「困っている誰かを助けたい」は「困っている”自分”を助けたい」
昨日こんなツイートをした。
そして以下がさえこさんの記事。
この記事を読んで「うんうん」と頷く人は多いのではないだろうか。
困っている誰かを助けたいという気持ちは素敵だ。でもその気持ちが生まれた背景は何なのか?
もしその背景を辿ってみた中に【あなたが過去に傷ついてまだ癒えていない傷】があったら、まずはその傷と向き合ってみた方がいい。
例えだけど、
学校に行けなくて逃げ場が分からなかった人は不登校支援に。
いじめやDVで苦しんだ人はカウンセラーに。
精神疾患で葛藤した人は精神科医や精神科看護師、精神保健福祉士に。
上に挙げた例は極論だけど、こういう流れは多く見られるんじゃないかと思う。自分が傷ついたり悩んだりした経験を生かして「”過去の自分が傷ついていたときに欲しかった支援”」を行うような。
ここでちょっと考えたいのが
あなたの傷は癒えているのか?ということ。
もし自分の癒えていない傷を、助けたい誰かの傷と混同してしまったら?
過去の自分の傷と助けたい誰かの傷は似ているものだったとしても、全然違う。
でも、過去に負った傷が癒えていない人は助けたい誰かの傷を必死に癒そうとするだろう。自分の傷と似ているように感じて「どうにかしたい!」と強い気持ちが湧きあがるからだ。
これは支援ではない。
自分の傷は自分で、誰かの傷はその誰かが立ち向かい、向き合っていくことが大切だからだ。
その向き合っていく過程で、カウンセラーや精神科医などの専門職の手を借りるのである。
カウンセラーや精神科医は、傷を癒してくれる存在ではない。
あなたが自分の傷に立ち向かい、向き合う手助けをしてくれる存在なのだ。
支援をするときに必要なのは、自分と相手との線引きだと思う。
自分の状況も相手の状況も、変えられるのは本人だけ。支援は、その気持ちや成長をサポートするのが役目。
「助けたい」「私があの人をどうにかしてあげなきゃ!」と強く思ったら、一度自分を振り返ってみるといい。そこにはあなたが傷ついてきた過去があるかもしれないから。
その作業は苦しいけど、埋もれていた傷を癒すチャンスなのだ。
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