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「コミュニティの中の自分」とは何か

今日も電車で帰る道中、頭の中は一人反省会で忙しかった。
昔からなんとなく「この場所でうまく振る舞えていない自分」というのをどうしても意識してしまう。


このご時世で複数人の会食はずっと避けているから、今定期的に会う人というのはとても限られている。私の場合は職場の人と週一の英会話のレッスンの先生とクラスの人だけだ。

まず職場の方は少し特殊な環境なのだけれど、基本的に全員がシフト制で動
いている職場なので日によって一緒に働くメンバーが違う。
私が担当しているエリア(フロア)が2階と3階の2箇所あるのですが、1、2、3階のどれかに固定で所属している人たちがほとんどで、それぞれのフロアで働いている人のキャラクターによって両者の雰囲気の違いがある。

例えば、普通の会社であればA課とB課という2つの部署があるとして、私は少々特殊な位置付けの働き方(夜勤専門)をさせてもらってるからどちらの課も行き来しているのだけど、会社の多くの人はそれぞれの専属で働いていて、行き来して両方見ている側としては同じ会社でも部署によって雰囲気が結構違うんだな、と日々感じている。

アルバイトなどでシフト制の仕事をしたことがある方も想像してみてほしいが、今日はこの人がいるからなんだか現場の雰囲気が明るいとか、今日はあの人がいないからかなんだかいつもより静かとか、仕事がめちゃくちゃ忙しくて現場がピリピリしてたりみんながどこか疲れ切っている日があったり。

職場というのはどんな形式であっても、複数の人がいるコミュニティ=共同体であるからこそ、一人一人のキャラクター、関係性、その日の一人の調子なんかによって職場の雰囲気も左右されると思う。私の働いている介護施設も例外なく、その日のメンバーやその日の忙しさやお互いの掛け合いなどによって、今日の職場の雰囲気というのは出来上がっていってると思う。

そして私が今通っている英会話レッスンの方もグループレッスンと個人レッスンがあり、グループレッスンは少人数であるが他の生徒さんと先生という小さなコミュニティで形成されている。4月から通い始めて先生やレベルの変更などあり私はクラスが2回変わっているのだが、それぞれ先生やそこで一緒に授業を受けているメンバーや授業のやり方で雰囲気が全然違った。

特に最初にいたクラスでは、私と同時期に入ってきた年上の女性がかなりムードメーカーな雰囲気を持っていて、頑張って身振り手振りの英語で伝えようとする姿にみんな笑顔になって、先生やみんなもそれを突っ込みながら笑いの絶えない授業って感じだった。その方は正直、英語がすらすら話せるわけではなかったのだけど、その人が話すだけでクラス全体が明るくなるような魅力を持った人で、授業は結構ゆっくりだったけどめちゃくちゃ楽しい雰囲気になっていた。

いい意味でも悪い意味でも、その人一人の存在がそのコミュニティの雰囲気全体を変えていく力がある人っているよなと思う。職場でも感じるのは、「個人の色」が強めの人が多い職場は、衝突もあるが割と意見が活発に言い合える環境になることも多い。色々な場合があるが意見を言える雰囲気の環境の方が風通しがいい感じがして、私はそっちの方が居心地が良かったりする。内容は問わないにしても、前提に会話をしやすい雰囲気があることでみんなが無駄なストレスを溜め込まないことにもつながると思う。

私にとって今の職場でいえば、2階で働いているときは周りの人とのコミュニケーションが活発な感じがして自分の意見も言いやすいのだけど、3階の日だと雰囲気的に意見が結構言いづらいことが多いと感じている。それが見えない間にストレスになって、気づくと心が疲れてしまう日もある。

英会話のレッスンの方も、クラスによって人と人との相性、コミュニティの雰囲気というものにすごく差を感じる。先月からレベルアップさせてもらって今は英語のレッスン自体はめっちゃ有益だけど、わかりやすいムードメーカーさんがいた頃に比べると自分がその輪に入っていくのが難しいというか、うまくそのクラスの雰囲気にハマれていないと感じてこちらも一人で勝手に疲れてしまうことがある。いずれにせよ気にしすぎでなかなかフレンドリーに人に話しかけられない自分の問題が大きい。

そのコミュニティが自分に合う合わないとか、自分がその中でうまく振る舞えてそこに溶け込めるかどうかとか、もちろん溶け込んでみんなとうまく楽しくやれた方が円滑なのだけど、
どうやら私はムードメーカータイプでも決してなければ、自分の意見を押し殺すのもストレスに感じてしまう、面倒臭いタイプのようだ。特別目立つのは苦手だけど大人しく何も考えないで黙々とやるのもすごく辛い。おそらく日本人にはこうゆう人が少なくないだろう。


だから時々一人勝手に苦しくなることがあって、意見はあるけどなんだか言いづらい、これを言うとはみ出し者になるかもという気持ちが働いて、私がここにいるのは違うのかな?ってマイナス方向に考えてしまう瞬間もある。別にいじめられているわけでもないし、嫌いな人がいるわけでもその場所のみんなから嫌われているわけでもないと思うんだけど、勝手にある種の被害的な疎外感を感じているのだ。


色々疲れたりする日もある中で最近少しずつ心がけているのは、職場やクラスに馴染まなきゃと変に力を入れるより、今はとりあえず自分のやるべき仕事や目標としてる英語力の向上だけに、そこにいる意義を見出している。

特定のコミュニティ全員がなんらかの目的を持ってそこにいるんだと思う。職場であればみんなで協力してそこの仕事を回していこう、ということだろうし、英会話レッスンであれば個々の英語スキルを上げていこう、というところだと思う。私も職場でみんなでうまく連携して仕事が回せた時、英会話でディスカッションが盛り上がって新しい表現を学べた時、なんだか「みんなで一つのことを達成した感」を感じる。

ただ、あくまでその連携・連帯感というは目的の達成の過程に過ぎないし、常に仲良くみんな上手くいってる必要もないのかな、と思う。現に私は完全一匹狼タイプ(集団行動が元々苦手)なので、常にコミュニケーションを取らねばならない場所も苦痛だと思う。

私はそんないわゆるコミュ障なので、こういったコミュニティでの振る舞いに難しさを覚えるのはごく普通の流れでもあるし、なぜそこ(共同体)にいるか自分の目的を改めて考えてみたら職場なら「仕事を遂行してお金をもらうため」だし、英会話なら「英会話を上達させるため」なのだ。そう考えると、最悪別に周りの人とうまくやれてなくたって目的さえちゃんと達成できればいいのか、ともこれを書いていたら思えてきた。


こういった鬱々とした気持ちとか文章にすると意外とスッキリするというが、やはり見えてなかった答えが見えてくるものだな。

なんらかの場所に所属して他人と何かをする限り、このままコミュニティにいていいのか、出ていくべきか、というのを考える場面がある。
そんな時にふと一番最初に自分がそこに入るに至った「目的」「目標」を考えると意外とシンプルだったりするかもしれない。自分の備忘録としてまた悩んだらここに立ち返って考えたいと思います。明日も頑張る。

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