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銀河皇帝のいない八月 ⑱
2. サロウ城の虜
薄紅色の液体で満たされた透明な球体の中に、全裸の少年が漂っている。
エンザ=コウ・ラは、確かにネープが美しい生き物であることは否定出来ないと考えた。この美しさに惑わされ、何とか完全人間を自分の慰みものにしようと試みた者も少なくない。だが彼らは皆、それがあまりにも引き合わぬ行為だと思い知らされることになったのだ。
こうして完全に自由を奪った状態でネープを捕らえることが出来たというのは、幸運と言えば幸運と言える。何日か前まで、目の前の少年は銀河皇帝を支えるという点において、エンザとは同志であると言えたが、状況の変化は彼の持つ価値を全く別のものにした。
生物学的に、心理学的に、その他あらゆる切り口からネープを解剖することが出来れば、得られる情報は値千金というものだろう。しかしそれも、絶対にこの個体を逃さないという前提が、絶対の条件だった。
このサロウ城から逃げることなど到底不可能だ。
さらに少年を閉じ込めている球体を満たしたサヴォ液は液体檻《リキッドケイジ》とも呼ばれ、本来は人間には使用しない、危険な生物を閉じ込めておくためのものだ。一定量以上に密閉されたサヴォ液に入れられた生物はその中心に固定され、意識的な動きは全て同じ強さの力で押さえつけられる。そして、酸素を必要とする生物には呼吸出来るので、完全に外的な環境と遮断することが可能だった。
そこに拘束することは、人間にとってはかなりの負担となるはずだが、完全人間の自由を奪うにはこれくらいの設備が必要なのも確かだった。
サヴォ液の中で漂っているように見えるのは、身体に全く力が入っていない……すなわち意識がないこと示している。だが、エンザ=コウ・ラはこれをネープの芝居と見た。
「音声インターフェースを開け」
エンザはかたわらの医務官に命じた。
これで液の中の者とは会話が出来るようになる。
「もう起きているんだろう。寝たふりはやめたまえ」
案の定、ネープはゆっくりと目を開けた。
まわりを見回すでもなく、真っ直ぐエンザの方を向いて視線を返す。すでに自分の置かれている状況は把握し切っているのだろう。全くもって油断のならない生物だ。
「こういう形で再会するとは思わなかったな、ネープ三〇三。あの辺境惑星で起こったことは、非常に遺憾だ。お前が連れていたのは、皇位後継者を僭称する原住民の娘だな。〈青砂〉へ連れていくつもりだったのだろうが、なぜわざわざここに舞い戻ってきた?」
「私へのこの扱いも、誠に遺憾に思います。エンザ=コウ・ラ星威将軍閣下。〈青砂〉との関係を悪くしないためにも、一刻も早く解放されることをおすすめします」
液体を介しているせいでくぐもってはいるが、はっきりとしたその言葉にエンザは一瞬気圧された。帝国の歴史において、ネープたちに挑戦した惑星や公家がどういう末路を辿ったか、を思い出したのだ。
だが彼はそんな様子をおくびにも出さず、生徒をたしなめる教師のような口調で応じた。
「質問しているのだよ、私は」
「なぜここに来たのかは、私の方で答えを知りたい問題です。帝国軍かラ家の科学室が、新しい技術を開発して我々を誘導したのではないですか?」
質問で質問を封じるつもりか……
「そんな、毛の先ほども信じていない話でごまかしても無駄だ。超空間にいる船を自由に出来る術があれば、皇帝もネープもない。銀河の全てを手中にしたも同然だからな」
「それでも、法典は厳然と存在しますよ」
法典……
銀河帝国に生を受けた者として、そこに畏れを感じない者は無い。
皇帝……公家……元老院……すべてを強大な力で縛る一方、その権威を根底から支えているのも法典にほかならないのだ。
法典を否定することは、自らを否定することに等しい。帝国で権威の上層にいる者ほど、それは心得ておくべき事実だ。
エンザは法典の名前を出すことでネープがこの場の主導権を握ろうとしているのをはっきりと感じ、そうはさせまいと意識をガードした。
「お前は……その法典にのっとって新皇帝を擁立するつもりのようだが、公家の多くはその過程に疑義をさしはさんでいるぞ。ネープが皇帝陛下の力を恐れ、辺境惑星での事故を利用して体制の刷新を図ろうとしたのだ……と、な」
「そんな、毛の先ほども信じていない話で、公家連や元老院をまるめこめるのですか?」
なんとか苛立ちを抑え込んだエンザは、パイプをくわえてメセビン・ガスを吸い込んだ。
「その悪癖もまだおやめになっていない……一時、頭が冴えるだけで寿命を縮めることになると忠告しましたよね」
「私の健康より、自分の心配をしたまえ。皇位後継者も、それを護っていたネープも、恐らくこの星で消息を断つことになるのだからな」
「そして帝国の全市民は、ラ家がネープと法典に挑戦したのだと知ることになるわけですね」
「少し違うな。話は、ラ家が新しい法典の守護者となり、ネープは帝国に対する叛徒に堕した……という形になる予定だ」
「ひどく楽観的な見通しですね」
エンザは口元を歪めてネープに笑みを見せつけた。
「どうかな? とにかく、我々はお前から徹底的に情報をしぼり取るつもりだ。特に、〈青砂〉の連中が見て欲しくないと思っている部分を重点的に……な」
「よかった……つまりまだ、何も私から引き出すことに成功していないんですね」
その挑発的な言葉にもエンザは動じなかったが、それを言ったネープを後悔させてやるという意志は固くした。
「今はまだ、お互い平等な立場というわけだな。そう長くは続かない状況ではあるが……」
「おや、ここまでの会話で私の方は閣下から十分な情報をいただきましたよ。私の主がまだあなた方の手に落ちていないこと。彼女が今、どこでどうしているかもつかめていないこと。当面、私の命は安泰であること。つまり、ここを出て予定通り〈青砂〉へ向かうためのお膳立ては整っているということ……不平等な立場で恐縮ですが、閣下には感謝申し上げたいです」
エンザは加えていたパイプを放り出し、目の前の小僧を今すぐ殺していい理由を一刹那ではあったが探した。そんな彼の情動すら、完全人間の少年はお見通しだった。
「私を殺す理由を探すのも結構ですが、まずはお許しを得なければなりますまい? あなたの後ろにお控えの従姉妹ぎみに……」
エンザはその言葉にパッと振り向いた。
果たして、闇に包まれた部屋の隅に、その闇より深く黒い服に身を包んだ仮面の貴婦人が立っていた。
「レディ……ユリイラ……」
ユリイラ=リイ・ラは唇に薄い微笑みをたたえ、裸の少年をじっと見つめていた。
* * *
その暗いトンネルは、螺旋を描きながらどんどんと下に向かっていた。
ついさっき、この都市のどん底に落ちたと思っていたが、どうやらまだまだ落ちるべき下があるらしい……空里はそのトンネル以上に暗い気持ちで歩き続けていた。
やがて、前方に緑色の光が見えてきた。
なんとも言えない刺激臭と、耳障りなノイズがそちらから漂ってくる。
空里、シェンガ、ティプトリーの三人は、トンネルを抜けて、薄暗い広間に出た。見えていた緑色の光は、広間のあちこちに浮かぶ立体映像のものだった。浮かぶ惑星……都市の情景……話し合う人々……戦いの様子と思しき映像も浮かんでいる。
「これ……録画の再生? まさか全部、ライブの映像なのかしら?」
ケイト・ティプトリーが、メディア人らしい好奇心をあらわにした。
「ドロメックのビジョンだ。それも帝国中から送られてきている映像だな」
シェンガが言った。
「そうか……こいつらは情報賊なんだ」
「デト……何それ?」
空里がきいた。
「銀河中に不法なドロメックやスパイ生物を放って、ありとあらゆる情報やデータを密売している連中さ」
よくわからないが、とにかくあまり関わりにならない方がいい人種らしい……
空里はこの星に着いてから何度目かのため息をついた。
3. 三人のエデラ人
目が慣れてきた。
闇に包まれた広間のほとんどは空里たちの立っているところから一段掘り下げられたフロアになっている。そこでは何人もの人間が幽霊のようにうごめきながら、何かの機械を操作しているのが見えた。
その操作に従って、部屋中に浮かんでいる立体映像が現れたり消えたり、アングルを変えたりしているようだ。
広間の一番奥には、三つの大きな人影のようなものが鎮座している。
武器を持った「ギャング」に背中を押され、空里たちはその影の方へまっすぐ伸びた通路を歩いていった。
近づくにつれ、その影は人間ではないことがわかってきた。
長衣に包まれた巨体は人間のようだが、その頭は象に近い。長く太い鼻の両側には、目ではなくそれを塞ぐかのような機械がはめ込まれていた。垂れ下がった耳の下、鼻に隠された口にもケーブルに繋がった機械が見える。
すべての感覚を機械に繋いだ三人の象人間の前に立ち、空里は異様なエイリアンや宇宙生物に慣れつつある自分を感じていた。
銀河皇帝になったら、こういう連中とどう付き合っていくことになるのだろう……
「エデラ人か……」
つぶやいたシェンガの声の調子に、空里は不吉な予感を覚えた。あまり、喜ばしい出会いではないようだ。
中央の象人間が声とも息ともつかぬ、低い音を発した。
すると、その背後に立つスキンヘッドの痩せた女が、語りかけてきた。
「第一選別者が問う。お前が銀河皇帝の後継者か」
空里は一瞬、自分が聞かれていると思わず、シェンガとティプトリーの顔を見てから戸惑ったように答えた。
「そう……です……」
三人のエデラ人はずずずっという奇妙な音をたてて鼻を震わせた。
やがて、右側の一人がピッチの高い呼吸音を吹き上げた。
「第三選別者の提案。殺してしまえ」
淡々とした女の声に、空里は戦慄した。
今度は左側の一人が低く長い音で鼻を鳴らした。
「第二選別者の提案。ラ家に対する交渉の材料とせよ」
「選別者……って、ずいぶん偉そうだけど、何を選別するの?」
ティプトリーが苛立たしげに問いただした。
三人の選別者はまったく同じ音をたてて同時に答えた。
「選別者は選別する。情報を。金を。命を」
命! 自分たちの命運は、この象さんたちに握られているということか……今さらながら、空里はどれだけの危機に直面しているかを思い知らされた。
通訳の女は続けた。
「後継者が命と引き換えにどんな見返りを我らにもたらすか。考えがあるなら聞こう」
「見返り……って……」
空里は困惑した。ここはとにかく、素直になった方が良さそうだ。
「私は……まだ銀河皇帝になってもいないし、この国のことだって何も知りません。何か約束出来ることなんか……思いつきません……」
三人のエデラ人はうつむきながら不協和音の唸り声を出した。
「選別者は判断した。この後継者はあまりに無知過ぎる」
素直に答えすぎたかしら……空里は授業で教師の質問にうまく答えられなかった時の気分を思い出した。
シェンガが言った。
「こいつらが望んでいるのは、商売の安泰だろ。皇帝の権限で、不法行為を見逃すことを保証してやれば……」
「ええと……それなんて言えばいいの?」
空里の思案は女の声で遮られた。
「選別者は選別した。後継者は我々の教育後、皇位を継承させるべく〈青砂〉へ向かわせる。残りの二人はここで奴隷として働かせる」
空里は聞き返した。
「教育?」
シェンガが話を噛み砕いて聞かせた。
「要は、洗脳さ」
「やだ、そんなの!」
ティプトリーも別の立場から賛同した。
「あたしだってイヤよ、奴隷なんて!」
二人の抗議もむなしく、三位一体のエデラ人たちが同時に両手を挙げ、手下の「ギャング」が空里たちを引っ立てて行こうとした。
その時……
広間の入り口付近で、何かが弾けたような大きな音が響いた。
見ると、ショックスピアーで武装した人間たちが広間に踏み込み、「ギャング」たちと小競り合いをしている。
その内の何人かが、通路をこちらへやって来た。
すっぽりと全身を包む赤い装束に、逆立った長髪をいただいた男たちは、まるでロックバンドのメンバーか、異形の神職者に見える。
「ナスーカ教徒だ!」
シェンガの言葉でその正体が後者である事が知れた。
先頭に立つ若い男は、空里を一瞥するとエデラ人たちに向かって言った。
「情報賊よ。星百合の民として、我ら星百合の子らの望みを聞き入れよ。この百合紀元節のめでたき時に、諍いは不要」
気のせいだろうか……空里は彼らの潜ってきた広間の入り口から悲鳴のような声が響いてくるのを聞いた。
三人のエデラ人は、突然の侵入者に狼狽していた。その背後に立つ女だけが、落ち着き払って彼らの言葉を伝える。
「選別者は拒絶する。諍いも要求も拒絶する」
ナスーカ教徒のリーダーが片手を上げると、後ろからシリンダー状の透明なケースが運ばれてきた。中で、何か細長い生き物が動いている。
「ウォーワーム……」
空里とティプトリーは、あの浜辺での惨劇を思い出した。
ティプトリーが聞いた。
「あの化け物?」
「その幼体だ。そうか、あいつら上でこれを放ったんだ。それで入って来られたんだな」
空里にも合点がいった。外から聞こえている悲鳴は気のせいではなかった。あれは、ウォーワームによる阿鼻叫喚なのだ。飼い主である彼らが無事なのは、どうにかしてあの恐ろしい生物を制御する術を持っているのだろう。
ナスーカ教徒のリーダーは、穏やかだが有無を言わせぬ調子で宣言した。
「我らは、この百合紀元節のめでたき日に、不浄な穴蔵を聖なる蟲にて清めるつもりで来た……しかしエデラ人が悔悛し、その証を差し出すなら赦しを与えるものである」
エデラ人たちは身を震わせながら沈黙した。
その様子を確かめたリーダーは、空里に向き直った。
「皇位継承者よ。そなたは我ら星百合の子が預かる」
空里はシェンガの顔を見た。
ナスーカ教徒たちが三人を取り囲み、彼らを外へ連れ出すべく動き出したその時……
ティプトリーが突然動いた。
ウォーワームの幼体を収めたケースをいきなりひったくったかと思うと、それを通路下のフロアに叩きつけるように放り投げたのだ。
「!」
ティプトリーはその行為の結果も確かめぬまま、かたわらのナスーカ教徒を突き飛ばし、持っていたショックスピアーを奪い取った。それを振り回しながら入口への逃げ道を切り開こうとする。
「走って!」
後に続こうとした空里は、ティプトリーの前に立ち塞がったナスーカ教徒のスピアーが、彼女の得物を一振りで砕くのを見た。
おかしなことに、スピアーを振るったナスーカ教徒は、なぜか「しまった!」というような驚きの表情を見せ、振り向くと一目散に逃げ出した。その途端、ティプトリーを取り押さえようとしていた者たちも、全員広間の入口に向かって走り出した。
「ワームキーパー! ワームキーパー!」
口々に叫ぶナスーカ教徒たちにもまれながら、三人も広間から駆け出す。一瞬振り返った空里は、早くも巨大化したウォーワームが手当たり次第にまわりの人間たちを餌食にしているところを見た。
「何が起きたの?!」
シェンガは笑いながら答えた。
「あの女、ショックスピアーじゃなくてウォーワームのキーパーが使う制御棒をぶん取ったんだ。それが折れて壊れちまったから奴らも大慌てで逃げようとしてるのさ!」
笑い事ではない。
あの浜辺での惨劇が、また繰り返されているのだ。しかし、空里と並んで走るティプトリーも笑っていた。
「あの生意気な象さんたちも食われたかしら? いい気味だわ!」
「なんで、あんなことしたんですか!」
もみくちゃにされながら、空里は聞かずにいられなかった。
「なんで? わかんないわ。もうあんまり、色んな事に振り回されっぱなしだったから、いい加減キレちゃったのよ」
なるほど……自分の意志でもなく地球から引き離されて、訳のわからない世界で危ない目にあわされ続けた鬱憤が、いま爆発したのか……
しかし、理不尽な運命に抵抗して戦ったティプトリーは勇敢と言えるかもしれない。むしろ、されるがままになってた自分の方がおかしいのではないか……そんなことを考えながら、空里は走り続けた。
「おっと、これはまずいぜ」
シェンガの声が、空里を当面の現実に引き戻した。
トンネルを抜けると、上の広間は戦場だった。
情報賊の手下やナスーカ教徒たちが、暴れまわる複数のウォーワームをなんとかしようと様々な武器で奮闘している。幸いにして、誰一人空里たちにかまっている余裕は無さそうだった。
しかし、どこへ逃げれば安全なのかもわからなかった。
「出口はどこかしら?」
「こっちだ」
ティプトリーの声に応えたのは、シェンガでも空里でもなかった。
見ると、壁の下に口を開けた排水口のような穴の下から、何者かが手招きしている。穴は人一人通るのがやっとのような狭さだが、見たところ一番手近な広間からの出口であるのは確かだ。
「早く!」
穴の下からの声に空里たち三人が顔を見合わせていると、ウォーワームの一匹が銃撃を浴びながら彼らの方へ逃げてきた。
「!」
選択の余地はなくなった。
シェンガは空里の手をつかんで穴に向かって走り、まず彼女をそこへ突き落としてから後に続いた。
そしてティプトリーが最後に飛び込むと同時に、誰かの手が穴の蓋を閉じ……
あたりは完全な闇に包まれた。
つづく
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