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Non je ne regrette rien

※3年前の今頃に投稿した記事を、加筆しての掲載です。

5年前の3月、ガンを告知されました。すぐに手術をしたけれど、病巣を完全には取り除くことが出来ませんでした。

2月、ガンであることが濃厚だと知らされたある日、ネットをなんとなく見ていたら『美輪明宏 愛の讃歌』の公演の広告が出てきましたーー美輪さんは時々残念なミソジニー発言をするけれども、表現者としての彼は尊敬しています。そしてエディット・ピアフは私が10代の頃から敬愛してやまない歌手です。ほぅ、私の誕生日が初演か......なんかこれも運命なのかなぁとチケット発売日当日即、購入しました。

エディット・ピアフで私が一番好きな曲は『街の舞踏会(Bal dans ma rue)』です。代表曲『愛の讃歌』でも『バラ色の人生』でもなく。その2曲の次に有名と思われる『水に流して』は街の舞踏会の次の次くらいに好きな曲です。

私は映画が好きですが、とりわけ伝記映画が大好きです。『エディット・ピアフ 愛の讃歌』は封切されてすぐに観に行きましたが、期待以上でした。彼女の曲で一番有名で人気と思われる『愛の讃歌』はインストが効果的に使われているのみ、歌唱は一切なしというのが印象的でした。好きなシーンは沢山あるのですが、最後の方でピアフが海岸で穏やかな表情で編み物をしているところはなんだか沁みました。

1度目の手術。私はそれまで、手術らしい手術どころかメスを入れるような外科的処置を受けたことがありませんでした。大きな病気もけがもなく、40年の人生で一度も入院すらしたことがなかったのです。
手術台に横たわって天井を見ていると沢山の看護師や麻酔医が集まって機器や道具を揃えているらしい音がカチャカチャと聞こえてきて、私は涙が止まらなくなってしまいました。母親と同じ歳くらいの女性看護師が
「あらあら、怖くなっちゃった?大丈夫よ。みんな、ずっと一緒にいますからね。ほ~ら大丈夫よ、ね?」と涙をぬぐって、手を握ってくれました。

違うんです。私は手術が怖くて泣いていたのではないのです。
ガンであることを打ち明けられるような家族や身寄りなんていないこと、面倒を見てくれる人など誰一人いないこと、病気について調べて病院探しするのも全部ひとり。ピアサポートなどであちこち話を聞きに行くのもひとり。弱音を吐く相手、友達すらいない。いえ、ひとりでもいいんです。だけど……
もしステージが進んだら?手術が成功しても再発や転移したら?安楽死も出来ないこの国で、ゆっくりと悪くなりQOLが思いっきり下がって、ある日急に悪化し余命宣告を受けることが多いこの病気に耐えられるか?そうなったら治療を受ける意味は?そんなことがぐるぐると頭の中で駆けめぐり涙が止まらなくなってしまったのです。

私の41回目の誕生日。美輪さんの「ピアフ」を観たのは2度目の手術を数日後に控えた日で、まだ1度目の手術の抜糸も済んでいませんでした。でも最高にめかしこんで出かけました。ピアフの時代のパリ紳士のようなスーツにハット、けれど足元はエナメルの太いヒールのパンプス。

圧倒されました、美輪さんの渾身のピアフ。全部日本語で歌っていましたがそれもまた素晴らしくて。

公演後に出待ちをしたら美輪さんは立ち止まって微笑んで下さいました。

邦題「水に流して」原題Non je ne regrette rien.....(「私は後悔していない」の意)、か。
いえ、私は後悔してること、いっぱいあります。けれど死ぬときは「もういいの」って思いながら死にたいのです。あんなつらいことや悲しいことを経験したくはなかったし生まれて来たくはなかったですが、生まれてしまった事実や過去は消せませんから、楽しく死ねるためにはどう生きるか。そんなことを考えている、46歳を目前の春です。