石の歌う森 あとがき
とても、ひりひりしています。
セシルやミオ、カイトさんたちのいる世界から離れて。自分の日常に戻ってきて。
ひりひりしています、私の日常は。
今年は、暑さがあまりに早くやって来たため、夏野菜の収穫量が例年に比べかなり少ないです。でもそれは、多分、今年だけのことではない。
野菜が、できにくくなっている。
それを毎年肌で感じています。
今年の5月に「食料供給困難事態対策法」が衆議院で可決されたのをご存知でしょうか。
これは「異常気象や海外での紛争などで食料が不足した場合に、政府は、農家に対して、生産出荷計画の作成を指示できるとし、計画を届け出ない農家や従わない農家には20万円以下の罰金を科すことができる」という内容のもの。
とても民主国家とは思えない。
異常気象で食料が不足するようなときは、野菜ができなくて、農家が泣いているときです。
本当に、ひりひりします。
大地にひざをつき、汗を流して働いたことのない政治家さんたちは、小さな農家を滅ぼし、機械化されAIやドローンを駆使した大規模農家がたくさん現れれば食糧難に対処できる、という「幻想」を抱いている。
ここ数年、国民にきちんと知らされないまま、このような理不尽な法律が可決されたり、政策が閣議決定されたりしています。
ひりひりします。
「石の歌う森」には、たくさんの願いを込めました。意識にある願いも、無意識にある願いも。
賢治先生のおっしゃる通り、私の「意識」にある願いが前に出過ぎているためなのでしょうか。
私の声は、私を理解して応援してくれる一部の人たちにしか届かないでしょう。
その予感が大きすぎて、ひりひりします。
届いてほしい。
平穏な日常は大切なもの。
だけど、その平穏な日常は、当たり前のものではなくて、私たちが自分自身で守るもの。
守らなければ、失うかもしれないもの。
もしも際限なく快適さを求めるなら、いつか破綻してしまう。
来年の創作大賞の頃、セシルは活動家として戻ってきます(脳内BGM「ターミネーター」推奨)。今回、声が届かなかったとしても、あきらめない。
賢治先生、私、頑張ったんですよ。