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スピッツ「インディゴ地平線」の全曲レビュー&考察

前回スピッツの個人的アルバムランキングを作ったが今回は自分がスピッツで最も好きなアルバムであるインディゴ地平線の全曲レビュー(と自分なりの考察)を行いたいと思う。完全にただの趣味なので変なことを書いていてもスピッツファンは許してほしい。

1.花泥棒

好きな女の子に似合いそうな花を見つけたので花泥棒を働いたら逆にその子を別の男に盗られちゃった、的な曲。
多分だけど花を渡すことも思いを告げることもできなかったんじゃないかなぁ。

この曲の主人公は女の子に片思いをしていて、夢に出てくるくらい深く想っているのだが現実では(多分)それほど関係を築けていないのだろうと思われる(というか下手したら相手から認識すらされていない可能性もありそう)。

しかも片思いなのに「この花を渡せたらそれが人生だ!」とまで言い切ってしまうあたりがなんとも青臭いというか子供っぽいというか…人生経験が少ないからこそこんなことが言えてしまうんだろうなぁとか色々感じられてとてもむずがゆい(褒めてる)。

この「僕」の目線から見た「君」とその間にある「(僕目線の)僕と君の世界」を綴った歌詞のパターンは後述する別の楽曲や初期の名曲「日なたの窓に憧れて」なんかにも通じる部分があり、このアルバムにはこの「僕」「君」「世界」の三すくみを歌った曲が多数ある。(以降の楽曲レビューでは便宜的に曲の主人公を「僕」、意中の相手のことを「君」、その間に存在する関係性のことを「世界」と呼ぶことにする)。

少々話が脱線したが、一応歌詞以外のことも言っておくとメロディーが軽快でかつ短めの楽曲なのでアルバムの1曲目としてはとても良い曲だと個人的には思っている。あと途中の「花泥棒~」のコーラスはお茶目というか少々間抜けな感じがしてとても愛らしく感じる。

2.初恋クレイジー

タイトル通り初恋を歌った曲。歌詞にでてくる「ベーゼ」はフランス語でキスを意味する言葉らしいのでこの曲は片思いではなくちゃんと「君」と恋人関係になれた「僕」の曲なのだろうと思われる。

この曲の「僕」はとにかく浮かれている。「見慣れたはずの街並も ド派手に映す愚か者」という出だしの歌詞から既にそれが感じられる。その直後の「君のせいで大きくなった未来」という歌詞はもはや浮かれすぎていて笑えてくるくらい。気持ちが高ぶりすぎてその後の人生がもはやすべて上手くいくことが確定したかのような気分になってしまっている。大人になってからこの曲を聞くと思わず「馬鹿かこいつ」と思ってしまう(褒めてる)。

ポップで可愛らしいのにちょっと難しい単語や捻くれた表現を使ってみたりするこの曲はまさに「思春期」って感じの曲。サビの「表の意味を超えてやる」なんて歌詞はもう色んな意味で最高の表現。花泥棒と違ってこっちの「僕」はちゃんと「君」と恋人関係になれているのに未だ関係性はそこまで深くなれていなさそうな感じや表面的な相手の良い部分しか見れていないであろうことも伝わってきて、だからこそ未来に向けて良いイメージしか持てていないのだろうとも思い、そこが青くて美しいと感じる。そしてそんな様子を「クレイジー」と形容するのが素晴らしい。

そしてこの曲はなんといってもピアノの伴奏が心地よい。何度聞いても飽きない。どうやらこれが初めてピアノで作曲した曲らしいがそうとは思えないくらいメロディーが素晴らしい(作曲知識がないのでこれ以上の褒め言葉が分からないが…)。

3.インディゴ地平線

1、2曲目の勢いをここで一旦ストップさせてゆったりとしたメロディーの3曲目へ。高ぶった心を落ち着かせてくれるような、そんな楽曲。

歌詞は「君」という存在と地平線まで行こう、という内容なのだが結局地平線が何を意味するものなのかは分からない。逃避行の歌とか駆け落ちの歌とかいろいろ解釈されているみたいだけど、一応自分なりの解釈としては「インディゴ・ブルーの果て」ってのが大人にならずに青さを抱えて子供のまま成長していったその先の世界ことなんじゃないかなぁとか思ったり。「地平線まで」ってのは永遠にこのまま進んでいって今の存在のまま終わりまで向かおうよ的なニュアンスかなぁ(ややこしい解釈で申し訳ない)。

以下、自分なりに解釈してみた歌詞の意味。

「逆風に向かい 手を広げて」
逆風=大人という存在。常識、倫理観など。そしてそれに歯向かっている様子。

「僕達は 希望のクズだから」
今はまだ子供なので未来に向けての希望は無限大にあるが、大人になる気はないので自分たちは希望を無駄にするクズである。あるいは希望の可能性はあるけどクズのように小さいってことかも。

「歪みを消された 病んだ地獄の街を」
歪みを消された=純粋な存在(つまり子供)。病んだ地獄の街は精神が不安定な思春期、あるいはモラトリアムを抱えた子供たちの世界のことかなぁ…。この後に「逃げ出す」という単語が来るので子供の世界から子供のまま抜け出して「君」と2人だけの世界へ…みたいな

「時を止めよう 骨だけの翼 眠らせて」
子供の時は羽の生えた天使のような純粋な存在であり、大人になるとそれがなくなって普通の人間になるがその過程で成長して羽がもげて骨だけが残った状態で時を止める(成長することを辞める)ことを選んだ。

「凍り付きそうでも 泡にされようとも 君に見せたいのさ あのブルー」
死にそうでも消えそうでも「君」にあの青い景色を見せたい。ここで言う青い景色は恐らく「僕」にとっての原風景となっているもので、それがなんなのか不明。景色かもしれないしなんらかの体験かもしれない。ただこのブルーとやらが元となって子供のまま地平線へ行こうと決めたのではないかな…

「少し苦しいのは 少し苦しいのは なぜか嬉しいのは あのブルー」
自ら困難な道を進むことを決めたため苦しさに襲われるが原風景を思い出すと同時に嬉しい気持ちも思い出す。あるいはその原風景が苦しさと嬉しさという2つの感情を内包している複雑なものなのかもしれない。

以上。うーん…しっくりくるようなこないような。でもこの曲はもがいているようでもあり諦めているようでもあり、それがまさにモラトリアム期の少年と青年の狭間の感情って感じがして凄く沁みるんだよなぁ…。

前述したようにスピッツの曲は「僕」と「君」とその間にある「世界」を歌ってる曲が多いけどこの曲は2人の間の「世界」がそれ以外の本来の世界と上手く折り合うことが出来ていないことに対する葛藤みたいなのがある感じがする。実際この時期は世間の評価と自分たちがやりたいことのギャップに悩んでいたらしいし…そう考えるとこの曲は「バンド」と「曲」と「世間」についてのズレが生んだ葛藤について歌ってるのかもしれないと思えてきた。そう考えると少ししっくりくる、気がする。

4.渚

この曲は歌詞が特に抽象的なうえにタイトルの「渚」が意味するところも分からないため解釈が非常に難しい。一応「渚」に対するイメージについてのエピソードはあるらしいが(wiki参照)、それが曲の世界観にそのまま通じているのかは不明。

歌詞をそのままなぞると失恋の歌なのかな?と個人的には感じた。「ささやく冗談でいつも つながりを信じていた」という歌詞から少なくとも「君」とは冗談を言い合えるくらいの関係性があったことは読み取れる。

その後の「ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた 初めてプライドの柵を越えて」という歌詞から相手に告白をしたのかな?という考察はできる。「プライドの柵」が邪魔をして今まで自分の想いを告白することができなかったがここで初めて自分の想いを告げることが出来たのだろう、多分。そして「ぼやけた六等星」とは「僕」自身のことを言っているのだろうがいくらなんでも卑下しすぎではないだろうか。ただでさえ六等星の星は小さいのにぼやけてたらもうほぼ見えてないぞ、それ(自己評価ではなく「君」から見た自分はその程度の存在って意味かもしれないけど)。

以降の歌詞はほとんど「僕」の願いと妄想なんじゃないだろうか(だからこそ具体的なエピソードがなく抽象的な表現ばかりになっている)。振られてしまった「僕」は妄想の中で「君」と一つになり、渚の中で混ざり合おうとする…。ところがどうも妄想の世界に完全に篭れるわけでもなくその幻が醒めることを恐れている。また「ねじ曲げた思い出も 捨てられず生きてきた」という歌詞も気になる。実際のエピソードとは異なる、自分に都合の良い「君」との思い出を妄想ででっち上げて勝手に引きずっているのだろうか?(だとしたら痛すぎる)

前述した花泥棒や初恋クレイジーにも言えることなんだけど、主人公にとっては「君」が世界の全てであるように感じられているようである。だからこそ、振られてしまった「僕」は妄想の世界に逃げるしか無くなったのだろう。ある意味では「世界」は崩壊してしまったのだから。
「僕」と「君」の「世界」から「君」がいなくなり、残ったのは「僕」と「世界」だけ。だから「僕」は一人ぼっちの「世界」で「君」とのねじ曲げた思い出を抱いて生き続ける…的な。うーん、なんだか考えれば考えるほど悲しくなってきた…

5.ハヤテ

実はこのアルバムで一番好きなのがこの曲。盛り上がりそうで盛り上がらないメロディー、どこか気だるげなボーカル、相変わらず一人で盛り上がる片思いな歌詞…すべての要素が好きな曲。優しいスピッツでこの曲をやってくれていたのがとても嬉しかった。

歌詞の内容は多分、「君」を好きになってどんどん気持ちが高ぶっていく「僕」の心情を表しているのだと思う。「言葉はやがて恋の邪魔をして それぞれカギを100個もつけた」って歌詞は気持ちを伝えたいのに伝えられない様子を表したとても素晴らしい歌詞。この曲の「僕」は渚でいうところの「プライドの柵」を越えられていないのだろう。「100個も」って表現も子供っぽくて良い。実際は多分100個もカギないと思うし。

そして2番の「なんとなく~」からの歌詞でカッコいいところを見せたかと思えば「振り向くところで目が覚めた」に繋がるまさかの夢落ち…。こいつら好きになった人みんなすぐ夢に出てくるのかよ。

「晴れそうで曇り毎日小雨 もう二度と壊せない気がしてた」の辺りではもう恋を諦め始めている様子が伺える。多分「今日こそ仲良くなれそう(晴れそう)!」→「今日もダメだった…(小雨)」を繰り返して疲れちゃったんだろうなぁ。カギ100個も掛けてたらそりゃ仲良くなれないよね…。

この曲の歌詞は全体的に好きなんだけど一つだけどうしても理解が出来ない歌詞があって、それがサビの「会いたい気持ちだけが膨らんで割れそうさ」の部分。気持ちが膨らむのは分かるんだけど、膨らんだ気持ちが「割れる」ってのがよく分からない。気持ちが膨らんで「溢れそう」とか「飛んでいきそう」とかならまだなんとなくイメージできるけど「割れる」ってなに?割れたら壊れて無くなってしまうってこと?「好きすぎて好きじゃなくなりそう」ってこと?マジで分からん。ここがどうしても知りたい。草野マサムネの頭を割って中を覗いてみたい。

6.ナナへの気持ち

この曲は構成が非常に面白くて、AメロBメロでは「ナナ」の身体的、精神的特徴を淡々と語っていき、そしてサビでナナの名前を叫ぶという妙な構成になっている。1番でナナがどういう人物かを結構具体的に語ってくれるので頭の中でわりとイメージがしやすくなっている(ただ髪色については根元の色が黒、ということしか分からないので何色の髪をしてるのかは最後まで分からない)。

ただ、これまでの曲と違って「君」のイメージはやけに具体的になったのだが根本の内容は今までの曲とほとんど一緒である。「僕」は「君(ナナ)」に片思いをしていて、その間に「世界」がある。そして「君だけが」とか言ってる辺り例によってこいつも「君(ナナ)」を世界の全てだと思っている。何曲も手を変え品を変えて恋の歌を歌ってるが曲の主人公である「僕」がみんな一緒のマインドなのはある意味凄い。

そして当然想いは成就していない。なのにこの曲の主人公は「君と生きていくことを決めた」のである。朝まで一緒にいて何も出来なかったのに、恋人関係でもないのに、勝手に。ナナへの気持ちが強いのは分かったが肝心のナナの気持ちはガン無視である。凄いなこいつ(褒めてない)。

7.虹を越えて

アルバム7曲目だが(せっかくならナナを7曲目にすれば良かったのに)なんだかこの曲を境に雰囲気が少し変わるイメージ。正直前曲までの流れが良すぎてあまり印象がない曲。イントロは歌謡曲っぽい感じで目立つんだけど、なんか毎回記憶から消えてしまう。

この曲は前曲までと違って片思いの曲でもなく、子供っぽい感じもなく、むしろ少し大人な雰囲気を連想させる(メロディーしかり、歌詞しかり)。まず出だしの歌詞が「モノクロすすけた工場で こっそり強く抱き合って」だからなぁ。工場が出てくる時点で少年少女の歌って感じがしないし。抱き合ってる時点で両想いっぽいし。そもそも「遠い目の子供のように」って歌詞が出てくるからやっぱり大人が主人公の歌なんだろうなって思う。

正直この曲はあんまり刺さってないというか、アルバムの中でもそんなに好きな曲じゃないので特に語ることがない。歌詞を見ても何も感じない。とりあえずひたすらに虹を越えたいらしい。大変そうだけど頑張れよ。

8.バニーガール

タイトルを見てバニーガールってなんかの比喩かと思ったけど歌詞を見るとどうやらマジのバニーガールについて歌ってるっぽい曲。

何故そう思うのかというと出だしの歌詞が「寒そうなバニーガール 風が吹いた」だからである。そりゃああの格好で外にいたら寒いだろ。と思ったら「意地悪されて 震えていた」と続くのでどうやら好きで外にいた訳ではなさそう。可哀そうに。

で、そんなバニーガールを見てこの曲の「僕」は「俺もまたここで続けられそうさ」と思うわけだが何が「続けられそう」と思ったかは解釈が分かれそう。個人的には2番で「いいなぁ いいなぁ と人をうらやんで 青いカプセルを噛み砕いた」なんて歌詞が来るので人生を諦めて死んでしまおう、くらいに考えていた時に「君(バニーガール)」に出会って恋をして「(人生を)続けられそう」と思った…的な内容かなと思っている。バニーガールに出会ったことで「世界」が構築されたのだろう。

ただバニーガールに恋をしたことで生きる希望は生まれたようだが例によって「僕」は片思いのままである。「名も知らぬ君に 気に入られようと」という歌詞があるので下手したら知り合いにすらなれていないのかもしれない。それなのに「Only You」と言い切ってしまうのだから相変わらずである。「ナナへの気持ち」で「君だけが」という歌詞が出てくるがこれをただ英語にしただけで結局はこいつも量産型の「僕」なのだ(あっちの「僕」のほうがナナと知り合い程度の関係性を作れているだけマシだが)。

ただこの「僕」は他の曲の「僕」とは違う点がある。それはまず一人称が「俺」なことである。なぜかは正直分からない。元々はチェリーのカップリング曲なので単純に制作時期が違い、そのため曲のイメージが違う、ということかもしれないが…。

そしてもう一点違う点は自分の気持ちを「ゴミ袋で受け止めて」と歌っているところ。「君」と対等な恋人関係になりたいとはハナから思っていないような言いぐさである。もしかしたらこの「僕」は「君」をあくまで自分が生きるための希望の存在としてしか見ていないのかもしれない。「君」のために生きるけど、それは生きる意味を持つために「君」に恋をした状態に身を置きたいだけであって、本当の意味で「君」を好きなわけではない…みたいな(それを言うと他の「僕」も本当に心の底から「君」を愛しているのか?という疑問がわくが)。

うーん…でも「受け止めて」とは言ってるからやっぱり自分の気持ちを感じてはほしいのかなぁ…。それとも、単純にこの「僕」にはマゾっ気があって「君」にぞんざいに扱われたいってだけなのかもしれないとも思う。草野マサムネ曰くこの曲には「変態」的要素があるらしいのでその可能性も無きにしも非ず…。

9.ほうき星

このアルバムで最も意味不明といっても差し支えないであろう楽曲。歌詞の構成の仕方は「渚」とあまり変わりないのだが「渚」以上に抽象的過ぎて何について歌った歌なのかが皆目見当もつかない。

ただ歌詞に反してメロディーはわりと分かりやすいというか、AメロBメロはゆったりと落ち着いたメロディーで、サビでぱぁっと晴れる感じの曲なので聴きやすいといえば聴きやすい。ぱぁっとというほど爽快ではないけれど、霧が晴れたようなそんな感覚はある。

サビには「弾丸 桃缶 みんな抱えて 宙を駆け下りる」という歌詞があるが、これについて草野マサムネは「アジアの純真みたいな感じ」と言っているらしいのであまり意味は考えずに書いたのかもしれない。「北京 ベルリン」と「弾丸 桃缶」。うーん…確かに語感は似てるかも。

でもタイトルのほうき星はなんなんだろう。彗星そのものについて歌った歌…ではないよなぁ。気にはなるけど、正直この曲も個人的にはそんなに惹かれないかなぁ…。作曲者は違うのに、何故か「虹を越えて」と同じ空気を感じるし…。

10.マフラーマン

アルバムのジャケットイメージにもなっている楽曲。歌詞に「赤いマフラー」とあるがジャケットの女性はマフラーなど巻いていないので恐らくはバイクのマフラーの方を差しているのだと思われる。

この曲はマフラーマンなる架空のヒーローについて歌った歌だが結局はこれも「僕」と「君」の片思いを描いた曲である。「ハイパーな愛に賭ける」などと大きなことを歌っておきながら「安上がりな幸でも 今なら死ねる」とも言っているので恐らくはこの「僕(マフラーマン)」も勝手に片思いをして勝手に気持ちが大きくなって勝手に満足しているのだろう。「君」と両想いなら「安上がりな幸」で収まるわけがないからである。

そして悪がどうのとかエスパーがどうのとかいった歌詞も出てくるがこれも妄想かなんかの比喩じゃないかと個人的には思っている。マフラーマンとやらになって「君」を取り巻く悪を勝手に退治してヒーロー気取りになっているのだろう。もしかしたらほんとにヒーローで人知れず「君」を守っている可能性もあるが「いつも君を探す」と言っている時点で多分「君」には会えていないので結局片思いであることには変わりがない。下手したらただのストーカーである。そりゃこんなのについたらスポンサーも後悔するだろうよ(ほんとにスポンサーがついているかどうかも怪しいが)。

最後まで聴いても「結局マフラーマンってなんなん?」って思ってしまう不思議な曲だが、考えれば考えるほどマフラーマンについての謎は深まってくる。マフラー「マン」なのになぜジャケットの写真は女性なのか?とか、マフラーマンっていうよりバイクマンだろ、とか「軽い判断で放つブラスターが」って攻撃するときはバイク関係ないんかい、とか…。

正直メロディーは地味だし歌詞のイメージに反してちょっと暗めの曲なのでそんなに好きな曲ではないが発想はとても面白い楽曲だと思う。んで、ヒーローがテーマなのに結局片思いの曲なんかいというギャップもありで、これはこれで…と思うような不思議な魅力を持った楽曲である。

11.夕陽が笑う、君も笑う

ポップで軽快でとても可愛らしい曲。そしてサビのキーがずっと高い…。聴いてる分には凄く良い曲なんだけど歌うとなるとめっちゃ大変そう…。

歌詞は結構抽象的なので分かりづらいんだけど自分に自信のない「僕」とその恋人である「君」の歌なのかな?と思う。「求める 胸が痛い 求める 君はいつも疲れて不機嫌なのに」って歌詞からは「君と抱き合いたいけれど疲れてて不機嫌だからそっとしなきゃいけない」みたいな、「君と抱き合いたい」という自分の願望と疲れている「君」を気遣う気持ちの狭間で揺れているような感じを受ける。求めたい、でも我が儘を言って「君」に嫌われたくない、みたいな…。

2番では「怖がる 愛されたい 怖がる」や「さまよう 何も無い さまよう」なんて歌詞が出てくるので「愛されたいけど自分に自信が持てなくて、嫌われるのを恐れている」みたいな印象を受ける。とにかくこの「僕」は「君」のことが好きだけど、「君」を失うのが怖いという感情をもっているようだ。ただ「ヘアピンカーブじゃ いつも傷ついてばかり」はどういう意味なんだろう…。2人の関係性の中の何かをヘアピンカーブに例えているのかなぁ…?うーん、分からん…。

ただそんな「僕」だけどサビの部分では夕陽と「君」が笑っているのを見てスッと胸が晴れるような気分になる。「夕陽が笑う 君も笑うから 明日を見る」という部分で「君」に安心感を抱いて未来を見据えることができるようになっていることが分かる。「勝手に決めた リズムに合わせて歩いていこう」の部分では「君」の顔色を窺わずに自分の意志、自分のペースで「君」と一緒に生きていこう…というような前向きな感情を感じ取れる。「君」を見て自分に自信を持つことが出来るようになったのだろう(自分ひとりで勝手に不安になっていたことに気づいた、とも言える)。

「甘いしずく 舌で受け止めてつないでいこう」の部分は何かの比喩なのか、それとも直接的な意味なのかはどちらとも解釈が取れそう。なんかエロい感じにも聞こえるけど全体的に可愛らしい歌詞なので急にそんなぶっこんで来るか?とも思う。なので個人的には何かの比喩なのかな?と思ってるが、エロい意味だったとしても「草野マサムネならあり得る」と思ってしまうのでなんとも言えない(どっちつかず)。

この曲はアルバムの中でも随一に前向きで、可愛らしい曲なので実質的なアルバムの締めくくり曲としては最高の楽曲だと思う。この曲がこの位置に来ることでここまでに抱いたモヤモヤとした感情を全て晴らしてくれるような、そんな印象を受ける。

あと、あえて「夕日」ではなく「夕陽」にしている点も良い。「夕日」は太陽そのもの、「夕陽」は太陽の光、という意味合いで使い分けられることが多いらしいので「太陽の光を浴びて笑っている君」という描写がイメージできる。「夕陽が笑う」の意味は正直説明が出来ないがなんとなく優しくて、暖かくて、くすぐったい印象を受けるのでこの「僕」と「君」の関係性を表す表現としては最高の表現だと思う。

12.チェリー

言わずと知れた大ヒット曲にして超名曲。スピッツをあまり知らない人でもさすがにこの曲は知ってるって人がほとんどだと思う。

この曲は誰が聴いてもすぐにラブソングだと分かるような楽曲なんだけど実はよくよく歌詞を見ると過去の恋愛について歌っている歌だと分かる。タイトルも「チェリー」だしおそらく初恋とかそれに近い恋愛の歌なんだろう。ただ「初恋クレイジー」と違うのは向こうが「恋愛中」の歌なのに対してこっちは「恋が終わった後」つまり別れてからの歌だということ。ここまで散々片思い(恋愛前)の歌や恋人との歌(恋愛中)の歌を歌ってきて最後に恋愛後の歌が来るという…。流れとしては完璧である(他にこの曲を入れれる場所が無かったから最後に入れただけかもしれないけど)。

あとこの曲の面白いところは「過去」と「現在」と「未来」が混在していることである。「二度と戻れない くすぐり合って転げた日」という歌詞の後に「きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる」という歌詞が来るが、前者は「現在から見た過去」の目線で後者は「現在からみた未来」の目線である。「君」と一緒にいた過去を思い出して別れを悔やんでいるようで、一方では「君」と別れたことで生まれた新しい未来を見据えているという…。

これがまさに「子供から大人になる過程」のような、まだ幼い部分はありつつもまさに今、1歩踏み出し始めたようなそんな印象を感じる。そしてこの感覚こそがこの「インディゴ地平線」というアルバムの根幹なんじゃないかと個人的には思っている。

この曲はとにかく完成度が高い曲なんだけどその中でも特に3番の歌詞がほんとに素晴らしい。

「愛してるの響きだけで 強くなれる気がしたよ」
「ズルしても真面目にも 生きてゆける気がしたよ」

これは「現在から見た過去」の歌詞なのでつまりは「気がしていたけどそうじゃなかった」=それが最終的に別れてしまった原因だったっていうことだと思う。「あの時は子供だったなぁ」みたいな…。そしてそれを踏まえたうえでの最後の歌詞

「いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい」

過去をしっかり「過去」として受け止めて、大人になって成長した自分としてまた「君」と会いたいという前向きな歌詞。素晴らしい、ほんとに。解釈次第ではこれはまだ「過去」を引きずっているともとれそうけど、個人的には前述したようにしっかり過去を過去として考えれるようになったんじゃないかなぁと考えている。その方がアルバムの締めくくり方として美しいしね。

このアルバムにでてくる「僕」はだいたいが子供だと思うんだけど最後の曲に「子供から大人になる過程で昔を思い返す」曲が来るのは流れとして本当に完璧だと思う。まぁ半分くらいは妄想による勝手な解釈だから全然そんな意図はないかもしれないけど、ここまで散々いろんな「僕」の妄想ソングを聴かされているので聴く側の「僕」が勝手に妄想しても良いじゃないか、ということで許してください。

余談だけど、多くのファンが思っている「チェリーは蛇足」は個人的には思わなくて、むしろこのアルバムにチェリーは必須なんじゃないかと思っている(前述した恋愛中→恋愛後、子供→大人の流れもあるので)。ただ当時のアルバムでは音質の関係で先にシングルで出していたチェリーとほかのアルバム曲の音質が違くて「ずっとモコモコした感じの曲を聴かされたと思ったら最後だけ急にくっきりとした音質の曲になった」みたいな現象があったとかなかったとか聞いたのでそういうのも関係してるのかなぁと思ったり…(リアルタイム世代じゃないので分からないけど)。


以上が「インディゴ地平線」の全曲レビュー&考察です。自分で書いててよく1曲1曲にこんな長い文章書けるなぁと感心していたけど、見返したら考察といいつつ「分からん」とか「説明できない」とか言いまくってて全然考察してねぇじゃねぇかと思って笑ってしまった。しかもちゃんと書いてる部分もほとんどが妄想込みの勝手な解釈なので見てる人に「なにいってんだこいつ」と思われそう。

でもほんとに好きなアルバムであることは紛れもない事実なので色々書けて楽しかったです。ただ楽曲に対する熱量で文章量に差が出てしまったのは申し訳ない。虹を越えてもほうき星も嫌いではないんだけどね…。あと、インディゴ地平線に関してはもう少し考察の幅がありそうだなぁと思ったのでまた聴きなおして自分なりの正解を見つけたいな。

気が向いたらほかのアルバムやミュージシャンでもなんか書くかもしれないです。最後まで見てくれた方はありがとうございました。

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