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30女のバイト遍歴3 - きらめく星空の下、駐車場の隅で老婆と魚を焼く肉屋の15才

マクドナルドをクビになり、ぷらぷら無職高校生の私はふと近所のスーパーにアルバイト募集!の貼り紙を見つけた。
聞いてみると、鮮魚、精肉、品出しからレジまで全部門で募集をしているという。
レジは忙しそうだし、鮮魚は声張り上げなきゃいけないし、なんとなくいつもボーッとしている(ようにみえる)精肉部門でバイトを始めることにした。
夕方からの私の仕事はというと、
17時にパートさんが全員帰ってしまうので、その後カラになった作業場を隅から隅まで清掃する、というものであった。
ひき肉マシンやハムのマシンを洗ったり、床をひたすらデッキブラシでこすり続けたり、たった一人シャカシャカと掃除を続けるだけの孤独な日々であった。
たまに品出しバイトの高校生が意味もなく「シュシュシュ」とシャドーボクシングしながら通過するぐらいで、私は全く一人だった。
一応掃除はするが、慣れてくると暇になり、私はたまに裏口から従業員駐車場に出てボーっとしていた。
ある日、いつものように掃除を終えて裏口へまわると、何やら香ばしい匂い。



みると、駐車場のすみにひとり七輪を囲んでいる老婆の姿が。
老婆は、一匹の魚をつつきながら丹念に焼いている。
私に気づくと、にかりと笑った。
彼女は、鮮魚部の名物ばあちゃんであった。
ばあちゃんは掃除が終わった後、今日でダメになる魚を七輪で焼いて食っているのだそうだ。
私も一緒になり、魚を分けてもらった。
おおお、
サボって味わうアジの塩焼きのうまさよ。

他スタッフは彼女のフリー七輪タイムに気づいてはいるが、キャリアの長い彼女を尊重し特に注意もせず放っておいているようだった。
しかし私はまだ入ったばかりのペーペーである。
バレたらまたクビだ、
どんなに孤独な作業でも、たまーに店長が来て「おう」とかなんとか一言残していくのだ。
その時にいなければならない。

それからというもの、
マッハ掃除のち店長の目を盗みばあちゃんの七輪タイムに混じるのが私の日課となっていった。
ふたり隅っこに座り込んで、七輪の煙にいぶされながら夜。
見上げれば星なんかも割と綺麗に見えて、たまに不良バイトがタバコを吸いに出て来てこちらに一礼し去っていく。
私はこの時間を、すごく好きだった。
駐車場の脇でこっそり火を囲む仲間がいるのはこんなにいいことなんだなあ。
しかも、彼女はとんでもない聞き上手で、私は有る事無い事彼女に喋り倒した。
将来は多分なんかしたいけど、よくわからないことや、お母さんが短気で毎日ケンカばっかりなことなどなどをばあちゃんは魚の焼き加減を見ながらぼうっと聞いていた。
いや、正確には聞いていなかったかもしれない。
たまにそうだなぁとか腹減ったなあとかいうくらいだったけど、私はなんだかこの七輪タイムが普段のいろんな物事から離れたある種桃源郷のような気がして、解放されたような気分だった。

ばあちゃんは、ここに開店当初から勤めていて、もう80近いのだそうだ。
昼間は忙しくてしんどいから、夜だけ働いていることや、もうご主人は他界していること、孫はもうわたしと同じくらいだろうなあ、ということなんかを次第にポツポツ話してくれるようになった。

そんなある日、
いつものようにコッソリ七輪を囲んでいると——。
「なんだぁ小田、ここにいたのかぁ」
背後から声がして、振り向いた。
精肉部の店長だ。
丸顔の、30代後半くらいのチャキチャキっとした男である。
まずい。
私は黙った。
彼も黙って、冷凍庫の方へと消えていった。
ばあちゃんも黙って魚を皿に取り、食え、とわたしに促した。
「戻ったほうがいいかな…」
と冷や汗の私がいうと、ばあちゃんはホホホとかなんとか言って笑っていた。
と——店長が、まっ茶色の肉を抱えて戻って来た。
「これも、焼けますか」
おもむろにその茶色肉を差し出す。
店長は、その場にあぐらをかきはじめ私たちの七輪タイムに混じってきた。
「それ、ずっと冷凍庫にあってー先輩が、古い肉ほどうまいとかって言ってたんすよ」
と軽快なしゃべり口で持ってばあちゃんに話しかける店長。
ばあちゃん、まんざらでもない感じで、ああそうだなあとか、どれどれとか言って楽しそうである。
私はなんだか行き場をなくし、黙って茶色すぎる肉が焼きあがるのを見ていた。
しばらくしてその茶色肉は焼き上がり、
それはおそらく今でいうエイジングビーフ的なものなんだろうけど、当時はそんな概念はなかったので皆おそるおそる口にした。
それは、かつてないほどの美味さだった。
店長はうわーっうめーーっとか言って笑っている。
ばあちゃんも、うん、こらいけるなあとかいって笑っている。
わたしひとり肉をギシギシ噛み締めながら、黙っていた。
ばあちゃんと二人きりの桃源郷がなくなってしまったようで、悲しかった。

だんだんばあちゃんの七輪タイムの噂は広まり、
皆暇な時にマシュマロだのスルメだのを持って彼女のもとへいき、
楽しそうにおしゃべりする姿がよく見られるようになった。
私の足はだんだん遠のき、
それ以来真面目な肉屋の清掃員として淡々とバイトをこなす日々が続いた。
半年後——二度と七輪タイムに参加することもなく、私は辞めることにした。

最後の日、
たいして仲の良くなかった店長から「頑張ってね!」と肩ポンされたり顔くらいしか知らないレジ係のおばちゃん軍団から「若いんだから頑張りなさいよ」とか、色々言われてやっとタイムカードを押して、
制服を紙袋に詰めたりロッカーの名札を外したりしてフーと一息、裏口から出ようとしたとき、ばあちゃんとすれ違った。

「寂しくなるなあ」

ばあちゃんはしっかりとした口調でもって、私にそう言った。
わたしは初めて、涙が出そうだった。
あれからずっと半年近く話していなかったのに、
七輪タイムは私たちだけの秘密だったはずだったのに、
いっぱいいっぱい人が来て、
もう私たち二人だけ、ってわたしが思っていただけだったかもしれないけど、
悲しかった、本当はもっともっとたくさんばあちゃんと話がしたかった、とかいろんな気持ちが溢れだしそうで、
でもわたしは、
はい、あっまた、とかって言って足早にその場を離れ、
背中にばあちゃんの視線を感じたけど、
振り向いていう言葉がわたしにはなくて、ただただばあちゃんには長生きしてほしいと思った。



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