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音楽の行方─宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』(2)(2014)

第1楽章 Allegro liberamente
 音楽を扱った作品で、主人公が演奏家という設定自体に当時の事情をよく物語る。複製技術時代を迎え、音楽の人気の中心はポピュラーに移る。従来の西洋音楽はクラシック化するのみならず、レコードを通じて楽しまれるようにもなる。音楽会に行かなくても、好きな曲を何度も聞ける。ライブを一度聞いただけではそれぞれの演奏のニュアンスの違いなど詳細にはわからない。愛好家の関心は演奏に向けられる。世界が閉じられると、細部にこだわるマニアやオタクが誕生する。次第に名盤カタログが求められるようになり、音楽評論はレコード紹介と化す。20世紀においては作曲をしない演奏家がレコードによってスターになっている。その代表がパブロ・カザルスである。

 小柄、禿げあがり、ずんぐりむっくりで、冴えない容姿、パイプを手放さず、脇を軽く開け、目を閉じ、首を傾け、弓を弾く。そんなカザルスは「私のチェロは何かと口うるさい暴君だ」と言っていたが、賢治は愛用のチェロについて「こいづは、俺の妻だもす」と周囲に話している。賢治が愛する楽器としてチェロほどふさわしいものはない。彼は、練習していたとしても、オルガニストではない。それは、盲人のオルガニストであるヘルムート・ヴァルヒャの禁欲的でビブラートのない正確な演奏を思い起こせば、明白である。

 弦楽器の演奏家のアドリブやメロディフェイクを行わない傾向がある。弦楽器の特徴はビブラートであるが、チェロのそれは、バイオリンと違い、控え目である。さらに、チェロのテノール音域の音色は非常に美しく、奥行きがある。賢治の作品はこうした特徴のチェロが最も具現している。

 チェロ、正確にはヴィオロンチェロは、全長がバイオリンの2倍、厚さは4倍ある。演奏者は椅子に腰かけ、楽器の下部にとりつけられた長さを調節できる多くは金属製のエンドピンという棒を床に突き立てて、それを膝ではさむようにして演奏する。弓は右手の指すべてを使って持ち、弦に対して直角に置き、運弓の際は、弓をつねに水平に保つ。

 ソロの場合には工夫が要る。弦楽器のソロはメリハリをつけなければならないため、右手の指はいつもより硬くして弓を持ち、左手の指は弦を叩くようにして押さえる。他の弦楽器同様、弦を指で弾くピッチカート操法もある。かつては羊の腸から作ったガット弦が用いられていたが、最近は丈夫なスチール弦が広く普及している。

 ただし、オランダのアンナー・ビルスマはガット弦を使い、バッハ没後250周年記念でバッハの無伴奏チェロ組曲を全曲演奏する際に、次のように説明している。「バロック時代の演奏法として後世に伝わっているのは主にフランスの演奏法なのです。彼らは音楽の一つの学派として演奏の教授法を残していたのでね。ところが、当時の楽器の名手は明らかにイタリア人が多かった。そしてイタリア人は自由奔放に独自のスタイルで演奏したから、文献なんて残していない。私はそこに着目したのです。一般に『正しい』とされている弓の使い方にとらわれずにバッハの楽譜に現れている曲想を忠実に表現してみようと考えたのです」。

 ゴーシュは楽団の一員である。これにはソリストと違った資質が要求される。個人としてどれだけ高い技能を有していても、オーケストラのメンバーとして向いているかは別である。チームワークが重要であるから、それにそぐわない人材はお呼びでない。尺に、ソリストとしてはとても客を集められないが、オーケストラに入ると輝く人材も要る。演奏がオーケストラの個性と合わなかったり、性格が協調を欠いていたりなどのプレーヤーは雇わない。現在では、適性を見極める仮採用期間を経た後に、本採用する楽団もある。名のあるソリストの方がクラシック愛好家からも注目されるけれども、こうした集団的匿名の中で加薬する演奏家が音楽を厚くしていることを忘れてはならない。

 18世紀後半までのチェロは、低音を演奏し、音楽に厚みのある響きを与えるための楽器である。けれども、20世紀にはセルゲイ・セルゲイヴィチ・プロコフィエフとドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコヴィチが独奏楽器としてのチェロの能力を追求し始める。

 チェロの演奏技術はその20世紀に飛躍的に高まっているが、最大の貢献者がカタロニア生まれのパブロ・カザルスである。チェロは彼によってバイオリンと並ぶ弦楽器の主役に踊り出る。このマエストロは、1909年、ヨハン・セバスチャン・バッハの『無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調』を演奏曲目に加えてから、広く認められている。大バッハの頃のチェロは現在の4弦と違って5弦であったため、この曲の演奏は技術的に難しく、誰も手をつけていない。

 カザルスは「偉大な作曲家の作品をまるで好きになれない、ということだって大いにありうる」し、「実験をやめたとたん、私たちの歩みは完全にとまってしまう」と公言してはばからない。従来支配的だった解釈や奏法にアンチテーゼを唱えたため、特にフーゴー・ベッカーはカザルスに激しく異を唱えている。アルトゥーロ・トスカニーニもカザルスが嫌いである。トスカニーニのブラームスは速すぎると発言したせいである。

 カザルスも指揮はしている。しかし、指揮者や批評家からあまり評価されていないだけでなく、演奏家からの反応も否定的なものが多い。また、カザルスは、「偉大な芸術家はみな改革者だった」と言いながらも、ポップスもピカソも認めなかったし、「逆立ちして歩くみたいなこと」とカザルスは現代音楽を否定している。クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェル、ダリウス・ミヨーですら「音楽の大きな流れからの退廃的な逸脱」と批判している。「独創性を強調していると、行き着く先は脱線だ」。ただし、アルチュール・オネゲルだけは別である。現代音楽家たちも、カザルスに対して、黙ってはいない。イゴール・フェドロヴィチ・ストラヴィンスキーはカザルスを「バッハをブラームスのスタイルで演奏する」と非難している。

 欧米の作曲家はピアニスト出身が圧倒的に多い。ただ、チェロを演奏する作曲家としては、ヴィクトル・アントワーヌ・エドワルド・ラロやシェーンベルク、トスカニーニがチェロからキャリアをスタートしている。先に挙げた『無伴奏チェロ組曲』以外にも、チェロの名演奏家としても名高いルイジ・ボッケリーニの『チェロ協奏曲変ロ長調』、フランツ・ヨゼフ・ハイドンの『チェロ協奏曲ニ長調作品101』、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンの5曲の『チェロ・ソナタ』、アントン・ドボルザークの『チェロ協奏曲ロ短調作品104』、シャルル・カミーユ・サン=サーンスの『白鳥』がチェロの名曲として知られている。

 最初にチェロの独創曲を作曲したのは17世紀イタリアのドメニコ・ガブリエリであるが、現在ではチェロだけの重演──4、6、8、12重演──のアンサンブルも行われている。現在のチェロの原型は16世紀中頃のイタリアで考案され、チェロの標準寸法を決定したのはかのアントニオ・ストラディヴァリである。「ストラディヴァリウスを持ちたいと思ったことはない。私の考えでは、このとびきり素晴らしい楽器は個性が強すぎる。演奏していると、今自分の手の中にあるのはストラディヴァリウスだ、ということが頭にこびりついて離れない。それはずいぶんと気の散ることだ」(カザルス)。

 チェロの演奏に用いられる譜表は低音部記号、テノール記号、高音部記号の三種類である。また、高いポジションの音を弾く時、親指を指板の上にあげることがあり、親指の記号を用いる。チェロは、ヴィオラより1オクターブ低く、下からハ、ト、1点ニ、1点イに調弦する。1点音は中央のハ音から、その7度上のロ音に至る音を意味する。西洋音楽では、♭はシ・ミ・ラ・レ・ソ・ド・ファの順で増え、♯は逆にファ・ド・ソ・レ・ラ・ミ・シというように付加される。

 オクターブの説明に玄が用いられるのは、科学的に容易だからである。管楽器の場合、かなり複雑で、数式で示すのも非常に難しい。

 チューニングは平均全音律、いわゆる平均律より低く合わせる。ピアノは高低が固定されているため、整数比がすべて正確に成り立つようにできないので、純正律ではなく、平均律で調整する。

 音楽の音符で記される単純な音は、高低・強さ・音色という三つの知覚的な特性を用いて表わせる。これは、周波数・振幅・波形という三つの物理的特性と符合する。雑音や騒音は複合した音であり、和音の関係にない多くの周波数の混合物である。オクターブとは、周波数の比が2対1であるような音の間隔である。5度の音程は周波数が3対2、長3度は周波数が五対四である二つの音から構成されている。

 プラトン以来、音楽は対比によって把握されてきたが、近代に入って、三角級数を援用して理解されるようになる。クリスティアン・ホイヘンスの登場以来、波を三角級数によって、把握するようになると、ジャン・ル・ロン・ダランベールがそれを使って弦の振動に関する編微分方程式を考案している。楽器の弦の振動には定常波が見られ、チェロの弦が弓で弾かれたり、ピッチカートされたりすると、弦の両端を節にして全体が振動したり、中心に節をつくって半分で振動したり、等間隔の2つの節ができて3分の1ずつで振動したり、さらにそれ以上の部分振動がすべて同時に起こったりする。全体で振動するときの音が基音を形成し、他の振動がさまざまな倍音を形成する。

 バイオリン属の楽器は、元々、地方の踊りの伴奏に用いられている。ルネサンス期には、バイオリン属より静かで落ち着いた音を奏でるビオラ・ダ・ガンバの方が好まれていたが、イタリアでやや先行し、18世紀の後期バロックやウィーン古典派の音楽家は室内で演奏する表情豊かな作品を目指していたので、バイオリン属の楽器が主流になっている。

 ロマン派の19世紀に入ると、大きなコンサート・ホールが出現する。高度な技術力を芸風にするロマン派の演奏家も登場し、大きく華やかな音が必要となったため、バイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスなどオーケストラの主な弦楽器は音域と音量が増大するように改良されている。それは産業革命の成果の一つでもある。

 ところが、電気メディアの登場、すなわち複製技術時代では弱い音が重要になる。クラシックがコンサート・ホールを楽器に加えた音楽とするならば、記録技術の発達は、フィル・スペクターが試みたように、スタジオや録音機材も楽器という認識を派生する。クラシックに代わってポップスが音楽の主流になっていく。

 電気メディアは弱い音を増幅できる。これまでは聞き逃してしまうような弱い音でさえ、聴取可能能になるだけでなく、コンピュータによってホールやスタジオの制限なしにいかなるものも楽器にできる。また、人間の能力を超える演奏も可能だ。エリック・サティの『ヴェクサシオン』やイアニス・クセナキスの『シナファイ』の演奏も、コンピュータを使えば、容易に実演できる。

 さらに、記録媒体の普及は音楽にも神の死を迎え、音楽をさらに資本主義化させていく。パブロ・デ・サラサーテ自身が演奏した『チゴイネルワイゼン』の録音もドイツのグラモフォンに残されている。「とりわけフランスで意味されているような文化は、マクルーハンが電子テクノロジーと呼んだものによって、きっと近いうちに崩れ去るだろうと思います」(ジョン・ケージ)。

 ジョージ・ガーシュインの作品のみならず、1918年には、ストラヴィンスキーがジャズを取り入れた『ラグタイム』を発表している。多種多様な雇用を創出し、莫大な税金を納める産業と化した音楽界において、レコード・セールスの点では苦しくなったクラシックでは、ヘルベルト・フォン・カラヤンやグレン・グールドが電気メディアの可能性を見出し、ラディカルな発想を考案したにもかかわらず、コンサートの体験に活路を見出していく。

 ある時代的・社会的背景の下に芸術は登場する。それが受容されると、知識が蓄積されていく。それは洗練化の過程でもあるが、古典化への道でもある。理解はその蓄積された知識の共有が前提になる。時が経てば、若者も老人に、子どもも成年になる。共通認識の受け入れを面倒だと考え、それがなくても楽しめる芸術を自分たちのものと受容する。

 しかし、感性と直観に依存した新しい芸術は、自分に囚われてしまい、行き詰まる。古典派継承されてきたから、個人差の解消が前提にされている。特定個人の力量に頼っていては引継ぎができない。過去を詳細に調べるだけでも、自分の認知を相対化できるから、新しいものをさらに生み出せる。

 チェリストを主人公にすることでも西洋音楽に関する深い理解が必要とされる。確かに、チェロをめぐる歴史を知らなくても、この物語は楽しめる。けれども、オーケストラの一員のチェリストがなぜ最後に独奏すのかは、その楽器の位置づけの変遷を描いていることを承知していなければ、理由がわからない。音楽の理解と共に読解も深まる作品であり、そのような読みが求められている。

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