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銀河皇帝のいない八月 ⑲

4. 完全人間ネープの脱走

 その若い医務官は、緊張に疲れ切っていた。

 ラ家への仕官をへて帝国軍に属して以来、こんなに勤務で緊張が続いたことはなかった。目の前の液体檻リキッドケイジに閉じ込められた美少年が、見た目とはかけ離れた危険な存在であることは重々承知の上だ。理屈ではわかっているが、その理解がかえって目に見えているものとの落差に戸惑いを生じさせていた。

「サンプルの様子はどうだ?」
 上官が部屋に入って来て聞いた。
 捕虜を科学的な見地から「サンプル」と呼ぶ冷徹で小柄な人物だったが、今はその落ち着きと何より一人ではなくなったことで、医務官は少しだけ緊張をやわらげることができた。
「はい、バイタルは安定しています。特に何かを仕掛けてくるそぶりも見せません」
「ふむ……」
 上官は表示されている医療モニターを一通り見渡して、部下の言う通りであることを確認した。
「明朝から、この個体の超精密検査を行う。まずは心理圧迫検査による意識変動の測定だ」
「は……」
 心理圧迫検査とは学術的な響きだが、実態は拷問に近い処置であることを医務官は知っていた。
「?」
 見ると、いつの間にかネープの顔に苦悶の表情が浮かんでいた。
 力なく漂っているだけだった身体も、にわかに緊張しているように見える。
「様子が変です」
 医療モニターを確認した医務官は、各数値が急激に変動し始めたのを見た。
「心拍数が上がってます。体温も上昇中……血中酸素濃度にも異常が……」
 上官も異常を確認して唸った。
「どういうことだ? 安定していたのではなかったのか?」
「ついさっきまでは確かに……」
 その言葉を否定するように、ネープの身体が激しい痙攣を見せ始めた。サヴォ液の束縛下で目に見える痙攣とは、かなり強いものだ。
「どうします? いったん液を抜いて応急処置を……」
「いや、待て。奴の罠かもしれん」
 罠とは……芝居ということか。しかし医療モニターの数値は明らかに異常を示しているのだ。この期に及んでそれは……
 やがてネープの口元から赤い煙のような影がわっと溢れかえった。
「吐血しています!」
 これにはさすがに上官もうろたえた。
「排液しろ! サヴォ液を抜くんだ!」
 医務官はコンソールを操作して命令を実行した。
 サヴォ液の量が減り、液体檻リキッドケイジから解放されたネープの身体がカプセルの下半球に横たわる……と……
 全裸の少年は突然起き上がり、凄まじい力でカプセルの底部に設けられた排水口の金網を引き剥がすと、その中に飛び込んで姿を消してしまった。
「馬鹿な!」
 上官が叫んだ。
「非常用バイブレータを起動しろ! カプセルを破壊するんだ!」
 カプセルには緊急時にそれを破壊するための振動装置が備え付けられていた。医務官が非常スイッチのカバーを叩き割って中のボタンを押すと、カプセルは一瞬で粉々に砕け散った。
 上官はカプセルの設置されていたプラットホームによじのぼり、恐る恐る排水口に近づいていった。排水口の先には何重ものフィルターがあり、こんなところから逃げることは出来ないはずだが……
 人一人、やっと通れる大きさの排水口の奥は闇に包まれている。
 視界を得ようと上官が不用意に身を屈めた瞬間、排水口の中から手が伸びて彼を引きずり込んだ。
「!」
 上官の悲鳴はすぐに聞こえなくなった。
 警報を鳴らさなければ……しかしあまりの出来事に、医務官の身体は凍りついたように動かなかった。
 ややあって、排水口の中からネープが飛び出してきた。
 そこでべっ、とさっきの血の残りを吐き出す。
 医務官は信じられなかった。自分の意志でバイタルを不安定にし、あまつさえ吐血までして見せ敵を欺く人間がいるなど……
 ネープはもはや全裸ではなく、上官が身につけていたズボンを履いている。
 完全人間の少年はプラットホームから飛び降りると、素早く部屋を物色し、必要と思われるものをズボンのポケットに収めていく。
 そして医療器具のトレイから無針圧力注射器を取り上げると、一本のアンプルを装填し、医務官に近づくと注射器を彼の首筋に押し当てた。
 何を注射した? 毒か……麻酔薬か……?
 どちらでもなかった。ちらと見えたアンプルのラベルは、それが心理圧迫検査用の精神開放薬であることを示していた。
目的はすぐにわかった。この薬は自白剤としても使用出来るのだ。
「一番手近の情報端末はどこだ?」
 涼やかで無表情な声がたずねた。

 *  *  *

 闇から闇へ……

 空里は真っ暗な通路を歩きながら、いい加減明るい場所に出たいものだと考えた。通路には、時々小さな隙間からわずかな光が差し込み、彼女を先導する救い主の影が微かに見えるだけだった。
ただ、ミン・ガンの目だけはキラキラと光っている。
「シェンガって……夜目がきくの?」
「あ? 特別なことじゃないだろ。むしろ、あんたたちの目が悪いのさ」
 その言葉に、かすかな笑い声が答えた。
 前を歩く影が笑ったのだ。
 案外、気軽に話せる人なのかも知れない……どこへ連れていくつもりなのか、たずねてみようか……

 思い切って空里が口を開きかけたその時、待ちわびていた光が彼らを包んだ。
 前をゆく影が扉を開けたのだ。

 目が慣れてくると、そこはそれほど明るい部屋ではなかった。
 学校の教室くらいの広さだろうか。アーチ型をした高い天井の近くに、暖かい色の球体照明がいくつか浮かんでいる。
「こっちへ来てくれ」
 かけられた声に、空里ははじめてここまで彼らを連れて来た案内人の顔を見た。
 端正な顔つきの若い男。
 縮れた黒髪。よく灼けた肌に長身の体躯は、スポーツマンか兵士を思わせるが、その風貌は東京の街を歩いていてもまったく違和感がない普通さだった。
 ごく普通のジャンパーにズボン。右手だけに手袋をしている。
 背の高い案内人は、パーテイションのような壁で仕切られた部屋の片隅へと三人を導いた。

 そこには長い髪の女性が二人いた。
 いや、一人は少女だった。
 ブロンズ色の肌をした年嵩の女性は、ポットから何か良い香りのする飲み物をカップに注いでいるところだった。よく見ると、その髪は毛髪というより触手に近い。カップを見つめる目には黒目がなかった。異形と言えば異形だが、ある種の美しさの方がその姿からは強く感じられた。

 そして少女の方は、とても大きな一人用の黒いソファに身を預けてまどろんでいるようだ。その髪の色はネープを思い出させる銀色だったが、柔らかくウェーブがかかっており、小さな顔を隠すように広がっている。
 少女が身じろぎして、長い髪の間から色白の顔をあらわにした。

 その目が開いて、空里を見た。
 ルビーのように深い赤に光る瞳で。
 すごい美少女……と言っていい容貌の持ち主だが、空里はその少女の雰囲気に何か違和感を覚えた。
「よいところへ来てくれました。今ちょうど、ホウティーがはいったところですよ」

 美少女が天使か妖精のような笑顔を浮かべて言った。


5. それ以外の者たち

 少女の小さな唇が言葉を発した時、空里は違和感の正体に気づいた。姿形は子供のそれだが……なぜか……とても歳をとっているように感じられるのだ。

 案内人の男性が空里たちに椅子をすすめ、もう一人の女性が三人にホウティーのカップを配った。ホウティーはふつうに、良い香りのするお茶……ではなかった。
 それはどう見ても粉だった。粉末タイプのお茶にお湯を入れ忘れたような……しかし、その粉からは湯気が立ち上っており、キラキラと不思議な光を放っている。カップを揺すってみると、中身がまるで液体のようにゆらめいた。
 空里はティプトリーと目を合わせ、お互いどうしたものかという表情を浮かべた。シェンガは疑わしげな目でじっとカップの中身を見つめている。
 とりあえず香りは悪くないので、一口だけすすってみようか……と、カップを口元に運んだその時、輝く粉は自らの意志があるように、空里の唇と鼻腔へと立ち上り、その奥へと入っていった。
「!」
 一瞬、焦りに襲われたが、次に訪れた感覚にすぐ落ち着きは取り戻せた。まるで、全身の毛穴から身体中の毒が吐き出されたような……眠っていた心の奥が覚醒したような……不思議な感覚。
「ああ……」
 思わず声を出してしまったことで、シェンガが心配そうに聞いた。
「大丈夫か?」
「え? ええ……なんともないの。むしろ、すごく気分が良くなったみたい……」
「すごいわね……身体の疲れも失せたみたいよ……」
 見ると、ティプトリーの口元にもすでに光る粉が舞っていた。
「お口にあったようで、何より……」
 少女が歳に似合わぬ落ち着いた口調で言った。
「ここへ来るまで、いろいろ大変だったことでしょう。まずはホウティーでゆっくり身体を癒して。それから少しお話ししましょう」
 とりあえず、この惑星に着いてから空里が受けた最もうれしい待遇だ。しかし甘んじてそれを受けるには、あまりにわかっていないことが多すぎた。また、あまりのんびりとはしていられない身の上であることも思い出された。
「あ……ありがとう。ところで……」
 さて、わかっていないことを何から片付けたらよいだろう……
「ここは……どこなのかしら?」
「サロウ城市の最下層区にある、帝国軍の保安ステーション」
 ようやくホウティーのカップに口を近づけていたシェンガが、ぶっと粉を吹いて叫んだ。
「じゃあ、お前たちは!」
「軍の者ではありません。言ってみれば、間借り人みたいなものかしら」
 仕切り壁の外を振り返った空里とシェンガは、部屋の様子がさっきとまったく違っているのを見た。

 軍服姿の人間たちが、デスクや機械の間を忙しく立ち回っている。宙空に浮かんだ立体映像は、リパルシング・デッキに乗った空里たちの姿だった。どうやら自分たちの捜索をおこなっている、帝国軍のオフィスらしい。
 だが、空里が二、三度まばたきをしただけで、外はがらんとした元の部屋に戻っていた。

「あんたたちは……それ以外の者ダダなのか?」
 シェンガが聞いた。
それ以外の者ダダ……見えない者……はじめからいない者たち……いろいろな名前で呼ばれているようですね。どう呼ばれても深い意味はありません。呼ばれること自体にも意味がありません。だからどう呼んでもかまいませんよ」
 空里には何がなんだかさっぱり分からなかった。
「どういうことなの?」
 答えるシェンガの声には、どこか怖れのようなものが感じられた。
「こいつら……この人たちはな、俺たちの宇宙とは別のところにいるんだよ……いや、今は俺たちもその別の宇宙に来ちまってるんだ。だから帝国軍の連中と同じところにいても、まったく危険がないんだ」
「異次元……みたいなところってこと?」
 ティプトリーが自分なりの理解を口にした。
「少し違うな」
 答えたのは、案内人の男だった。
「言ってみれば、より星百合スター・リリィの近く……というところだ。我々は君たちよりほんの少しだけ、星百合に似ている生き物なんだよ」
「だから、恐れられてもいる。ナスーカ教徒たちは彼らを崇拝すると同時に敵視しているし、帝国はその存在すら認めていない。科学者は〈時空人〉とか〈時空生命体〉という名前で呼んでるけど、どうやら実在するようだということ以上のことは何も知らない……」
 シェンガの補足は、その中身のようにあまりにつかみどころがなかった。
「まるで……幽霊ね」
 ティプトリーの感想は的を得ているように思えた。
「さて……エンドウ・アサトさん」
 少女に呼ばれて、空里は恐ろしく久しぶりに自分のフルネームを聞いた気がした。
「やがて銀河皇帝となる貴女あなたにお会いできて、とてもうれしい。もし必要なら、私のことはサーレオと呼んでください」
「ずいぶん、久しぶりにその名前を聞いたな……」
 案内人の男が微笑みながら言った。
「そうね、ハル・レガ。名前の要らない世界にすっかり慣れてしまったものね」
 サーレオが笑うと、ホウティーをいれてくれた女性も笑いながら言った。
「自分の名前なんか、すっかり忘れてしまったわ」
「私は覚えてるわよ、トワ」
 空里は三人の顔を見ながら、なんとか名前を覚えた。
「サーレオ……ハル・レガ……トワ……さんね。どうぞよろしく。助けていただいて、感謝してます」
「どういたしまして。すべては、星百合スター・リリィが望んだことですから」
「じゃあ……あんたたちが星百合の声を聞くってのは、本当だったのか」
 シェンガが言った。
「声を聞くというのはかなり大雑把な例えだけど、意味としてはその通りですね」
「星百合というのは、知的生命体なの?」
 ティプトリーの問いにサーレオは細い首をかしげた。
「知的という言葉をどう捉えてらっしゃるかしら? 言葉を使っておしゃべりが出来るというような意味だったら、星百合は違います」
 空里は星百合の正体よりも、その動機に関心が向いた。
「星百合がそう望んだというのは……一体なぜ?」
「ひとつは貴女あなたに銀河皇帝となってもらいたいから。それから、あなた方が持っているものを引き渡して欲しいから……です」
「持っているもの?」
 サーレオは蝋細工のように華奢な指で、シェンガを指した。
「そう……それはミン・ガンの戦士が持っているものです」
 シェンガは耳をピンと立て、ベストのポケットをしっかとおさえた。
「これか! ダメだ。これは俺たちミン・ガンのものだ。渡すわけにはいかねえよ!」
「もう、返してもらいました」
 トワの頭にいただいた触手が小さな石を取り出し、彼女の手に渡した。それは間違いなく、シェンガが後生大事に持っているはずの星百合スター・リリィの種だった。
「どうやって……」
 いつものシェンガだったら、果敢に飛び掛かって奪い返していただろう。だが、その超然とした手品のような手管に、ミン・ガンの戦士も呆然と立ち尽くすだけだった。

 彼ら……それ以外の者たちダダとこの空間は、あまりに自分たちと次元が違う。ひょっとしたら情報賊デトレイダやナスーカ教徒たちより遥かに恐るべき者たちなのでは……空里は漠然とした不安に背中を撫でられている気がした。

「頼む……それを返してくれ。それが無ければ、何のために宇宙を渡って戦い続けてきたのかわからん。他のことなら、何でもいう事を聞く。だから……」
 シェンガの懇願にも、サーレオたちは黙って薄い微笑みを浮かべるだけだった。
 サーレオたちと星百合の間に特別な関係があるのはわかる。しかし、これはであまりにシェンガが気の毒だ……空里はこらえきれずに口を開いた。
「私からもお願い……します。シェンガに返してあげてください」
 相手にされまいと思ったが、意外なことにサーレオの表情から微笑が消えた。
貴女あなたは……それを望むのですか?」
「え? ええ」
「では、仕方ありませんね……トワ?」
 トワも微笑を引っ込め、星百合の種を掌に包むと、そこにふっとひとつ息を吹きかけた。開いた掌は空だった。
「!」
 改めてベストのポケットをさぐったシェンガは、その中から返ってきた彼の宝を取り出した。
「やった! よかった……」
「アサトの言うことなら聞いてくれるのね」
 ティプトリーの言葉にサーレオが応えた。
「彼女を……アサトを銀河皇帝にするために、彼女自身が望むことなら、私たちはそれをかなえます」
「私が皇帝になることと、この種と何か関係があるの?」
貴女あなたが銀河皇帝になるためには、まだ戦いが続きます。星百合の種はそのための力になるでしょう。はじめ、私たちはその種を本来の場所に戻すつもりでしたが……あなたが望むのならあなたの側に置いておくことにします」
「私が皇帝になるために望むこと……」

 星百合の種がどう力になるのか……サーレオたちはなぜ自分が皇帝
になることを望むのか……見当もつかなかったが、空里は今頼るべきはその言葉だけなのだと思った。
「これはチャンスよ、アサト。この惑星から脱出するために力を貸してもらうのよ」
 ティプトリーの提案にシェンガも賛同した。
「そうかもな。船と、クルーを手配してもらえるか頼んでみないか?」
「そうね……」
 空里もこの今一つ底意の知れぬ不思議な救い主たちに頼る気になりかけた。
 だが、彼女の望みはシェンガたちとは別のところにあった。
 空里はサーレオに向き直った。
「お願いを……聞いてもらえませんか?」
「宇宙船が欲しいのですか?」
 空里はかぶりを振った。

「その前に……ネープを助けに行きたいの」


つづく

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