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石の歌う森(第12回/最終話) ~星は風にそよぐ イシアス篇~


 ひとしきり、セシルの料理を絶賛したあと、話題はやはり今後のことに移っていった。
「石たちが歌う時期は、歴史的に見ても転換期に当たる。イシアスは、150年前、完全に居住区での暮らしに切り替えたが、それまでには移行期間がある。最初の大きな1歩となったのが、あの錠剤の完成だ。それがちょうど200年前。そう考えると、やはり石の歌う今こそ、大きな1歩を踏み出すべきときなのだと、私は考えている」
リュウさんが言った。

 前回リュウさんと話し合ったときから、セシルはずっと考えてきた。何から始めるべきなのか。
 そして、コミュニティの集会で、セシルはひとりひとりに意見を聞いてまわった。ミオの言っていた通り、国に属するのを良しとしない人が多かった。変わりたいところはあるかと訊くと、冬の食料調達が楽になったらいい、と誰もが言った。もしも冬だけは錠剤が支給されるとしたらどうかと訊くと、ほとんどの人が首を横に振った。それなら今のままでいい、と。

 最初の一歩はやはり食料問題だ。セシルはリュウさんに提案した。
「イシアス国民として認めてもらうより前に、小さな農を許可してもらうのはどうでしょうか」
「どうしてそう思うのかな?」
「スーワのみんなに話を聞きました。そして、ここの暮らしで何が一番大変なのかわかったんです」
「それは?」
「それは冬の間の食べ物です。スーワの人たちは、冬には家にこもって、秋に保存した乾いた食べ物で凌いでいる。だけど、冬は野菜のおいしい季節です。かぶや人参、大根、ほうれん草、ブロッコリー…。秋に種を蒔いておけば、雪に埋もれたとしても収穫ができます。ステファニー先生も、森の中に小さな畑を作っていました」
「そうか。面白いね。私は錠剤で育った人間だから、そういう発想を持てなかったよ」
とリュウさんが言う。
 そこへ、考え深げにセシルの提案を聞いていた父が口を開いた。
「あの会議でロータシアが守ると宣言したのが種です。だから、そこから始めるのが正しいと、私も思います。以前、原生林であっても間伐は必要だ、と論じている本を読んだことがあります。恐らく、イシアスの広大な森林の中でも、コミュニティ周辺の森は人の手が入って、さまざまな点において豊かなのではないでしょうか。そういう論点から、適度に森に手を入れ小さな農を営むことは害にならない、と政府に主張することはできませんか。いや、害にならないどころか、コミュニティの存在がイシアスの森を守っている、とまで主張できるかもしれない。そこは、これからよく調べていきたいと思いますが」
「確かにそうだ。森に手を入れることの必要性については、私も読んだことがある」
ミオが手を挙げて発言する。
「畑を作るとして、種はロータシアからもらうんでしょう? 外来種って生態系に影響を及ぼすんじゃなかった?」
「あの。野菜なら大丈夫かと思われます」
 遠慮がちにそう言ったのは、ユウキさんだった。
「ユウキくんは植物学を専攻していてね。ユウキくん、もしも話しにくかったらアマリア語で話してもらってもいいんだよ」
リュウさんが言った。
「すみません。では、お言葉に甘えてアマリア語で」
 ミオがおじいさんとおばあさんに、小さな声で通訳する。ミオが話し終えるのを待って、ユウキくんは続ける。
「僕は、居住区外苑の森にフィールドワークに出ているうちに、森の中でずっと植物とともに生きていたいと思うようになりました。それで移住を希望しているんです」
 ユウキさんは、そこでまたミオを待った。
「野菜なら大丈夫と言ったのは、農耕をやめる前にイシアスで栽培されていた野菜の95パーセントが外来種だったからです。繁殖力が強く、他の植物を淘汰してしまうようなものでなければ、例えば先ほど挙がった大根、人参、かぶ、ほうれん草などは問題がないと思われます」
 それを聞いた一同は、ユウキくんに拍手を送った。
「ほら。ユウキくんを連れてきて、よかったろう」
と、拍手しながらリュウさんが言った。

 その晩は、スーワの収穫祭が行われることになっていた。石が歌うであろう、しし座流星群ピークの晩に合わせて、流れ星の湖の岸辺で収穫祭を行うことをリュウさんが提案し、おじいさんがそれをコミュニティの長老たちに伝えたのだ。例年11月の初旬に行われるお祭りだったが、長老たちも、200年に1度のこの大イベントを、コミュニティのみんなで迎えることに同意してくれた。
 お祭りの準備を手伝うため、セシルは父と母をおじいさんたちに頼んで、ミオとカイトさんと、ひと足先に湖へ向かった。
 セシルたちが岸辺に到着したときには、砂地に熊や猪皮の敷物が敷かれ、暖を取るためのかがり火が四隅で焚かれていた。ミオとセシルもそれぞれ背負いのかごに焚き木を、カイトさんも鹿皮の敷物を持ってきていた。その年の祭りを主催する役目に当たっている家族の用意してくれてた食べ物が、敷物の上に所狭しと並んでいる。
 収穫祭の晩は、みんなで夜を徹して、冬の暮らしを支えるために自然が与えてくれたたくさんの恵みに感謝する。
 まだ光の残るうちに、おじいさんたち一行も到着した。おじいさんとリュウさんも、背負いのかごに焚き木を持参していた。

 一番星が輝き始めるころ、長老たちの感謝の祈りを皮切りにお祭りが始まった。長老の祈りのあと、リュウさんがみんなの前に立った。長老のあとリュウさんが話すんだ、とセシルが感心していると、セシルの心を読んだかのように
「リュウさんはさ、まあ言ってみれば、スーワの相談役だからね」
とミオが小声で言った。
「今年はたくさんの秋の恵みを受けたということ、おめでとうございます。しかしながら、豊かな恵みがもたらされる年ばかりではない。今宵は200年ぶりに石が歌う晩。このスーワが新しく迎える時代のことを、みなさんと心行くまで語り合いたいと思っています」
 リュウさんが挨拶を終えると、すぐに熱い意見が交わされ始めた。みんな、ふたたび農を始めることに希望を抱いているようだった。

「見て!」
 ヒカルくんが空を指さした。ヒカルくんは、セシルが初めて図書館に行ったとき、たどたどしく教科書を読んでいた男の子だ。
 ヒカルくんの声に、みんなで空を見上げると、ポロン、ポロンと星の粒が流れて消えた。
 リュウさんによると、今年のしし座流星群は「流星雨」といって、雨のように星が降るのだという。ピークは真夜中から明け方。
 真夜中を過ぎると、本当に次から次へと星が流れるようになった。
 そして、あの旋律が、セシルの耳になじんだあの旋律が、地面から湧くように聞こえてきた。みんながどよめいた。歌う石の大きさによるのだろうか、音の高低がさまざまで、ハーモニーが何重にもなって下から響いてくる。
 天空からは雨のように降る星々、そして大地からは石の歌声。

 子どもたちは、降る星の下に寝転がり、石の歌を子守唄にして眠りについた。子どもたちと一緒に寝転んで星を眺めているうちに、寝息を立て始めるおとなたちも出てきた。
 セシルも、ミオと並んで、仰向けになって空を見上げていた。そして、歌う黒曜石たちから、自分の中にたくさんのエネルギーが流れ込んでくるのを感じていた。
 そして同時に、セシルはその瞬間、兄と強くつながっているような気がしていた。これからセシルが辿ろうとしている道を、兄が祝福してくれているのがわかった。ひとりで温泉に浸かる機会がなかったから会えなかったけれど、たとえセシルがひとりで温泉に浸かっていたとしても、あの恥ずかしがり屋の兄がそんなシチュエーションで現れるとはとても思えなかった。
「ミオ、私、明日、居住区に帰ろうと思う。星と歌が、また私の背中を押してくれたんだ」
セシルはミオに言った。

 リュウさんは、スーワの若者たちを集めてまだ熱心に語り合っていた。そのリュウさんの隣に、セシルは静かに座った。
「あの、リュウさん、お話があります」
セシルが声をかけると、
「何かな?」
リュウさんがやさしく尋ねた。
「明日、父と母と一緒に、居住区へ帰ろうと思います。ミオたちの冬の食糧を減らしたくないですし。何より、私、リュウさんをお手伝いしたいんです。リュウさんのそばで、勉強させてもらえませんか」
 リュウさんは驚いた様子だったが
「それは願ってもないことだよ。こちらこそ、よろしく頼む」
と言って、セシルの肩に両手を置いた。
 若者たちの輪のそばに寝転んで流れ星を見ていたカイトさんが、顔をこちらに向けてセシルを見つめた。

「春になったら、また来ますからね」
 バルコニーで、セシルはおじいさんとおばあさんを代わる代わる抱きしめ、お別れを言った。
「春が待ち遠しいよ」
とおじいさんが言った。
「気をつけて帰ってね。これから寒くなるから、風邪をひかないようにね」
とおばあさんが言った。

 ミオとカイトさんと、カイトさんの肩に乗ったトビは、草地までセシルたちを見送りに来てくれた。草地にとまっているキャンピングカーのドアをミオがノックすると、リュウさんとユウキさんが出てきて見送りに加わった。

「さみしいよ、セシル」
ミオは涙目でそう言うと、セシルをきつく抱きしめた。セシルもさみしくてたまらなかったが、
「3か月なんてすぐだよ」
と、自分に言い聞かせる意味も込めてそう言った。
「私も、セシルとリュウさんを手伝えるように、図書館に通って勉強しとくから」
とミオが言う。
「うん。私もたくさん勉強する」
そう言って、セシルはカイトさんに視線を移した。
 カイトさんは静かにセシルを見つめていた。
 きっとカイトさんはまた何も言わないだろう。こういう場面は、得意そうではないから。セシルはそう思った。
 けれど、しばしの沈黙のあと、
「セシルはもうこの乗り物に乗る必要はないよ。僕が送ろう」
とカイトさんは言って、セシルに手を差し出した。
 すぐには意味がわからなかった。
 セシルはミオを見た。ミオが笑顔でうなづく。それから、セシルは父と母を見た。父もうなづいて、運転席に乗り込む。母は、また少女漫画の主人公のように目を輝かせて、セシルとカイトさんを見つめてから、助手席に乗り込んだ。
 セシルはそっとカイトさんの手を取った。
 透明な高速のエレベーターに乗ったように、セシルの身体は空高く舞い上がった。一緒に飛び立ったトビが、あっという間にはるか下に見える。
「風を読んで、どの風と行くか決めるんだ」
 カイトさんの声がすぐ近くで聞こえる。聞こえる? 違う。自分の中でカイトさんの声がする。
「僕やロビンなら、イシアスとロータシアを自由に行き来できる。セシル、一緒に種を運ぼう」
 セシルは、間違いなく、今、生まれてから一番強く「生きている」と感じていた。   
 ロータシアへ行って、またみんなに会える。カイトさんも一緒に!
「ステファニー先生、ロビン、またロータシアで会いましょう。私、カイトさんと、行きますからね」
 セシルはロータシアへ向かう風にささやいた。

おわり
「星は風にそよぐ 活動家篇」へつづく

[ 作曲:佐藤和哉、演奏:佐藤和哉(篠笛)]

~参考文献~
「ウォールデン 森で生きる」
ヘンリー・D・ソロー/著 酒本雅之/訳 ちくま学芸文庫
「シーシュポスの神話」
カミュ 清水徹/訳 新潮文庫
「童話集 風の又三郎」
宮沢賢治/作 谷川徹三/編 岩波文庫
「縄文聖地巡礼」
坂本龍一 中沢新一 木楽舎
「イシ 北米最後の野生インディアン」
シオドーラ・クローバー/著 行方昭夫/訳 岩波書店
「イシ 二つの世界に生きたインディアンの物語」シオドーラ・クローバー/著 中野好夫・中村妙子/訳 岩波書店
「アイヌ神謡集」知里幸惠 岩波文庫
「人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった」ユヴァル・ノア・ハラリ/著 リカル・ザプラナ・ルイズ/絵 西田美緒子/訳


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