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おとなのへんか

春が来れば、何だかそわそわしたり新しい環境にワクワクしたりする。私は不思議と、雪解けが始まってからこの心の揺れを思い出す。いや、思い出そうと思えば春の感情は真冬にだって吐き出せるけど、手のひらでルルルと踊るだけでリアルタイムでそれに触る事は出来ない。

おとなのへんか

大人の変化

大人の変か

文脈からいうとブログのタイトルは、「大人の変化」かな。なんて分かってしまうのは、それなりに生きてきて、それなりに成長したからなんだろう。(大人の変か、はおかしいけどね。)


感情は成長しない気がする。

春に感じるザワッとキュッとする独特な感じは(海外では秋にこう感じるんだろうか)、入園式の整列の入場から何年経ってもおんなじようにやってくる。じゃあ何が成長しているんだ、と考えた時、『感情を受け止めて、それを次に繋げようとする心の変化』を感じる。(それも含め感情でしょ?という話は置いておいて…)

この胸がドキドキする感じは何だろう。緊張っていうのがあるのか。間違えないように上手くやりたい…。あの人も緊張しているように見える。早く新しい環境に慣れたい。そのうち慣れるだろうとポジティブに考えるようになった。またこの季節が来たなと笑っている。

それなりに生きてきて、それなりに成長したんだと思う。

春に限らず、例えば恋した時、失恋した時、勉強や仕事が上手くいかなくなった時とか、喜怒哀楽全て、その時の自分は皆100%の力で感情を受け止めている。子どもも大人も。受け止めた後、が成長しているだけ。だから人生経験だけで、感情を『受け止める瞬間』をとやかく他人に言われるのは、あまり好まない。「そんな事で悲しんではいけない」「そんな事で苦しんでるの?」とか。1度共有してから、その『後』の経験談をしてくれると、すごく身体が動く気がするし、そうあるべきだと最近思う。私も人に対してそうありたい。

幸せの価値観は変わっていっている気がする。大きいものが幸せだ、と思っていたけど、今は違う。どんどん、ささやかな方に。日常に寄り添うものに幸せを感じるし、求めている。その分、夢は大きくなって大きな幸せも欲しくなってきた。人生は振り子だ。身体の中が一瞬でも幸せでいっぱいになるくらい笑いたくなった。1人で見つけられるのか、誰かと見つけるのか、それが叶った時誰と一緒にいるのか分からないけど、何も分からないから楽しみ。

漠然とした不安、を私はこう考えて春を迎える。

あなたは、どんな春?

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