すると事物は、紙の上に、自然のかたちでまたそれ以上のものとなって、美しくもまた美しい以上のものとなって、特異なすがたに、作者の魂と同じように熱烈な生を吹き込まれて、生れ変る。魔術幻灯が自然から抽出されたのだ。記憶がいっぱいに背負いこんでいたすべての材料が、分類され、整理され、調和し合って、ああいう否応なしの理想化、一種子供的な幻覚、すなわち純真さがきわまって鋭敏となり魔術的となった知覚の結果であるような理想化を蒙るのだ!
(ボードレール『現代生活の画家』)

 第二帝政を含む一九世紀はブルジョアの世紀と呼ぶことができる。ブルジョアは俗物であり、古典的教養を持ち合わせていない。理解できないものは排除する画一的なブルジョアの社会は、経済的には活況を呈しながらも、政治的には保守的で、表現の自由などお呼びではない。新たに発達した新聞や雑誌といった商業出版産業も、ブルジョア読者の顔色を伺い、率先して追放する対象を探し回る有様だ。彼の『悪の華(Les Fleurs du mal)』(一八五七)は当局の検閲によってではなく、『ル・フィガロ』紙の非難記事から公序良俗に反すると訴えられたくらいである。過剰な言論統制がまかり通っている。

 そこで彼が描き出した倦怠や癇癪は、勤勉や中庸を美徳とするブルジョア道徳に反しているかに見える。しかし、その悪徳はまさにブルジョア社会の偽善が招いたものである。ブルジョアは悪徳の共犯者である。

 偽善的で無教養なブルジョアのために、誰かが反抗的で、挑戦的、攻撃的な新しい芸術の意味を伝えなければならない。そこで批評家が必要となる。

 何の役に立つか? ──批評が第一章に第一歩を踏み出そうとするや否やその襟首をつかまえる、遠大にして恐るべき疑問符だ。芸術家はまず、批評に対して、絵を描くことも韻文を作ることも願ってはいないブルジョアに何も教えることはできないと言って非難するし、芸術に対しても──その腹の中から批評は出て来たのだからして──何も教えることはできない、と言って非難する。──私が心底から信ずるところ、最上の批評とは、面白くて詩的な批評のことである。ああいった、冷静で代数的で、すべてを説明し尽くすという口実の下に、憎しみをも愛情をも持たず、およそ気質と名のつくようなものは自発的に脱ぎ捨ててしまうていの批評ではない。そうではなくて-──一枚の美しい絵とは一人の芸術家によって反射された自然なのであるからして──この絵がさらにまた一人の聡明で感受性ある精神によって反射されたものである。従って、一枚の絵の最上の解説は、一篇の十四行詩あるいは悲歌であり得るだろう。
(ボードレール『一八四六年のサロン』)

 近代化には神の死によって可能になる。身分に縛られず、職に就き、商品・サービスを売買し、移動できなければ、資本主義は発達することが難しい。封建的な身分制を支えた神は死んでもらうほかない。才覚と運があれば、卑しい生まれだとしても、金持ちになれる。地位だって、名誉だって、買うことができる。そんなおいしい社会をふいにして、神の時代に戻りたいわけがない。ブルジョアは神を信じているというポーズをとりながら、その裏で神を殺す悪徳に手を染めている。

 神の死=モデルニテにおいて、パトロンを失い、芸術家は宣伝に奔走する。権威の死と共に、芸術は根拠を失い、審美主義者は「芸術のための芸術(Art for Art's Sake)」、すなわち美自身によって、美を基礎づける発想を唱え始める。芸術はニヒリズムの極限を進めるほかない。このニヒリズムにおける芸術について、浸透しつつある商業出版を通じて、一般に解き明かす専門職が誕生する。それが批評家である。

 彼は、二〇代半ばに、美術批評家としてデビューしている。それはモデルニテにふさわしい文学者の出発点である。


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