見出し画像

なぜ日本の政治家が尊敬されないのか

日本の政治家が国内においても国際的にも尊敬されていないというデータは確認していない。しかし、今回は「日本の政治家は尊敬されていない」という仮定に立っった場合、「なぜ信頼されていないのか」を考えてみるとしよう。また、そのことによる悪影響も書くことにする。

風間(2018)によれば、市民による革命が達成された後の国家は、憲法が権力者を縛る「立憲主義」の基、賢い人が選んだ代表が議会にて法律を作る「代議制」が成り立っていた。

しかし、現代になると多様で大量な人々が選挙権を獲得したことで一変する。政治家が多様なニーズをすべてかなえることが出来なくなったのである。そのため、国民は「支持したい政治家」がいないまま無投票派となってしまう。そこに目を付けた政治家は無関心の票を集めるためにイメージやかなえられそうにない理想を語り、引き込もうとする

この点に国民は疑念を抱き、政治家に対する信頼や尊敬を失ってしまうという。これは「代議制の危機」と言われる現象だ。

つまり、大幅な選挙権の拡大により、多様なニーズに対処することが出来なくなった結果、政治家は当たり障りのない事を言って票を勝ち取るしか生き残れなくなったのだ。それを見た国民は「バカにしているのか」というような気持ちを抱いているのかもしれない。


そして、この現象に拍車をかけるのが「輿論(よろん)」という漢字の廃止と「世論」という漢字への統合である。

佐藤(2008)によれば、本来「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」は別物であった。

彼によれば、理性的で政治の場面で用いられるのが「輿論」であり、感情的で軍事の場面で用いられるのが「世論」であったという。

しかし、常用漢字を改定し、「輿論」表記を廃止、「世論」表記へと統合したことによって、我々の理性的な意見と感情的な意見を分ける概念が消えていった

これにより、政治家は本来聞くべき理性的な「輿論」ではなく、感情的な「世論」により政策を決定するようになったと批判している。

政治家が真剣な議論を行わず、国民のいいなりになって手のひらを返し続けている点が政治家不信へとつながっているのかもしれない。

まとめると、現代の多くの政治家は中身がなく、外面しか整えなくなっているため、国民の政治家への信頼が失墜しているのだろう。


では、そうなるとどのような悪影響が出るのか。

風間は同書で「行政の国家化が起きる」と言っている。つまり、行政が立法・司法よりも権限を持ったことで国民を無視し、自分の利益や既得権の利益だけを搾取するようになるということだ。

日本はこの「行政国家化現象」が他国に比べて深刻だと原(2021)は主張する。彼によれば、日本は「官僚主導社会主義」で官僚が非常に強い権力を持っているという。

規制緩和と行政改革で行政国家化現象を抑え、政治家が本質を考え直す必要があるのかもしれない。そして、我々は社会について勉強し、主張・運動・選挙を行う必要があるだろう。

参考文献
風間 規男 , 岡本 三彦 , 中沼 丈晃 , 上﨑 哉 (2018)『新版 行政学の基礎』 一藝社
佐藤 卓己(2008)『輿論と世論』新潮社
正論編集部(2021.9)『月刊正論』日本工業新聞社

画像
https://pixabay.com/ja/photos/%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97-%e5%a4%a7%e7%b5%b1%e9%a0%98-%e7%b1%b3%e5%9b%bd-2546104/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?