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適応障害につき、にっちもさっちもいかない【近況】

季節の変わり目。
慣れない、負担の多い仕事。
ずっと私を見守ってくれた伯父と祖母の死去。

今秋の私は、足がもつれて膝から崩れ落ちるような勢いで体調を崩していった。

今月に至っては仕事を3日休んだ。新卒の、数少ない有給の一部は涙と鼻水と一緒にティッシュにくるんでどこかへ行ってしまった。

こんなに弱ってもよくしてくれる先輩方にも申し訳ない。しかし、「申し訳ない」という気持ちを遥かに超える高さの情緒の波が、私のこころや胃腸や頭や喉に到達してくるのである。

適応障害というのは、実に難しい。私は3年もこいつと同居しているが、一向に折り合いがつかない。冬になるとひょっこり現れほぼ毎日(カップルYouTuberのように激しい)喧嘩をして、夏になるとどこかへ行く。バカヤロウ、夏は暑いから外に出られないじゃないか。お出かけシーズンの秋冬こそ健康でいさせてくれよ。自分の身体なのに自分のいう通りにならない。初秋に立てた予定の半分はキャンセルする羽目になっている。そう思うと謝らなければならない人は職場以外にもたくさんいるのだが、もうお願いだから許してほしい。

出しゃばりで、わがままで、やりたい放題の適応障害は、ある時は涙として出力される。空海が杖で地面を突っついて溢れた井戸水のように、それは突然ボロボロボロボロボロボロボロボロボロボロとこぼれ落ちる。「とにかく落ちにくい」と謳い、実際歌っていたペンシルアイライナーも落ちる。私の主役Eyeは真っ赤に腫れて、実におめでたい(赤い)。

ある時は手足の痺れとして出力される。私の場合、Adobeを長時間操作すると症状が出やすい。CapCutやCanvaのようなソフトでは起きない。これは適応障害になったきっかけが「Adobeを操作する作業の中で起きたトラブル」に起因するからである。3年経っているのに、しぶとい。ライセンス高いし……(?)

適応障害は「ストレスの原因から離れれば改善される」とされているが、そのストレスの原因から離れることは容易ではない。離れられるもんならもうとっくに離れてらあ。自分の生活を自分で成立させたくて、夢をかたちにしたくて必死なんじゃこっちは。適応障害に負けてたまるもんか!……と思いながらヒィヒィお勤めしている。

(しかしながら、休職・休学といった自分を守る選択をとれた人たちのことを心の底から尊敬し、そのままでいてほしいと思う。また、とりあえず現状維持しつつも変えられるところから変えていこうとしている人、どうしたらいいかわからず途方に暮れている人も、どうかどうか健康で幸せで穏やかな日が訪れてほしいと思っている。)

最近は、身近な人の「死」をたくさん経験したこともあって「どうしたら私は幸せに死んでいけるだろう?」みたいなことをひたすら考えている。

「生きる」をベースに物事を考えると辛いことや苦しいこと(仕事・納税・別離)が目に入るが、「死ぬ」ことを意識すると途端に楽しいことや美味しいものばかり気にするようになり、ポテチをひと袋食べ、ブラックフライデーで爆買いしてしまう。

「死んだ時の花や棺の色は決めておきたい」とか「父方と母方の墓両方に入りたい」など"Want to"ベースで話をすることが増えた。母は「あっちで過ごす時のためにも、骨は一箇所がよくない?」と言っていたので、それは参考にしたいと思う。とにかく、そうしていつか来る「終わり」を想像して生活すると恐ろしくワクワクする。まあ、体調が悪いから想像の世界で楽しくするしかないのだが……。

1、2年目のときの焦りや絶望は緩和され、「死」についてひたすら前向きに考えるのが今シーズンの私の適応障害だ。気分が優れないと母に電話して脈略なしに「ごめんなさい、情けなくてごめんなさい」と謝ってしまうし、映画もラジオも楽しめない夜だってある。ストレスで皮膚をむしるのも止められないけど、もう仕方ない。ミュージカル映画「ヘアスプレー」でも「あんたは丘を下る雪崩を止められやしない 四季の流れを止めるなんて不可能よ」とトレイシーが歌っていた。「摂理」という括りで見ると、この適応障害も おそらくCan't stopだ。(少なくともこの冬はね)

来シーズンに淡い期待を寄せた方がなんぼかマシなので、とりあえず現状の全てを明日の自分に投げつけておこうと思う。

頑張るな、自分。必死で手を抜け。
うんこは会社でしろ。
経費でケーキ食え。
調べものするフリしてツイートしろ。
トイレで踊れ。
化粧も手ェ抜け。
できる限りで……構わないから……(さだまさしエンド?!?!)

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