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中部地区自動車社会滑稽話

こんにちは

私は、中部地方に住む社会人です。

中部地方に住んでいるということは、日本の中心に居るということであり(所説あります。群馬に臍地蔵というのがいて、日本のまさにへそを主張しているようです)、それは、全国好きな場所へのアクセスがしやすいということ。

そして、中部地方の特に自動車産業が盛んな地域、電車があまり市井に馴染まない地域に住んでいるので、みな社会人(大学生)になると車を1台持ちます

上記のことを考えると

どこへ行くにも、車でギリギリ行けるんじゃないかと思ってしまう場所と条件を持った地域に住んでいるのです。

これを以下、「中部地区自動車社会」と呼びましょう。

この地区に住む人は、飛行機、新幹線、電車、バスの乗り方はおろか、自転車の乗り方さえもよくわかっていない人が多いと実感しています。

私も純血の中部地区自動車社会民であります。

旅行の際はまず車で何時間かかるのか。
さらには、まず下道時間を検索をして移動の検討をします。
そして、移動は快適な深夜時間に設定します。

この方法の頭の悪さは自分でもわかってますが
① 下道時間を見てから高速時間を見ると6~7割くらい時短になって楽そうな気がしてくる。
② 深夜時間だと結構短い時間になる。
③ 最終的に下道で行ける気がしてくる。

自宅から1時間30分はちょっと出かけてくるという感覚です。
大体、県内全域をカバーすることができます。

さらに私は、良血統の中部地区自動車社会民です。
アウトドアが好きです。

登山、キャンプ、釣りと幅広く移動を必要とするスポーツをしているからです。

中部地方は、「中部山岳国立公園」をはじめ、日本の100名山の多くを擁しております。キャンプ場も多く、釣り・サーフィンスポットもたくさんあります。
また、某自動車会社はじめ関連会社の本社がひしめく地域でもあり、平均所得が高く健康志向も強いことがアウトドア好きを増やしているのだと思います。

今まで車で行った最も遠い場所は、九州は大分。
その後も九州を車で周遊。
そのうち深夜区間は私が買って出ました。
車内移動のため2泊4日で4人で運転を分担して行きました。

無茶話を自慢してもしようがないのですが、原付で東京まで走って、行きは季節外れの雪に見舞われ、箱根の山でテレビ取材を受けました。
帰りは、バイトに間に合わせるために雨の中、国道1号線を13時間延々と走り続けたこともあります。
この旅行は一つの記事にしてしっかりお話したいと思います。

きょうは、現地集合のゼミ旅行に原付で行った話をしようと思います。

京都・大阪をまわる旅行でした。
三重の山深い雪に足を取られ峠を越えるのに数時間かけた思い出です。

ちなみに、過去に京都までは何度も原付で行っており、2月という時期のただ一点を除いて不安な要素は一つもなかったのです。

やらかし1


1日目
京都駅に現地集合と言われた私は、原付で行こうと思い立ちました。

後述しますが、行動が貧乏人だったため、教授からは心配されます
実際にお金はなかったですが、それはあくまでバイトの収入と趣味の支出のバランスが悪かっただけです。

当時の記憶があいまいなのですが、原付ではなくバイクで行けばよかったと後悔します。

もちろん原付は高速道路に乗れないので、下道で検索しました、
4時間弱とのことなので全然大丈夫だと思いました。

ね?
3時間ちょっとなら全然いいかと思いますよね。

これが結局5時間以上かけて命からがら京都へ着くということになります。

一番の原因は、亀山市を抜けて伊賀市街手前で北上していると思うんですが、ここが原付禁止区間だったのです。

今までは、甲賀市を抜ける道を通っていたので特に問題なかったのです。

ただの原付禁止区間なら、ちょっと遠回りしておしまいですが、山にわざわざバイパスを通すということは、ほかの道はほとんど使い物にならないということです。

来た道を戻ることは嫌だったので、とりあえず京都市がある北西方向へ進むことを決めました。
どこかで原付禁止区域が終わって、またバイパスに戻れるのではないかと淡い期待もありつつ、バイパスの側道を駆け進みます。

ただし、時期は2月上旬。

バイパスはすいすいと道が通っていて、路面の凍結とも縁遠く快適そのものでした。

ただし、ほとんど車の通らない側道は別次元です。
路面が凍り付き(いや、雪まみれ)かなりの斜度の峠道。

そして、気温は一桁。

タイヤの轍こそあるものの、車が通る気配すらなく
とにかく心細い思いをしながら、ひたすら原付を引いて歩きます。

ひと山超えるとバイパスの出入り口が見えてきて安堵するのもつかの間、
やっぱり原付禁止の標識を目の当たりにし、再び地獄。

立ち止まると、体温が一気に引きはがされるので止まるに止まれず。

すぐ横にあるバイパスを見ながら歩くのは精神的にかなり来ます。

バイクだったら横の道を走れたのに、、、

結局当初の予定より2時間ほど遅れて到着。

実は、一人で朝いちの京都を原付で観光しようと目論んでいました。
早く出ること約2時間。

京都駅には集合時間オンタイムに到着しました。

ゼミのみんなは僕がいかに大変だったか知る由もないのです。

恥ずかしくて僕も言えませんし、原付で来たという事実のみみんなは承知しているのでした。

切り替えて、ゼミ旅行を楽しむことにした私。

日中は本当に楽しいものでした。

そして夜がやってきます。

やらかし2

1日目の夜は大阪に移動し、お酒の好きな教授と何件も居酒屋をはしご。

実は、同志社大学付近で下宿している友人の家で泊まることになっていたんですね。

教授は私が、ひどく貧乏でゼミ旅行に行くのもやっとなのではないかと心配して、もつ煮込みをごちそうしてくれました。

そして、フラフラのまま電車に乗り熟睡

難波を出発したことは覚えてました。
でも何線に乗ったのかよくわかっていません


ふいに目を覚ますと、なんと「法隆寺駅」

酔いも電車の揺れで少し醒めた僕はとりあえず降りてみると、せんとくんがにんまりとした顔でお出迎えしてくれました。

せんとくん懐かしい!
左のお尻みたいなキャラクターを僕は知りません。

まずはここで2つ目のやらかし、絶望。

京都へ行きたかったのに、奈良にいるのが不思議でたまらない。
時間もかなり遅かったのでまずは京都まで行けるか確認。

やらかし3

ここで3つ目のやらかし。

同志社大学は、京都の御所のとなりにある。
これは、何度も行った京都の旅行で得ていた予備知識。

この中途半端な知識がよくなかった
いや、結果的にこれがよかった

京都への時間を調べると、最終電車で間に合わないことが判明。
絶望です。

友人にその旨を伝えたら、「まだ電車あるよ」の連絡
位置情報と一緒に送ってもらって絶句。

「同志社大学 京田辺キャンパス」

理系の彼は、御所の横でなく、京田辺という辺境の地に住んでいました。

京田辺市は京都の南方に位置します。
なんと、法隆寺からなら電車が間にあう!

3つ目のやらかしに救われた僕は無事友人宅に付けましたとさ。

次の日は、朝イチで大阪へ向かいゼミ旅行2日目を満喫し、帰りに京都で原付を取り返して、琵琶湖沿いの市街地を経由して無事家に帰りましたとさ。

実は雪道の原付突入は、実は箱根の峠道でも経験しています。

これは、東京旅行の際の出来事ですので別記事で紹介します。

あまり無茶はするものではありませんが
学生だからできたことですね。

「中部地区自動車社会」滑稽話①以上。






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