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1-4. サウジがイスラム教を徹底する理由

【3行まとめ】
・サウジは、武力でアラビア半島を制圧した国家であり、統治の正当性が必要。統治の正当性をイスラム教に求め、権力の源になっている。また、サウジはイスラム教の聖地を擁しており、その神聖さを守る必要がある。

(写真は、ジェッダ市内の大きなサウジの国旗。)

・なぜサウジはイスラム教に厳格なのか
 さて、ここまでサウジのイスラム教の厳格さについて具体例をあげながら紹介してきましたが、なぜここまでサウジはイスラム教に厳格なのでしょうか。

 もちろん、人々がイスラム教を心から信仰しているということが、大本にはあるのですが、少し違った角度からその理由を分析してみたいと思います。

 先に結論から述べますと、サウジアラビアは、イスラム教の教義に厳格であることで、①国家としての基盤を盤石にし、さらに、②国際社会での発言力を高めることができるのです。

・統治手段としてのイスラム教
 サウジは、政治体制として絶対君主制を採用しており、「司法、行政、立法の三権は、国王の下で、相互に協力して執行される」 と憲法において定められています。

 簡単に言えば、王様の決定が絶対であり、それを縛るものは何もないということです。

 ここで、絶対君主制の対となる概念は共和制であり、君主ではない者が国民によって選ばれて元首となる統治形態のことを指します。例えば、アメリカは選挙で選ばれた大統領が、元首となって政治を行います。

 共和制の場合、元首が国の統治を行うことについて、国民の理解を得やすいでしょう。 国民に選ばれている以上、その国の統治を行う正当性があるといえます。

 他方、サウジのような絶対君主制国家は、どのように国民の納得を得られるでしょうか。「優れた能力がある」、「長い王室の歴史がある」など、国民が統治に納得できる理由が必要となります。

 サウジの歴史を紐解くと、1930年頃にアラビア半島を支配するハーシム家という部族を、サウード家が武力で征服し、サウジアラビアが誕生しました。なお、サウジアラビアの国名は、サウード家のアラビアという意味です。
 
 国の歴史が浅く、かつ武力で征服した国が、国民から支持を得るためには、何らかの大義が必要となります。その大義をイスラム教に求めたのがサウジアラビアでした 。
 
 サウジが建国された1900年代当時、砂漠には盗賊がはびこり、世の中が乱れていました。こうした中、サウード家は、「今こそイスラム教の教えに回帰して、正しい社会を作っていこう」という運動を広めることで、国民の支持を集めました。

 こうした回帰主義は、イスラム教の中でもワッハーブ派と呼ばれ、「イスラム原理主義」の一つとされています。

 歴史の話が長くなってしまいましたが、今でもサウジは、イスラム教ワッハーブ派を国教としており、これが国家統治の権力の源となっています。

 国民が信仰するイスラム教に基づいて統治を行っているので国王は正しく、したがって、国民もその統治に納得できるのです。

 国民がイスラム教を信仰している限り、国王がイスラム教に基づいて厳格に政治を行えば、その支持基盤は盤石となるのです。

・聖地を抱える国としての責任
 サウジは、世界中のイスラム教徒が「一生に一度は行きたい」と夢見る聖地メッカとメディナを国内に抱えています。

 聖地の魅力というのは、 我々異教徒の想像を超えるものがあります。外国人が聖地を訪問するための入国ビザの倍率は何百倍、あるいは千倍もの倍率にのぼるとも言われ、国外に住むイスラム教徒にとっては、一生に一度でも行ければ幸運だと言われています。

 サウジは、イスラム教の教義に厳格であることで、聖地の神聖さを守り、ひいては、世界15億人と言われるイスラム社会から常に一目置かれる存在になります。聖地を抱えたサウジが、教義に厳格であれば、イスラム教の盟主として、その発言は重みを持つことになるのです。 

 なお、サウジの国王は、二大聖地(メッカとメディナ)の守護者であることを示すため、「二聖モスクの守護者」を名乗っており、安倍総理も国王を呼ぶ際は、「偉大なる二聖モスクの守護者サルマン・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王陛下」と呼称しています。 

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