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月永先生の在宅医療エッセイ『それぞれの人生会議』

自分自身の「生きる」と「死」について向き合い考えていく

私は在宅医療で多くの人々の命の選択の場に遭遇します。末期ガンの方、意思表示もできない難病の方、百歳を超える高齢の方など、さまざまな方の人生の最終段階においてそれぞれの「生きる」のお手伝いをしています。

誰だって長生きしたい。当然の想いです。でも、それが叶わない時が必ずやってきます。逆に「早く迎えがこないかなぁ」と生き続けるのも辛いと感じている人とも多く出会います。人々にとって「生きる」とは? 「死」とは? 何なのでしょうか。

色々なものに多様性が認められる現代社会では「生きる」も「死」もそれに対する価値観も多様性に富んでいると最近感じます。よく理想といわれるピンピンコロリ、そうやって最期を迎えられる人も多くはありません。代表的年代の死因の順位は

一位 悪性新生物(癌)
二位 心疾患(心筋梗塞など)
三位 脳血管障害(脳出血・脳梗塞など)

です。死ぬのは誰だって嫌ですが、もし皆さんならこの中でどの死因が一番自分たちにとって良いでしょうか? 専門家の私であってもその答えは分かりません。

では、悪性新生物(癌)の場合はどうでしょう。癌と宣告されること、自分の命に限りがあることを知らされることの恐怖や不安、そして病気自体の症状や治療などの闘病の苦しみがあります。しかし癌の場合、癌が見つかってからも治療することで良くなる方もいますし、最期までの時間を延ばすこともできます。また、自らの「生きる」「死」について考える時間が必ずあります。家族などの周囲の仲間と今後について話し合うこともできます。

一方で脳出血や心筋梗塞などで急に死が訪れたらどうでしょう。おそらく辛い症状も一瞬です。前者に比べて本人としては辛い時間も短く、もしかしたら楽な最期かもしれません。しかし、自らの「生きる」「死」のことや残された家族のことなどを考える時間は全くありません。

このように、何がいい最期かなんてわからないし、人それぞれです。もう一つ考えないといけないことがあります。自らが前述の悪性新生物や心疾患、脳血管障害になった時どうするか、どうして欲しいかを考えて周囲の人に伝えておかなければいけません。

たとえば脳梗塞などで倒れて意識を失って救急搬送されたとき、どこまでの延命を希望するか必ず聞かれます。救命救急とあるように、搬送されたからには救命チームは命を救うために全力を注ぎます。救命することが最優先であり、一名を取り留めた後の生活の事までは考えることはできません。つまり元の体に戻れるとは限らないわけです。生きていればそれでいいと思う価値観もあれば、そんな体になってまでは生かされたくは思う価値観も当然あって不思議ではありません。だから、私達は万が一のときに備えて自分自身の「生きる」と「死」について考えていかなければならないのです。

昨今、厚生労働省も自分のもしもの時を考える取り組みを推奨しています。まだ馴染みがないかもしれませんが『人生会議』と称して推奨しています。難しいことではありません。まずは最初のステップとして考えてもらうだけでいいです。法事や正月など、家族が一同に集まるときに少しだけ家族みんなで考えてみてください。

父「治療はあまりせず苦しくないようにだけはしてくれ」
母「ようやく自分の時間ができたので、できる限り長生きしたいな」

など、夫婦においても大きな価値観の違いがあったりもします。一度話し合ってみないと全くわからないものです。

もう一つ大事なことはその価値観は日々変わるということです。たとえば、孫ができたら急に長生きしたくなったなど環境によって大きく変わります。だから節目節目に話し合いを続けることが大切なのです。

しかし、医師として不安なことがあります。一般の方々が悩み、何かを選択するときに果たして正しい知識を得て、なおかつそれをしっかり理解された上で、ご自身の人生観に当てはめて決断しているかどうかです。おそらくうまくできていないのではないかと感じています。

例えば、どちらか一方に偏った報道に踊らされてはいないか。自分やその周りの人間の経験だけで判断を急いでいないか。逆に相談するにも誰にも聞くことができないのではないかといつも思います。

多くの命の選択のお手伝いをする在宅医として皆様に何が伝えられるか、少しでもお役に立てればと思います。価値観は無限大です。すべてに対応することはできませんが、これからも専門家として少しでも皆さんの『人生会議』に役立つ知識を共有させていただけたらと思います。

人生会議について  厚生労働省ホームページ


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