二月になって

昨年の十月一日に15年一緒だった犬が死んだ。

まるで眠っているように安らかに星になった。

じわじわと実感が湧くまではやっと介護から解放されたとたまに遊びに出かけたりもした。

家族の死はこれで2度目だ。祖母は三年前に亡くなった。

実感が湧いてくると同時に父親のことを思い出すようになる。

両親は私が4歳の時に別れた。母親は、虐待になる前に、私を守るために最低限の荷物で父親から逃げた。

写真を見ないと顔がわからないくらい父親は他人だった。

しかし、ふとした時に父親の顔や当時住んでた家、父親の服装を思い出すようになり、最終的に父親から性的な行為をされたことを思い出した。

泣きながら仕事中の母親に電話をしたのを覚えている。

母親も弟も認めなかった。2人とも口を揃えて「そんな人じゃなかった」と。

医者とケアワーカーだけが話をきちんと聞いてくれ、私の言うことを信じてくれた。

あのとき、誰も信じてくれなかったらまた自殺未遂していたと思う。

何度も母親と言い合いをして、鬱々の鬱だった。

ただただ母親からの優しい言葉が欲しかっただけ。

朝から飲んだくれて、ベンゾを飲んで、ひたすら泣いた。

十二月には一週間入院した。

結局、母親は「受け入れられない」とのことだった。


もう書けない。


今は就労移行に週二で通っている。

Pythonは楽しい、うまくいってる。

鬱も今は落ち着いてる。

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