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第5話: 「おでん委員会」

【連載】新月前夜、窓、そして君の事。/ 文・イラスト: セキヒロタカ

「ひょっとして、斜向かいのビルのメガネ店の?」

僕はそう言ったが、彼女のことははっきり覚えていたから、「ひょっとして」は本当は不要だった。
彼女は、

「もし違っていたらごめんなさい。でも、もしこのビルの一番上の部屋を見ていたのなら、その理由が訊きたくて。ごめんなさい。」

と、2度謝りながら言った。彼女はこの状況を扱いかねているのか、この前の時の静かな感じとは違って少し慌てた話し方になっていた。僕は、

「確かに僕はこのビルの一番上の部屋を見ていました。怪しまれるかもしれないけど、実は僕もはっきりと説明できる理由がないんです。自分の中ではどうしても引っかかることがあるのだけど。」

と正直に話した。なんとなく、彼女も同じようなことで引っかかっているのではないかと感じたからだ。彼女は、本当は今話したいことがあるのだけど、今日はどうしても時間がないからまた話をできる時間を作ってもらえないか、と言った。彼女は電話番号を教えようとしたが、僕は断って僕の連絡先を教えた。それから、基本的にそこで仕事をしていること、いつも僕一人だけだし、そこで寝起きもしているのでいつ電話してもらっても問題ないことを伝えた。彼女は少しだけ笑顔になり、丁寧にお辞儀をして早足で去っていった。

  ・・・

それから僕らは、彼女の仕事が休みの日に「その」ビルから線路沿いに少し行った駅前のコーヒーショップで待ち合わせをして話をした。正確には僕らの間でしか共有できない情報を交換した、という感じだ。

やはり、僕の予想通り、僕らは同じ違和感を抱えていた。

僕は、新月の前の夜、僕の部屋から見て新月前の月の端が「あの」ビルにかかると、最上階の「あの」部屋の明かりが必ず2度明滅することに気付いたこと、新月前夜になると「あの」部屋の窓をベランダから観察していたが、ずっと(少なくとも1年以上は)同じだったこと、それから、「あの」ビルの壁面工事が始まる前夜はいつもと違って2度明滅することなく点いたままだったこと、その明かりの色が鮮やかな緑だったこと、そして次の日突然壁面工事が始まったこと、を彼女に伝えた。

彼女は、自分には見えるが他人には見えないものがあること、それは世間で言うところの「霊感」とは少し違うような気がすること、そのことは誰にも言ったことがないこと、「あの」ビルの最上階の部屋にはずっと「変な感じ」があったこと、そして、その「変な感じ」はあの壁面工事の始まった日を境になくなったこと、を教えてくれた。

僕らはその後も何度か駅前で待ち合わせをしてそのビルに関する情報交換をした。その日も同じようにコーヒーショップで待ち合わせをしたのだけど、その店の入っている駅前の一角が改装工事に入っていた。そこで僕らは仕方なく線路沿いに自転車を押して、ぶらぶらと歩きながら話をすることにした。
 
線路沿いの道は、ところどころ狭いところや、片側にしか歩道がないところがあった。
僕らは歩道の狭くなっているところは縦になって歩き、広くなると並んで歩いた。夕方の渋滞が始まる時間帯で、長い列になった車のストップランプが行きかう人を赤く照らしていた。

crossroad2-[更新済み]

僕らは自転車を押して歩きながらいつもとは少し違う話をした。彼女はいろんなことを話してくれた。仕事のこと、会社への往き帰りに出会った人たちのこと、会社の裏の隙間に住む野良猫のこと。
そうやってしばらく歩いていると線路沿いに大きな公園が見えてきたので、暖かい飲み物を買い、少し座って話をすることにした。暗くなってからあまり遠くまで行くのは気が引けたからだ。僕らは暖かいコーヒーとウーロン茶を買って、公園のベンチに腰掛けた。あたりはもうずいぶん暗くなっていた。

「こんな日は、おでんが欲しくなりますね。」

と彼女が言った。

「動議支持。おでんに1票。」

と僕が言うと、彼女は「満場一致。おでん可決ですね」と言って笑い、揃えた膝に手を当て、ちょっと立てたつま先を見ながら「おでん食べませんか?」と言った。

僕は「うん。いいよ。特に晩御飯の当てがあるわけじゃないし」と言って、「屋台でも行く?」と付け加えた。

「私、あそこに住んでいるんです」と彼女は言って、公園の隣のマンションを指差した。

(つづく)

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