自殺とお漏らしとたばこ


7月下旬に入院して、ひと月の予定だったが2週間くらいで急遽退院した。
愛犬がだいぶ老いてきていると世話係をしてくれていた同居人から連絡があったからだ。任意入院したものの、ただ解放されたいという気持ちと15歳の愛する老犬の死に目に会えなかったらどうしようという焦りが襲いかかってきて退院した。
退院後は入院中に基本的に服薬する分と頓服として残っていた分と次の診察日までの分の薬が渡されたので毎日ODして、LINE Payで借金をしてストゼロを飲みまくった。
借金はアコムと合わせて2万弱になってしまった。
もともとストレスが溜まりまくっていたんだろう精神に、久しぶりに帰宅して同居人とのコミュニケーションやらで薬と酒がないと家を放火してしまいそうだった。退院して2日目の昼間に同居人は独断で「今日この家を出て行く」と私に伝え、いくらかはそれについて会話をした。あまり覚えてないが会話を重ねた結果、同居人はその日には出て行かなかつった。というより会話に時間を割いたために外はすっかり暗くなってしまったのでその日に出ていくのは辞めになったのだと記憶している。その後、洗った後の箸の置き方について私が同居人に「細い方を下にしてくれ」と頼んだら相手は不機嫌になってしまった。そこからまたお互いに不機嫌モードになり、何を言われたか忘れたがいつものように(私からしたら)嫌味みたいな小言を言われ、同居人はやはり出ていくと言っていたような気がする。そして私は同居人が出て行ったらODして公園で首を吊ろうと決心していた。(時系列が曖昧だが)再び話し合おうと言う同居人の手を振り払い、薬と手拭いとギターケーブル、そして現金がないのでLINE Payを使うため携帯を持って家を出た。
同居人は「早く帰ってきなよ」とひと言呆れ顔だった。
まずはコンビニに向かう。どのくらいお酒を買っておこうか、タバコも買おう。自転車を漕ぎながら、ある程度目星のついている公園にするかもう少し模索するか軽く迷い、住宅街の坂の下にある暗くて深夜になると人通りもほぼ無さそうな公園を選んだ。何度か同居人と遊んだ公園だ。
雨が降っている物音ひとつ聞こえないような公園で、ヘロヘロになる前に準備をする。首吊りはクッションになるものがあった方が良いとネットで読んだから手拭いとケーブルを捻ってクッションにした。足のつかないくらいで丁度良いと思った木にセッティングをして。
雨の中、ストゼロを一本飲み干してから薬を入れる。すぐに立てなくなるほどヘロヘロになった。ライターを忘れてタバコは吸えず、悔しかったのを覚えている。
千鳥足で、踏み台にするために自転車を木の下に立てかけた。
感情としては「わ〜本当に成功しそう!」という感じで。
なんとか木にしがみつき、自転車を踏み台にする。
失敗した理由はこれだけだと思う。首にかける位置が手前すぎた、浅すぎたのだ。
でも自転車は蹴り飛ばしてしまっていたからグハグハもがいて、地面に倒れそのまましばらく気を失っていた。
雨が強くなり寒さで目が覚めて、手の届く位置に携帯があったから自分で救急車を呼んでしまった。
携帯さえなければ動けずに朝までそのまま倒れ込んでいただろう、死んでいたかはわからないが。
うまく話せず、ゼーゼー言いながら大体の場所を伝えるとすぐに救急車が来た。
同居人が捜索願いをだしていたらしい。
搬送先では数年前に急性アル中で失禁した時よりひどくお漏らししていた。
目覚めたら点滴とホルター心電図が取り付けられていて、担当の看護師は私よりひとつ年上の素敵な女性だった。
ひどく喉が渇いていて、視力0.04くらいの目で自分の手を見るとシワシワで気持ち悪かったです。
そうしてドクターカーで再び退院したばかりのかかりつけの病院に運ばれ、4,5日間を閉鎖空間で過ごした。
今も原因不明の熱に悩まされ、いくら薬を飲んでも睡眠が取れていない。
37.5度以下なら敷地内の散歩が許されるので、暗黙の了解で吸えるタバコを嗜みながら宇多田ヒカルやLana Del Reyの曲を大声で歌って過ごしている。
そんなこんなで私は金曜日には退院する。退院後は訪看が来てくれることがきまり、A型事業所か就労移行に通うのを目標に生きていかねばならない。
毎度ながら周りに迷惑をかけまくったが自分のしたことに後悔はまったくない。今も軽い希死念慮はあるが、またいつでもできるし、なんなら今回の失敗を活かして次は上手くいくかもしれないなとのうのうと考えている次第である。
今は言語交換アプリで知り合った人たちと会話をしていて、なんとなく孤独感は薄れている。特にお世話になっている同じ歳の人とよく通話をする、彼の皮肉はさすがブリティッシュって感じで楽しい。
メンヘラは治るのかな。

誤字脱字があってもおそらく修正しません。
以上。

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